17時13分


 ――


 夕焼けは、なんと美しいことか。


 もちろん、朝焼けも同じくらいに美しいと思う。莉奈と二人で見た今年の初日の出は、今まで見た朝日の中で一番だと思うくらいに綺麗で、辺り一面がキラキラと輝いて見えた。思わず、莉奈と一緒に「おおー」って声を上げたのを覚えている。


 ただ、夕焼けと朝焼けは根本的に何かが異なるような気がする。何かとは何か?と言われても困ってしまうのだけれど――例えるなら、朝焼けはピカッと明るく、夕焼けはボンヤリと暗い。朝焼けの街は赤いライトに包まれるがごとく、夕焼けの街は赤い塗料に覆われるがごとく。物理学的にどう違うのかは私の頭では全く理解不能だし、そもそも2つに違いなど無いのかもしれない。けれど、私は夕焼けのほうが好きだ。なんだか、真っ赤な夕日が地平に沈むのを見ていると、心が落ち着く感じがする。


 今、私は季節外れの寒空の下で、雲一つない夕空を眺めている。月並みだが、美しい。美しいものを美しいと表現するのは、陳腐で文学的ではないのかもしれない。ただ、夕日を目にするといつも、心の中で「美しい」と呟いてしまう。


 夕日をボンヤリと眺めていると、だんだんと、さっきまでの魑魅魍魎ちみもうりょうなる感情が和らいでいくのを感じた。


 あの時――家を飛び出してフラフラと街をさまよった私は、その後に、どこをどう過ごしたのかを全く覚えていなかった。どうやら、何時間もぼうっとしていたらしい。


 はっと気が付いた時には、昼と夜の境界線をまたぐ時刻に差し掛かっていた。街は夕日に照らされて真っ赤に染まり、静けさと冷たさが辺りを覆う。制服のまま、コートを着ないで出てしまったからか、ちょっと寒くて足が小刻みに震えていた。


 小さいころからの癖というか習慣みたいなもので、困った時や悲しい時、逆にうれしい時――すなわち何かあった時は必ず、学校の近くを流れる川の堤防にのぼっては、夕焼けを見て心を落ち着かせるのだ。今日は無意識に足を運んでしまったのだけれど、たぶんこれで正解だったと思う。バラバラに散らばっていた私の心のパズルが、だいぶ整理できてきたように感じるからだ。


 ここに来たのは何か月ぶりくらいだろうか。覚えている限りでは、初日の出の時に来たのが最後だと思う。ここは東の方角を覗けば朝日が、西の方角を覗けば夕日を堪能することできる、地域では有名な、風光明媚ふうこうめいびな風景スポットなのだ。夏場とかなら、地元のカメラ愛好家が三脚を立ててお気に入りの一枚を収めようとする姿が確認できるのだけれど、冬になって雪が積もってくると、そういう人はほとんど見られなくなる。今、この場所で、この風景を眺めているのは私一人だ。私のためだけに作られた巨大な映画館、というのは大げさだろうか。


 「はあ……」


 堤防の欄干に体を寄りかけて、一つ、溜息をつく。


 美春を殺めたのは、たぶん……私、ということになる。さっきは「こんなはずではなかった」などと言って、自分の気持ちにうそぶいてみたりしたが、そんなのは言い訳にすぎない。「こんなことになれば良い」と思いが私の中に少なからずあったのは事実だ。悪意を持って、敵意を持って<次へ>をタップしたのだから。ただ、ショックだったのは、私の中で無意識に猛獣を飼育していることに気づかなかったこと――いや、気づいていたけれど、見ようとしなかったことだろう。


「このあと、どうなっちゃうんだろう……。警察に行ったほうがいいのかな?」


 行ったところで、何とかなるのだろうか? 「AIが人を殺しました!」ってでも言えばいいのだろうか? いや、上手く説明できる自信が無い。だって、私はアイカとは会話しかしていないのだから、技術的にどうとか、具体的にどうとかが全く分からない。そもそも、アイカがはたして正しいことを言っているのかもアヤフヤだ。


 でも、ハッキリとしていることは、美春が亡くなったという事実だ。そして、私の手、私の指で、そのきっかけを作ってしまった。ドミノの先頭をそっと触れるがごとく、死という結果に向かってトリガーを引いてしまった。


「美春……」


 残り1年となった女子高生ライフを平穏無事に過ごせれば、それでよかったはずなのに……指から放たれた静電気がスマホの画面を伝わり、アイカのシステムに伝わり、そして美春の命を絶ってしまった。


「うぅぅ……美春、ごめん……」


 涙があふれて止まらない。泣いたところで、どうすることも出来ないのは分かっている。


 もしも、ブラウザで開いたサイトが正常でないのならば、リロードボタンを押して、もう一度やりなおそう。1回で正常にならなくても、2回、3回と繰り返せば、そのうち必ず正常に戻る。けれど、この現実はやり直せない。<404>は、いつまでたっても<404>のままなのだ。


「……あぁ……」


 思わず下を向いて顔を伏せる。ふと見ると、足元の雪には、いくつもの穴が空いていた。ぽたりぽたりと流れ落ちる涙が一滴、また一滴と落ちるたびに、じゅっと足元の雪を溶かして雪の中に埋まっていく。


 どれだけの間、涙していたのだろうか。夕日はすっかりと地平に沈み、街は赤色から褐色に変化していた。遠くの家々の窓から明かりがポツポツと灯っていく。雄大な遠くの山も、空との境目が分からなくなるほど、漆黒の闇に覆われている。


「もう……帰ろう……」


 堤防からきびすを返して、国道沿いの道を街に向かってゆっくりと歩くことにした。この道は地域の中で最も大きな幹線道路だから、次から次へと車が通り過ぎていく。対向車の真っ白なヘッドライトの明かりが目に入って眩しいから、通るたびに思わず目を背けてしまう。ふと、来た道を振り返ると、テールランプの赤色がずらっと連なり、川に掛かる橋を越えての向かい側まで続いていた。まるでクリスマスツリーに飾るLEDの明かりのようだけれど、それは季節外れというものだろう。


 トボトボと帰路につく。通る車は多いのだけれど、歩道を歩いている人は皆無というか、どこにも存在を感じ得ない。川沿いの道は、街に入るまでは、人の生活臭が全く無いのだ。まるで、私だけの一人舞台に立っているかのよう――


「おい!」

「!」


 一人舞台に突然、割り込んでくる人物がいた。背後から大きな声で呼び止められて、おもわずビクッとしてしまう。おそるおそる振り返ってみると、そこにいたのは――

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