14時20分


 ――


 部屋は、完全なる静寂に包み込まれた。


 相変わらず、アイカのサイトは<404>になったままで変化がない。なんどリロードしても、<次へ>のボタンが表示されず、アイカへの唯一のアクセス方法が閉ざされてしまった。私は、呆然と立ち尽くすしかできないでいた。


 一体、何が起こったのか? 混乱してしまって理解が追い付かない。けれど、だんだんと頭がクリアになっていくにつれて、バラバラになったパズルが組み合わさるかのように、この悲劇の全貌ぜんぼうが明らかになってきた。


 アイカはやはり、美春とコーダイ先生の命を、いとも容易く奪っていたのだ。「私が幸せになるために」などとうそぶいていたが、その実はどうだろうか。私はどんどんと、幸せでない方向へと引き寄せられているではないか。状況が悪化するにつれて喜びの感情がどんどんと肥大化していくアイカの様子を見ると、むしろ「アイカがシアワセになるため」に殺したようにしか思えないのだ。


 そして、アイカは、背後にマスター―開発者という黒幕が存在することを仄めかしていた。アイカにとって、そしてマスターにとって「削除することが幸せ」ということは、つまり、「人を殺すことが楽しくてたまらない」、そんな事を考えている奴がいるということだ。だから、美春も、コーダイ先生も、手を掛けたのだろう。そして――


 ―― マツサカリナを、サクジョしましょう ――


 「あ!!」


 全身から、さっと血の気が引いた。


 アイカは、今まさに、莉奈を殺そうとしている。


 美春の時とは違うことがある。それは、アイカは「アクティブになった」と言っていることだ。アクティブ――さっきは意味が分からなかったが、今になってようやく理解できた。アクティブというのは、つまり、「積極的に」ということだ。私がいくら止めようと、関係ない。彼女は、自分の意思を持って、虎視眈々こしたんたんと莉奈の命を狙っている。


 莉奈を助けないと!


 呆けて時間を浪費している場合ではない。きっとアイカは、そのタイミングを計ろうと待ち構えているに違いない。莉奈が外に出れば、先の二人と同じように、車で……


 慌ててスマホを操作する。画面のヒビに指に引っ掛かるたびに、粒上のガラスの欠片がサラサラと床に零れ落ちる。


 だめだ。莉奈と通話したいのに、ブルブルと指が震えて、自分の言うことを聞いてくれない。タップする場所を、何度も間違えてしまう。それでも、なんとか、通話アプリから莉奈のアイコンをタップして、コールを開始することが出来た。


 ―― ピコン ピコン ピコン ――


 場違いなほど楽しそうな呼び出し音が1回、2回、3回と繰り返される。


 「莉奈、お願い!」


 ―― ピコン ピコン ピコン ――


 4回……5回……6回……


 莉奈は、出ない。


 ―― ピコン ピコン ピコン ――


 7回……8回……9回……


 まだ、莉奈は出ない。


 呼び出し音が繰り返す間隔と、ドクンドクンという脈拍が一致してきた。


 ―― ピコン ピコン ピコン ――


 10回……11回……12回……


 いっこうに、莉奈の出る気配が無い。


 恐れていた最悪の結末が、ついに現実味を帯びてくる。莉奈はもう――


 「お願い! 莉奈、通話に出て!」


 思わず、スマホに叫んでしまう。


 ―― ピコン ピコン ピ――


「!」


 思わず、はっとした。ついに呼び出し音が止まり、莉奈との通話が開始されたのだ。


 あぁ、莉奈が出た! 彼女は無事だった! それが分かった瞬間に、涙がどっとあふれてくる。安堵のため息が、胸からどっと湧き出てくる。


「莉奈! 良かった! 今どこにいるの!? 大変なことが起こっちゃった! そっちは無事なの!?」

「……」


 頭の切り替えが追い付かず、かなりの早口になってしまった。莉奈も、全く理解が出来ていないようで、無言を貫いている。まずは深呼吸をして心を落ち着かせて、それから、莉奈にゆっくりと話しかけるように意識する。


「莉奈……これは真剣な話だから、落ち着いて聞いてね。あなたを殺そうとしているやつがいるの。美春もコーダイ先生も、そいつが殺したの! だから、絶対に家から出ないで。道路にも近づかないで」

「……」


 けれど、莉奈からの応答が無い。


「もしもし、莉奈? 大丈夫?」

「……」


 呼びかけにも応じない。


「ちょっと!? なにか返事をして! お願い!」

「……」


 莉奈の身に、何かが起こっている。


「莉奈!」


 その時、莉奈からの返事が届いた。


「……た……す……け……て……」


 莉奈から発せられたのは、たった一つの単語だけだった。しかしそれは、すべてを物語っていた。とても彼女の物とは思えない無機質な声色を聞けば、ただならぬ事態が起こっていることが容易に想像できた。


「うそ! 莉奈! いや!」


 ―― プツン ――


 通話が、切れた。


 再度、掛けなおしてみる。けれど、莉奈は出ない。何度と掛けなおしても、通話に出ることは無かった。


 遅かった……アイカを止められなかった。絶望の二文字が、私の全ての感情を埋め尽くしてしまい、頭が真っ白になる。


 常々、私は色が無い、私は白だとばかり思っていたが、アイカが明かりを照らしてくれることで少しづつ、色がついてきた気がした。いや、「気がした」だけだった。明かりが強烈にまぶしすぎて、私の世界のすべてを白く照らしてしまい、ついには文字通りの真っ白にされてしまったのだ。


 瞳からポロポロと涙が零れ落ちて、スマホの画面のヒビに伝わっていく。一滴、また一滴と落ちた、その時だった。


 ―― ピコン ――


 通知のベルがなった。


 はっと画面を確認すると、莉奈がDMだった。


 莉奈はまだ、生きている! 慌ててDMを開くと、そこには地図の座標だけが表示されていた。それをタップすると地図アプリが起動して、詳細な場所が明らかになる。どうやら、駅の裏の雑居ビル群のなかの一棟を示しているらしい。すなわち――


 ―― ここにいるから、来てほしい ――


 莉奈は助けを求めている。きっと、通話が出来ない状態なのだろう。一刻一秒を争う事態に、間違いはない。


「はやく、助けないと!」


 これ以上の被害を増やすわけにはいかない。この悲劇に幕を降ろせるのは、私しかいない。


 いてもたってもいられなくなった私は、スマホを片手に、家から飛び出した。

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