ローズの決意

 本格的にミシュレの弟子として修行を初めてから半年ほどが経過した頃には、ローズの魔力は強さ、制御全てにおいて他の追随を許さないほど成長していた。

 1年半前に、ローズの懇願に負けてミシュレへの弟子入りを許した家族も、これほどまでに成長するとは正直思っていなかっただろう。

 明らかに強すぎる魔力に一抹の不安を覚えるものの、今となってはあのミシュレに弟子入りした事は正解だったと思えた。どれほど強い魔力を持っていても、正しく制御できているのであれば問題はない。


 そんなある日、夕食の席で来年のローズの試験の話題になった。


「そういえば来年はもうローズの試験か」

「試験ではいい結果が出そうで楽しみだわ」


 穏やかにそんな会話をする両親をローズと兄リチャードが複雑な表情をして見つめる。そして自分はともかく、兄までもが複雑な表情をしている事に気づいたローズが「お兄様?」と声を掛ける。

 父親と同じ薄いブラウンの髪とアクアマリンのような青をした瞳に端正な顔立ちをしたリチャードは、本人は知らないが密かに令嬢達の注目の的になっている。


「いや…ローズの魔力を心配しているわけではないよ。むしろその結果の方が…ね」

「結果?」


 父の怪訝そうな表情にリチャードは小さく肩を竦めた。


「父上もご存じでしょう。王太子殿下の事は」


 そう言うと父が苦笑で応える。

 王太子ウィリアムはこのルダム国の王太子というだけでなく、その魔力もそこから生み出される魔法も歴代王族でトップクラスと言われている実力者だ。17歳という若さで、既に王の代理として一部の政務を行っていることからも、かなりの切れ者だということがわかる。

 ほんの少し青みがかったクセのある黒髪とサファイアのような深い青の瞳を持つ王太子は令嬢たちの視線を一身に集めるほどの美しい容姿をしているものの、その口元から甘い言葉が囁かれる事はない。

 常に冷静沈着で、政敵に対しても容赦がないが、幸いなのは為政者としては今の王を凌ぐほどの器を持っており、持っている力を正しく国のために使うということだろうか。

 しかしいくら優秀であろうとも、妹の結婚相手としてどうか、と言われればリチャードとしてはできれば遠慮したいというのが本音だ。


(あの王太子が義弟とか怖すぎるだろ)


 そんな心の中の声が聞こえたわけではないだろうが、父ができるだけ穏やかに答える。


「まぁ、そうなると決まったわけではないだろう」


 例えそれが希望的観測だとしても、今はそう言うしかない。だがそんな穏やかな流れを断ち切ったのは、他でもないローズ本人だった。


「試験でどんな結果が出ても、従うつもりはありませんわ」


 この爆弾発言に家族全員の驚愕の表情と視線がローズに向けられる。


「…ローズ?」


 恐る恐るといった様子で声を掛けたのは、この会話の流れを作ったリチャードだ。


「聞こえませんでしたの?試験結果に従うつもりはない、と言ったのですわ」


 なんでもない事のように言ったローズに父が溜息を吐いた。


「ローズ、そんな事ができないのはお前もよくわかっているはずだ」

「そうでしょうか?」

「ローズ、落ち着いて」


 窘めるように声を掛けた母にローズはほんの少し申し訳ないような気持ちを抱きながら、それでも自分の主張を曲げる事はしない。


「貴族である以上、国の為に尽くす事を否定するわけではありません。私が疑問に思っているのは試験制度そのものです」

「どういうことだね」


 まずは自分の話を聞いてくれようとする父に感謝しながら、ローズははっきりと自分の考えを告げる。


「試験で魔力の適正やレベルを測定するのはともかく、職業や結婚相手まで決められるのはやりすぎだと思うのです」


 確かに現在の制度であれば、効率よく個人の能力を活かす事ができ、将来に必要な能力の高い人材を生み出す事もできるだろう。

 だが…。


「私たちは国のいいなりになるだけの駒ではありません。心があるのです」


 そしてこのような制度に縛られているのは貴族だけだ。庶民は貴族のような高い魔力を持たない代わりに、人としては遥かに自由に生きている。もちろん、職業も結婚相手も自由に選ぶ事ができる。

 何よりも2年前のあの日見た光景は今でもローズの心に深く傷として残っている。


「何かあったのか?」


 一転して心配そうな声に変わった兄に、ローズは少し悲しそうな笑みを浮かべると、自分がそう思うようになった出来事を語った。




 あの日は兄リチャードの試験の日だった。

 ローズよりも2歳年上の彼は侯爵家の跡取りにふさわしい魔力の持ち主で、試験を好成績で終えると、王宮の重要な役職としての進路が決まり、両親はほっと胸を撫で下ろしていた。だが、その直後に試験会場でちょっとした騒動が起きた。


「いやよ!」


 悲鳴のような声がした方を見れば、一人の少女が泣きながら必死で掴まれた腕を振り払おうとしている。


「何を言っているのだ。無事定められたお相手が見つかったのだ。喜びなさい」


 父親らしき人の諭すような、困ったような声が聞こえてくる。しかし周囲の人々は一瞬だけその親子に視線を向けたものの、その中には好奇の視線も非難の視線もなかった。

 だがローズは違った。その少女は自分と仲のいい友人の姉だったのだ。

 お茶会などで訪ねた時には、花が綻ぶような優しい笑顔で迎えてくれた彼女が泣き叫ぶ姿など見たくなかった。

 だが今の自分にできる事は何もなく、だからこそどうしようもない怒りが胸の中に芽生えてくるのを止められなかったのだ。

 そんなローズの心の中とは裏腹に、周囲はよくある事とでもいうように全員が視線をそらすと、何事もなかったかのように試験が続行される。

 父親に抱えられるようにして会場を後にする少女のあとを、下品な笑いを浮かべながらついていく男がいる。おそらくあれが少女の相手なのだろう。


(確かにあれは嫌ね)


 そうしてあれが自分だったらどうだろうか、と想像した途端、激しい嫌悪感を感じた。

 そう、ローズはこの世界の当たり前に、この時初めて疑問を持ったのだ。


「ローズ。どうかしたのかい?」


 難しい顔をしている彼女に兄が心配そうに声を掛けてくる。

 ローズは「いいえ、なんでもありませんわ、お兄様」そう行って微笑んでみせる。


「そう?向こうで父上達が待っている。行こうか」


 そう言って兄が差し出した手を取ると、ローズは先ほど感じた嫌悪感を綺麗に隠して兄と共に両親の元へと向かったのだった。




「周囲の人々はまるで何事もなかったように振る舞い、彼女の声は誰にも届かず会場から消えていったのです」


 その時を思い出したのか、ローズがそっと目を伏せる。


「そして私もまた、何もできず、何もしようとせず、その場を立ち去ったのですわ」


 たかが13歳の自分にあの時できることがあったとは思わない。だがその時の出来事はローズの中に国の制度に対する疑問を植え付けるには十分すぎる出来事だった。

 沈黙を破ったのは父の溜息だった。


「…ローズ、お前の気持ちと考えはわかった。それが間違っているとはいわない。だが、この国では許されない事も事実だ。お前は試験の結果に従わないと言ったが、ならば試験のあとどうするつもりだったというのだ?」


 決して責めるような口調ではない。むしろ優しいといっていい程の表情と口調にローズもまた小さく笑みを浮かべた。


「そのための『修行』ですわ」


 国に束縛されないほどの力を持つこと。それが元々の目的だった、とローズは初めて打ち明けた。

 幼い頃から大人顔負けの魔法を見せる娘に両親はその力を正しく身に着けるためなら、とミシュレへの弟子入りを認めた。しかしまさかローズがその力を国に反発するために磨いていたとは驚くしかない。


「ご迷惑をおかけするかもしれませんが…」


 自分だけならいい。だが間違いなく家族にも迷惑がかかるだろう。それでも譲れない。


「それはまた随分と過小評価されたものだな」


 だが予想に反していつもと変わらぬ声でそんな事を言った父を見ると、仕方がないといった表情で笑っていた。


「可愛い一人娘に意に染まぬ人生を送らせて平然としていられるような親ではないつもりだったんだが…」

「お父様?」

「好きなようにやりなさい。あとは引き受けよう。なに、いざとなったら他国に亡命して悠々自適な生活ができる程度の力はあるから安心しなさい」

「それなら暖かい南の国がいいわね。ゆっくり過ごせそうだわ」

「母上まで…」


 王宮勤めのリチャードだけが窘めるような声を掛けたが、止めないあたりは流石親子といったところだろう。


「本当に…?いいのですか?」


 自分で言っておきながら戸惑った表情を見せるローズに家族全員が笑う。結局家族全員が溺愛しているローズに勝てる者などいないのだ。


「心配はいらないよ。ただ、一つだけ約束して欲しい」

「なんでしょう?」

「目的に拘るあまり、大切な事を見逃す事のないように」

「お父様…?」


 父に言われた言葉を小さく呟いたローズは顔を上げると、「わかりました」と笑顔で答えたのだった。

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