15時19分


 ――


 日中とは思えないほどの漆黒の闇に包まれた街を抜けて、私は急いで駅へと向かった。途中で、天気予報の通りにザアザアと雨が降ってきた。あいにく傘を持ってくるだけの余裕が無かったので、上も下もビショビショに濡れてしまう。


 駅に着いてすぐに、地図アプリで場所を確かめる。どうやら、街で唯一の商店街――だったのは過去の話で、いわゆるシャッター街を抜けた先を指しているようだった。


 駆け足でそこに急ぐと、大小のコンクリートのビルが立ち並ぶ、殺風景な場所が広がって

 いた。その中の一つ、小さな2階建ての建物に近づくと、地図アプリのピンがピタリと一致した。


 間違いない。莉奈は、ここにいるはずだ。緊張と恐怖で、思わず足が止まってしまう。けれど、この一歩を踏み出さないと莉奈は助からない。意を決して、中に入ることにした。


 見たところ、入り口は1つしかない。ガラスの両開きのドアをグイっとおすと、真っ暗で薄暗い廊下が奥まで続いている。ふと、横を見ると、メッセージボードのようなものが壁に掛かっていて、何か書かれていることに気が付いた。


 ――

 御用の方はインターホンを鳴らすか、廊下を進んで、事務所に入ってください。

 ※サーバーには手をふれないこと!

 ――


 ここの住民が書いたのだろうか。ということは、ここで誰かが暮らしているのかもしれない。そして、ボードの下には、確かにインターホンがある。


 少し不安になったが、おそるおそるインターホンのボタンを押してみた。


 ―― ピンポーン ――


 呼び出し音が鳴る。


 固唾をのんで反応を待つが、何もかえってこない。


 ―― ピンポーン ――


 もう一度、押してみたけれど、やっぱり無反応だ。


 仕方がない。ボードの指示の通りに、中に入ることにした。


 廊下は、ところどころ蛍光灯が切れていて、薄暗くなっていた。足元が見えづらいため、一歩一歩、確かめながら進む。


 それにしても、とても人の気配、というか、生き物のいる気配がしない。コツコツという私の足音と、排水管を雨水が流れる音が、不気味に響いている。本当に、こんなところに莉奈がいるのだろうか?


「莉奈!―…… いるの!?―…… いたら返事をして!―……」


 やはりというか、何の反応もない。私の精一杯の大声は、ビルの廊下をむなしく駆け抜けていった。


 廊下をさらに進むと、2階につながる階段に差し掛かった。手すりを頼りに慎重に2階へと上っていくと、そこには1枚の漆黒のドアが、行く手を遮るように立ちはだかる。どうやら、これが事務所の入口のらしい。取っ手のすぐ上にはICカードのセンサーが付いていて、きっと、これが鍵なのだろう。


 鍵はかかっていないのだろうか? おそるおそる取っ手を引っ張ってみると――重く冷たいドアがゆっくりと口を開けた。


「こんにちは―…… もしもし―…… 誰かいますか―……」


 ドアから顔を覗いて確認するが、さっきと同じく、誰からも反応は無い。覚悟を決めた私は、中に入って確かめることにした。


 事務室と書いてあったが、想像とはちょっと違った。どす黒く無機質なデスクトップPCが何10台と乱雑に置かれており、同じぐらいの数だけ、モニターも無造作に置かれている。学校のサーバー室をさらに大きくしたような感じで、どうやら、その全てに電源が入っているみたいだ。グオーという、巨大な扇風機が回っているかのような音が、部屋じゅうに響いていて、かなりの騒々しさだ。


 部屋の中を一通り確認してみたけれど、莉奈はどこにも見当たらない。というよりも、マウスやキーボードに積もった埃を見るに、何日もの間、ここには人などいなかったのではと邪推してしまう。


「莉奈―…… お願いー…… いたら返事をしてー……」


 願いは、届かない。


 困った。唯一の手掛かりを失ってしまった。もしかして、莉奈は場所を間違えたのだろうか? だったら、もう駄目かもしれない。ああ、莉奈……


 ―― ブー ブブブ― ――


 突然に、スマホのバイブが振動して、着信を伝えてきた。


 誰だろうかと画面をチラリと確認して、そして……絶句した。


 莉奈だ!


 莉奈が私に呼びかけている!


 ―― ブー ブブブ― ――


 再び、着信のバイブが振動した。慌てて通話ボタンをタップすると、莉奈のほうから、声を掛けてきた。


「真珠、おばんですーって、ちょっと早いよねー」


 間違いない! 莉奈の声だ! 莉奈は、無事だった!……けれど、すぐに強烈な違和感を覚えた。


「あれー? 真珠さーん? おばんですよー?」


 さっきとは違う! 明るく元気な、これぞまさに莉奈って感じの声が、スピーカー越しから響いてくる。


「え、ちょっと!? 莉奈!? もう大丈夫なの!?」

「うん、やっぱり、真珠とお喋りしていると元気がでてくるっていうか、ようやく気持ちが落ち着てきたよ」


 ちょっと何を言っているの!? あなたは、私に弱弱しい声で「助けて」とだけ呟き、そして通話を切ってしまったのだ。なのに、まるで何も無かったかのように振る舞うのが、全く信じられない。


「そんなこと聞きたいんじゃなくて! 無事なの!?」

「えっと? 無事って何が?」

「だって、さっき通話したときは……」

「さっきって? 学校が終わってから、話なんかしていないじゃん」


 全く話が嚙み合わないどころか、まるで、私のほうが間違っているかのように返してくる。ますます、分からなくなってきた。


「え……どういうこと?」

「うーん……それは、こっちが聞きたいんだけど」

「今、どこにいるの!? 何をしているの? 平気なの?」

「もう、さっきから何なのさ! 家に帰ってから、ずーっと動画サイトを見ていて、時間をつぶしていました! これでOK?」


 莉奈は、ちょっとキレ気味になっていた。通話などしていないし、特に何も起こっていないなどと口にしている。だけど、あの時たしかに私に通話してき――


「う、うそ……」


 ない!


 どこにもない!


 さっきの莉奈との通話履歴が見当たらない! 最終履歴は今日の朝6時ごろ、コーダイ先生の死を伝えてきたのが最後だ。なんで? 莉奈と通話したのに!


 そうだ、DMを送ってきたはず……なのに、いつの間にか、これも無くなっている。履歴上では、私と莉奈は何もやり取りをしていないことになっている。


 そんなはずはない! だって確かに、この耳で莉奈の声を聞いたのだ。普段とは違う、弱弱しくて無機質な――


 ……無……機……質……な……


「ま、まさか……」


 無い事を有るかのように出来る、有る事を無いかのように出来る、そんな非現実的な事が実現可能な、この世でただ一つの存在――


 それが、アイカだ。まさか……一つの、恐るべき仮定が、頭の中で浮かんでくる。


 ―― ガチャリ ――


 鍵がかかるような音を聞いて、はっと、我に返った。全身に悪寒が走る。私は、この出来事に心当たりがある。


 急いでドアに駆け戻り、取っ手に手を伸ばして、それを――


 開かない! 鍵が掛かって、ピクリともしない!


「どうして!? 誰か! 誰か開けて!」


 ドンドンとドアを叩いて助けを呼びかけるが、応答は無い。そもそも、人の気配など、全く感じることができない。


「莉奈! 大変、私――」


 スマホの画面を見て、愕然とした。いつの間にか、通話が切れている。再度、掛けなおそうとするが……違う、駄目だ。圏外になっている。


 外部への通信手段を絶たれて、そして外部への逃走手段を絶たれてしまった。


 部屋に閉じ込められたのは、人生で2回目だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る