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「……え?!」


 インターホンに出て、ものすごい勢いで薄いパーカーを羽織るユミコ。

 フラつきながら玄関のドアを、いや部屋に戻った、風邪薬を出した引き出しからマスクを引っ張り出して付けてる、やっと玄関のドアを開けた。


「来ちゃった、僕も直帰になったからさ。ちゃんとご飯食べた?」

「はい、食べました!」


「差し入れ」

「いえ、そんな!」


「いや草野さんの代わりに田中さんを指名したの僕だし、あんまり外回りとか出てなかったのに急にゴメンね。外暑いし、エアコン効いてるトコ多かったから体調崩すよね」

「いえ、それは私が軟弱なだけで、はい!」


「軟弱って、フフッ。田中さん面白いよね。はい、とりあえずコレあげるから、早く元気になって」

「はい、あの、はい、あ! 待って下さい!」


 ユミコがパタパタ走る、部屋の中で走るなんて初めて見た。風邪のユミコを走らせるなんて、なんだこの男は?


「ああいいのに、そんなの」

「ダメです、ありがとうございました!」


 ボールペンを渡すユミコ、あの女はこれ見よがしに、見えないけど男の耳に腰掛けて茶色い髪にベッタリとくっ付いた。嫌な奴だな。


 なるほど、この男が早瀬、さっきのメッセージの相手か。


 どうやらユミコが風邪を引いたのを自分のせいとして、その詫びに差し入れを持って来たか。

 しかしボールペン一つ大事に出来ない、自分の持ち物を『そんなの』呼ばわり、気の強そうな女が好みの男だ。

 近付くなユミコ、その男はなんとなく止めておけ。


「はい、わざわざどうも」

「ありがとうございます、はい……えっと、あ、どうしてウチが分かったんですか?」


「あれ? 覚えてない? 研修の時に話したじゃん」

「そ、そうでした! ……っけ?」


「じゃ、帰るね」

「あ! はい! ありがとうございます、お疲れ様です!」


 パタンと閉まるドア、ユミコの周りはオレを筆頭に見えない物であふれてる。みんな同じ気持ちだと思う。


 ユミコは周りが彼氏やら何やらと騒がしくなっても、生身なまみよりアニメという学生時代を過ごした。

 今はやっと人間を好きになっているけどヴィジュアル系だ、身近な男になんて全く免疫が無い、だからこそアイツは止めておけ。


 モヤモヤする、友達すら来た事の無いこの部屋に男が訪ねてくるなどと。


 ヒョイッとテレビのリモコンで視界いっぱいになった、笑顔だ。


「ペンペンこわーい」

「……え、ああ、いえ、怖いですか? 失礼しました」


「アレはダメだよね、なんか雰囲気が」

「いや、まあ、はい、ユミコも年頃です。オレ達が口を出す話では無いでしょう」


「多分だけどさ、ペンペン、言葉と心がウラハラ過ぎて面白い」

「そうですか? そんな事ありませんよ?」


「まあいいや、とりあえずユミコの寝顔鑑賞会だ、行こ!」

「はいはい」


 リモコンに手を引っ張られて、玄関にミッチリ密集してたみんなも解散。


 だけど、寝顔鑑賞会はまだ後になりそうだ。

 予想に反してユミコはベッドには戻らず、差し入れの袋から出したバナナをテーブルに置いてボーッと見てる。


「ねえペンペン、さっきの男さ」

「早瀬さん、ね」


「ああ早瀬、アイツでも、じゃなくてもさ、いつかユミコに彼氏が出来たら……バイバイだよね」

「何を言ってるんですか? ユミコがテレビを処分するはず無いでしょう」


「そのテレビでさ、芸能人の新婚家庭を覗き見ちゃえー、とかさ、ドラマとか何でもやるじゃん。大体結婚する二人で家具選んで、家電選んでさ」

「……は?」


「だからユミコが彼氏と同棲とか結婚したら、お別れだよ、ペンペン」

「……嫌ですよ、何言ってるんですか」


「いやいや、覚悟ぐらいはしといた方が……」


 ガラステーブルの隅で、引っ張られた時のまま繋いでいた手を握り締める。


 決めた。オレは決めた。オレが決めたんだ。


「ユミコに!」

「はい?!」


「男は出来ない、要らない、作らせない。良いですね?」

「は、はい!」


 ブンブン頷いてくれるリモコンの頬を両手で挟んで止まらせる、真っ直ぐ目線を合わせる。

 オレはそんなに怖い顔をしてたのだろうか、リモコンの喉がゴクリと鳴った。


 パトカーのサイレンが遠くに聞こえる。


「……冗談ですよ」

「いやペンペン、それはもう無理がある」


「フフッ、本当に冗談です。ユミコの子供なんて可愛いに決まってます、見たいじゃないですか。いつか結婚はしてもらわないと」

「絶対そんなコト思ってないでしょ?」


「思ってますよ、失礼ですね」

「いや今ペンペンの本性を見た、見ちゃった」


「フフフッ」

「……ンフッ」


 オレに釣られて笑うリモコン、これで良い。

 もう誰にも言わない。

 オレは目の前でバナナを食べ始めたユミコと、まだ全裸のままだったテレビのリモコンを守ると決めた。


 結婚や同棲でそんな危険があるとは思ってもいなかった。長く同じメンバーで暮らしている内に、メインのみんなは壊れるまでずっと一緒だと思い込んでしまっていた。

 そしてユミコは大事に使ってくれるから、まだまだ遠い未来の話、いつかは来るけど先の話だと。


 そんな事は無い、オレ達は物だ。使わないなら処分される。

 永遠じゃない。


 近付く人間の男は消そう、そうしよう。

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