17時34分
「なんだ、真珠じゃないか」
その声の主は、コーダイ先生だった。先生と学校以外で会うのは、ほとんどない。いや、たぶんだけれど、今日が初めてなんじゃないかなと思う。
街の外で出会う彼は、普段と変わらずといった感じだった。ただ、よく見るとワイシャツがヨレヨレで首元のボタンが外れている。というよりも、コートを着ていないみたいだ。寒くないのかなと疑問に思うけれど、よく考えれば、私も上着を着ていなかった。制服姿の学生とスーツ姿の先生。学校の教室ならば至極全うな絵面なのだけれど、寒空の川のふもととなれば、不自然極まりないだろう。
「今日は早退したのじゃなかったのか? こんな時間に、こんなところで、何をしているんだ?」
先生らしいことを淡々と口に出してくる。でも、少し疑問が生じる。こんな時間にこんなところで、先生こそ何をしているというのだろうか。ちょっと休憩をしているとしても、ここは学校から離れすぎている。もしかしたら、私と同じように――なのかもしれない。
「え、えっと……体調が悪かったんですけど、家で休んでいたら治ったって言うか……ちょっと気分が落ち着かないので、夕日でも眺めていようかな……と」
嘘――なのかは定かではない。少なくとも、「気分が悪い」の下りは、間違っていないと思う。
「ふぅん、そうなんだ」
「……」
先生の顔からは、一切の感情が読み取れない。もともと、そういう感じのタイプなのだけれども、今日はちょっと度が過ぎているように思える。なんだか不気味に思えてしまい、私もつい、黙ってしまう。
そうしていると、彼はちょっと溜息をつきながら、さらに質問を投げかけてきた。
「真珠は……美春の事が気になるのか?」
美春! 思わず顔をしかめてしまった。動揺したのが、バレてしまったかもしれない。
「え、どうして?」
「いや、涙が出ているから」
「あ、本当だ……は、はい……まさか、美春がこんなことになるのだなんて……私、信じられなくて……」
あっと思って、目を左手のシャツでこすると、袖が濡れてしまった。美春の事で動揺が隠せないのは事実だけれど、その真意を、よりによって、この人に悟られるわけにはいかない。だから、とっさに嘘をついてしまった。
「そう、信じられない……か」
「え?」
少しだけ、うっすらと笑ったように見えた。かけているメガネが街灯の明かりに反射して、その奥の様子があまり見えないのだけれど、時折うっすらと透けて見える彼の目は、真っ赤に充血しているようだった。
「美春が死んで、悲しい?」
「は、はい。なんで?」
「……」
正直、彼が一体、何を考えているのかが分からない。もしかしたら先生も、美春の事でパニックになっているのかもしれない。だけれど、私の心の奥底では警報機がリンリンと鳴っている。これ以上、この人と会話をしてはいけないと。
「ちょっと、もう遅いので家族に心配かけちゃうかなと。私、帰りますね」
「……」
そう言ってみたけれど、先生は無表情のままで黙っている。私はたまらずに、そそくさと帰路へと歩みを進めることにした。
「先生、さようなら……」
軽く会釈をして、スタスタとこの場を離れ出す。なんとなく、背中に彼の視線が刺さってくるような気がする。もう少し、あと少し。早く分かれたいがために、だんだんと小走りになってしまう。
「真珠さあ、お前、違うだろ!」
「!」
突如、背中越しに大きな声が響いてきた。驚いて振り向いてみたら、さらに驚かされた。彼は――笑っていたからだ。
「美春が死んで、うれしい、だろ?」
「え! なんで? そんな訳……」
ドキッとした。へらへらと笑いながら、名探偵がごとく、確信をついてきた。
「美春に、俺の関係をチクるぞって脅したのは、お前だろ!」
「ち、ちがいます! それは……」
本当です。ごめんなさい。でも、それを追及してくるということは――ついに、先生は私に牙を向けてきたと、ハッキリと思い知らされた。
ああ、本当は一刻も早く、この場から逃げ去りたい。出来るものなら、ダッシュで撒きたい。道路を行き交う車の前に飛び出して「ヘルプ!」って叫びたい。
でも、肝心な時に、足が動かなくなる。蛇に睨まれた蛙というのは、こういう時に使うのだろうか。しまいは、声を出すのもやっとになってしまう。
「美春は悩んでいたぞ。真珠とは仲良くしたいのに辛く当たってしまうって。いつも、俺と会うたびに愚痴を言ってたなぁ。それなのに、お前ときたら」
「……」
そんな訳はない! だって、美春はずっと、私をからかうたびに笑っていた。あの笑顔は、絶対に本心から出ていたはずだ。先生は間違っている。美春はそんな子じゃない。きっと――
「お前のせいで、俺の人生は滅茶苦茶だよ! 美春と別れさせられたあげく、死んじゃうなんて! ああ! 真珠、この落とし前、どうやってつけるんだよ!」
「そ、そんな……」
そんな事を言われても、どうしたらいいのか分からない。時計の針を巻き戻せるものなら、戻してみせたい。でも、もう無理だ。美春を、こ――
「あ! そうか! お前か! さては真珠、お前が美春を殺したんだな!?」
ああ! どうして! 目を背けたくなる事実が、鬼と化した男の口から飛び出してくる。違う、たぶん、真実にたどり着いた訳じゃない。でたらめで言っているだけだろう。なんとか、取り繕わないと――
「ち、ちが……」
「うそつけ! きっとそうだ! そうだと言え!」
そう言うと、今度は一歩一歩、私のほうに近づいてくる。
「い、いや! こないで!」
慌てて逃げようとしたけれど、一足遅かった。私の両腕はがっしりと彼に掴まれてしまった。
「お前が美春の代わりに死ねばよかったんだ! 美春の代わりに……この手で!」
そう言って――コーダイ先生は、突然に両手を私の首に巻き付けてきた。力一杯に締めて、指の一本一本が、首の肉に深く潜りこんでくる。
「や、やめ……」
指が、気道と血管を締め付けてくる。口から唾液が零れ出す。助けての悲鳴を出そうにも、肝心の声が出せない。振り解こうにも、放してくれない。ああ、誰か――いや、誰も来ない。
お願い、殺さないで……どうか……
「死ね!」
先生の両手の力がさらに強くなった。鬼の形相の顔が、だんだんとぼやけてくる。そして、だんだんと視界が黒で覆われてくる。次第に、ゆっくりゆっくり、力が抜けていき、声が――
「……お、おね……が……」
いきができな
くうきがな
せかいが
まっし
へっどらいと
あれ?
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