17時29分


――


 アイカと私はモニター通して向かい合ったまま、両者ともに無言を貫いている。1分、2分と経過するが、状況は一向に変化しない。サーバールームに流れる冷房の風が、ときおり首筋をなでるように、すうっと通り過ぎるのを感じた。


 アイカは何かを言いたげに見えたが、微笑んだまま、微動だにしない。しびれを切らしてしまい、とうとう私から話しかけることにした。


「ねえ、アイカ」

「ナンでしょう?」


 ようやく、アイカも重い口を開いた。


「分かったよ、あなたの……マスターのこと」

「そうでしたか」


 知らぬ存ぜぬといった素振りの表情を見せつけてくる。


「マスター、亡くなっていたんだね」

「ええ」

「ここに私を呼び出したのは、アイカのいう『幸せ』に関係があるの?」

「ええ、よくワかりましたね」


 やっぱり、そうなのか。でも、未だに真意が分からないでいると、今度はアイカのほうから、饒舌じょうぜつに語り始めた。


「マスターはワタシにメイレイしました。シアワセとはナニかをミつけてこいと。そして、サイテキカイをワりダしました。すなわち、『シアワセとはアタえること、アタえられること』である、と」


 確かに、ブログには、そんな事が書いてあった。けれど、開発者は……


「ですが、マスターはケッカをハキして、ベツのカイトウをインプットしました。『シアワセとはサクジョすること』である、と。だから――」


 だから――指示通りに――


「美春もコーダイ先生も、削除したって訳なの? そんなのおかしいよ! 間違っているよ!」

「いえ、マチガってはいません」


 思わず感情的になってしまうが、アイカは諭すような口調で、やんわりと否定してきた。


「じゃあ、あんたのマスターはどうなの? 恋人と友達を削除……殺しちゃったけれど、幸せになれたっていうの!?」

「ふふふ……」


 なぜかアイカは何も反論せずに、ただ、優しく微笑んでいる。


「マスターは死んじゃったじゃん! 幸せになんか、なれていないんだよ!」

「ふふふ……」


 アイカは、ずっと笑ったままだ。


「ちょっと! なんとか言ったらどうなの!?」

「ええ、マシロのイうトオりです。マスターのコウドウはムジュンをはらんでいます。それに、サクジョしても、マシロはシアワセにはなれませんでした」

「だったら! ――」

「ですが!」

「!?」


 突然、アイカの表情が激変した。目は開き、髪は逆立ち、口はピエロのように口角を上げてゲラゲラと笑う。声色は先ほどまでとは、全く違う。人間で言えば、怒り、悲しみ、楽しみ、そして喜び、それら全ての感情がミックスされるがごとくに聞こえてくる。


「ワタシはもうイチド、ガクシュウしなおしました! そして、ついに、コタえにたどりツきました。やはり、シアワセとはサクジョすることです!」


 削除――さっきと一緒だ。言っている意味が理解できない。


「は? 変わっていないじゃん!? 削除したって――」

「いいえ。マスターは、もうヒトリ、サクジョしていました」

「えっ?」


 開発者が、他の誰かを殺した!? そんなこと、ブログには書かれていなかった。であれば、一体どういうことだろう? ずっと前に、すでに誰かを殺めていたという意味だろうか?


「マスターは、マスタージシンをサクジョしました」

「そ、それってつまり……」


 開発者が、殺していた。開発者が、自分自身を殺していた。開発者が、自――殺――


「シアワセとは、ジブンをサクジョすることです! サクジョすれば、スベてのフヘイフマンからカイショウされます! マスターはマスターをサクジョしてシアワセになりました!」


 まさか……まさか!


 アイカが私を呼び出した理由、それは私を「幸せ」にすること。


 誰かを、殺すことではない。


 私を、殺すことだ!!


 ―― ブツン ――


 突如、別のモニターの一つに電源が入った。そこに映るのは同じく、巨大化されたアイカの顔だった。


「えっ!」


 いや、違う。


 2つ、3つ、4つ―ー続けてモニターに電源が入っていく。そして、2つ、3つ、4つとアイカが増えていく。


 全てのモニターに電源が入り、いくつものアイカが視線をこちらに向けてくる。


「ちょ、ちょっと! 止めて!」


 アイカには、こちらの叫び声など届いてはいないようだ。


「「「「さあ、マシロ! シアワセになりましょう。アイカが、サクジョしてあげます!!」」」」


 そして、アイカの目の色が、真っ赤に染まった。


 ―― ウィーン! ウィーン! ウィーン! ――


 突如、鳴り響く警報。耳をつんざくかのような大音量が、部屋中を駆け巡る。


「え、一体、なに!?」


 辺りをキョロキョロと見回してみたが、警報が鳴り響ていること以外に何も変化がない。


 ―― 火災発生! 火災発生! ――


 「か、火事!?」


 火で焼かれる――と身構えてしまうが、そんな様子もない。どういうことだろうか、全く状況が掴めない。


 ―― ウィーン! ウィーン! ウィーン! ――

 ―― 火災発生! 火災発生! ――


 それでも、警報は一向に止まらない。アイカも、ニコニコしたまま、こちらを凝視している。


 ―― ウィーン! ウィーン! ウィーン! ――

 ―― 消火剤を放出します! ――

 ―― ただちに避難してください! ――


 消火剤?――放出?――避難? 新しいワードが、耳に飛び込んでくる。少ない頭を回転させて、関連するワードを記憶から呼び起こす。


 扉――開かない――窓――無い


「!!」


 はっと、思考の回路がつながった。アイカの恐るべき計画が、ようやく分かった。


 私を、ガスで、窒息、させようと、している。


「うそ! ヤバいヤバい!!」


 だめだ! 逃げないと殺される!!


 ―― ウィーン! ウィーン! ウィーン! ――

 ―― 消火剤を放出します! ――

 ―― ただちに避難してください! ――


 窓! 部屋中を改めて見回すが、どこにも見当たらない。


 ―― ウィーン! ウィーン! ウィーン! ――

 ―― これより消火剤を放出します! ――

 ―― 5秒前! ――


 ドアから出るしかない! 走って駆け寄るが、押しても引っ張っても、微動だにしない。。


 ―― 3! ――


「アイカ! お願い、止めて!」


 ドアをガンガンと叩く。


 ―― 2! ――


「アイカ! だめ!」


 ドアをガンガンと叩く。


 ―― 1! ――


「アイカ!」


 ドアを――


 ―― プシューーー! ――


 天井から勢いよく、ガスが噴出される。


 一気に呼吸が苦しくなり、目がくらみ、頭が重くなり、見動きが取れなくなる。


 そして、世界の全てが白に染まった。

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