潜入

 それまで見取り図を見つめていただけのローズがウィリアムと兄を見る。


「宝石は私が探してまいります。今後のためにも殿下とお兄様は邸内に忍び込むべきではありません。万が一素顔を見られでもしたら、公爵に弱みを握られてしまいます」

「だがそれはお前が忍び込んでも同じだろう?」

「私だとわからなければいいのでしょう?」


 そう言ったローズの右手がふわりと彼女の前で円を描くと、次の瞬間には少年のような姿に変わっていた。綺麗なプラチナブロンドの髪は漆黒となり、後ろで簡単に一つにまとめられている。瞳の色もグリーンから濃いブラウンに変わっていて、一見してローズとわかる者はいないだろう。

 服装も貴族の子弟が町へ出るときに着るような動きやすい服に変わっていた。



「…流石だな」


 驚く兄ににっこりと微笑んでみせると、ウィリアムに向き直った。


「私の素性に関係なく、公爵はダイヤモンドが狙われたとなれば必ず殿下と結びつけるはずです」

「つまり、すぐにでも兵を挙げる可能性があるということか」

「はい。ですから殿下はそれを迎え撃つ準備をなさっていてください。私はダイヤモンドを手に入れ次第、ここに戻ってまいります」

「ローズ、危険だ。俺も一緒に行こう」


 そう言ってくれる兄の言葉は嬉しいが、今回だけは自分一人の方が動きやすいのだ。自分一人なら攻撃から身を護る結界もすぐに張れるし、いざとなれば転移する事もできる。

 それを証明するために、ローズは近くにあったガラスの花瓶を結界で包み込んだ。


「お兄様、この花瓶をその剣で切りつけてください」


 普通ならば簡単に砕け散るはずだ。しかしリチャードは自分の剣が花瓶に弾き飛ばされた事に愕然とした。一方ガラスの花瓶には小さなかすり傷ひとつついていない。


「これと同じ結界を私自身に張ります。万が一宝石を探している間に攻撃されてもこれで防げます。それに…念のためリアを連れていきますから」


 足元に控えていたリアの頭を軽く撫でると、リアは仕方がないというようにしっぽで返事をした。


「…わかった。だが無茶はするなよ」

「はい」

「そうと決まればすぐに動こう。どうせなら少しでも早い時間がいいだろう」


 貴族の夜は長い。おそらく公爵も寝室に向かうのは日付を超える頃だろう。それまではまだ十分に時間がある。

 ローズは念のためリチャードから邸内の護衛の配置や注意すべき場所を聞くと、リアを抱きかかえる。


「では、行ってまいります」

「気を付けて行ってこい」


 ウィリアムの言葉に頷いたあと、その横でまだ心配そうに見ている兄に対しても笑顔で頷くと、ローズは部屋から姿を消した。




 ろうそくの明かりだけの室内にローズとリアの姿が現れる。ベッドの上に人影はない。だが既に異変を察知したらしく邸内が慌ただしくなっているのを感じる。


(ルビーはこの辺にあるはず…)


 ローズはルビーの中に忍ばせた光属性の魔力をほんの少し増幅する。するとベッドサイドの横の壁から僅かに光が漏れているのに気づいた。


(隠し部屋?)


 迂闊に扉を開くと何があるかわからない。慎重に扉を開けたいところだがそうも言っていられないようだ。大きな音を立てて開かれた扉の向こうに兵士らしき人影が複数見える。


「いたぞ!」


 そう叫んで扉から入ってこようとした兵士が見えない壁に阻まれる。


「なんだ!?」


 それはローズが張った結界なのだが、おそらく魔力のない兵士達にはわからないだろう。何度も体当たりする兵士達を無視して、ローズは覚悟を決めて魔法で壁の継ぎ目を広げていく。間違っても中にあるかもしれないダイヤモンドに魔力が触れるような事があってはならない。ごく狭い範囲にしか魔力が届かないように神経を使う。

 やがて隠し扉が完全に壁から離れた事を確認したローズは扉を手前に引き倒した。奥に倒して万が一にも宝石が扉の下敷きになるような事があってはならないからだ。

 ぽっかりと開いた空間の向こうを部屋にあったろうそくで照らすと、一番奥にウィリアムが言っていた赤いビロードの袋に入った箱があった。


「リア、入っても平気かしら?」

「面倒な結界があるにゃ。ローズだと時間がかかるにゃ」

「お願いできる?」


 その言葉が終わらない内に部屋に飛び込んだリアは、罠のように仕掛けられた結界を器用に避けながら箱の元に辿り着くと、口に赤い袋を加えて戻ってきた。そしてその袋をローズが受け取った瞬間、扉の結界が破られた。


「どこのネズミか知らないが、大人しくそれを返せば命だけは助けてやろう」


 そこにいたのは酷く残忍な顔をした公爵だった。その手にはルビーがはめ込まれた杖があり、真っすぐにローズに向けられている。外見のせいでローズだとは気づかれていないようだったが、長居は無用だ。


「リア」


 小さく囁いた声に反応したリアがローズの足の上に前足を載せた。体のどこかが触れていれば一緒に転移させられる。リアの足が自分に触れた事を確認すると、ローズは転移魔法でその場を後にした…はずだった。

 だがローズとリアの姿が消える事はなく、何かに弾き飛ばされたような感触を受けた直後、ローズは床に膝をついてしまった。


「ほう…王太子と同じ転移魔法を使えるものがいたとは…。お前が忍び込んだと同時に念のために屋敷を包む結界を強化した。残念だが屋敷の外に転移することはできんぞ」


 どうやら侵入者を検知した時点で結界を強化されていたらしい。しかも元々王太子をターゲットに強化されたものだとすれば、ローズといえどもそれを破って転移するのは難しいだろう。

 転移魔法が使えないのであれば、力技で逃げ切るしかない。

 ローズは万が一にもダイヤモンドに魔力が流し込まれないよう、ビロードの袋ごと強固な結界で包み込んだ。これで少なくともダイヤモンドが暴発することはないはずだ。

 同時に頭の中に兄から教えられた屋敷の見取り図と護衛の配置を思い浮かべる。公爵の言う事が本当ならば、屋敷の外には出られないが、屋敷の中なら転移可能ということだ。


「リア、そのままでいてね」


 小声でそう伝えると、護衛の配置が少ない客室へ転移してほっと息をついた。


「魔法での連絡も無理かしら?」

「無理にゃ」


 くるり、と周囲を見渡したリアがあっさりと答える。


「なら、強行突破しかないわね」

「結界にムラがあるからそこを狙うにゃ」


 そう指摘されてじっくりと屋敷を覆う結界を探れば、リアの言う通り力技であれば突破できそうな箇所がいくつかある。


「どうせなら派手な方がいいわよね?王宮にも伝わるような」


 笑顔でそんな事を言ったローズをリアが呆れたような目で見ている。好きにしたらいい、といったところだろうか。


「多分…正面突破できそうなのよね」


 人気がない場所の方が侵入されやすいと思っているのか、屋敷の裏手など普段人気が少ない場所に多く人手が割かれている。しかもそういった場所の結界は隙が無い。しかし結界間際まで転移できるローズならば、結界の弱いところを狙って内側から攻撃魔法を使って突破する事もできる。

 公爵もまさか正面から逃げ出すとは思っていないのか、正面の門の付近は結界が若干弱い。


「リア、ダイヤモンドを預かっていてくれる?そして攻撃魔法で結界を突破すると同時に私の肩に乗って。転移するから」

「わかったにゃ」


 ビロードの袋を咥えたリアがローズの足に前足を載せる。次の瞬間、ローズとリアの姿は門の目の前にあった。

 突然現れたローズに驚いた兵士が、声を上げるよりも先に結界に炎の攻撃魔法を放つ。

 ローズの魔力と結界がぶつかり合い、激しい火花を散らす。その光と炎は夜の闇の中で周囲の家々を照らし出す程の明るさだった。

 何度か攻撃を重ねると、弱かった部分の結界が消える。


「今よ!」


 消失した結界が修復されるよりも先に、結界の外に飛び出したローズの肩にリアが飛び乗る。


「待てっ!」


 追いかけてきた兵士が門の外に出た時には、既にローズ達の姿はどこにもなかった。

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