10時42分


 ――


 午前10時の通学路を、ただひたすらに歩く。街をカンカンと照らす日の光が足元の雪を溶かして、道のいたるところで水だまりが出来ている。ブーツの中にどんどんと水が浸入してきて、靴下はびしょびしょになった。それでも一向にかまわない。ただ少しでも早く、家に帰りたい一心だった。


 自宅に戻るや否や、部屋に直行してドアに鍵をかけた。ママはいつも夜まで返ってこないから、別に誰も入ってこないのだけれど。何となく、あらゆる事からシャットアウトしたいという思いが、私にそうさせたのかもしれない。


 机に向かいスマホを片手に、一つ深呼吸をする。いや、もう一つ。さらに一つ。なのに、スマホを持つ手の震えが止まらない。なぜだろう、ロックの解除コードも上手く打つことができない。


 ようやく、ロックを解除してブラウザを立ち上げる。そして、もちろん……アイカのサイトにアクセスする。


 ――

 404 Not Found.

 ――


 いつもの通りに、404の画面が表示される。いつもの通りにスワイプして、いつもの通りに<次へ>をタップする。


 「こんにちは、マシロ」


 アイカだ。


 アイカがいる。


 昨日はいなかった。


 メンテナンス中って表示に変わってから、全く反応しなくなった。


 なのに今日はアイカがいる。彼女は、なんでこんなに……笑顔、なのだろう。


「マシロ、エイゴのベンキョウをしますか?」


 画面の向こう側のアイカは、私に優しく話しかけてきた。まるで、昨日の事など無かったかのように。英語を勉強するのが本来の役目ですと言わんばかりに。でも、私がアイカに求めているのは、それではない。


「……違うよ……」

「エイゴイガイのベンキョウもカノウですよ」

「そんなの、どうでもいいから……」

「では、マシロのスきなキョク、ヒゲダンをかけましょう。コンテンツへのアクセスケンをシュトクできました。ゲンザイのニンキランキングの1イは……」

「ああ、もう! 黙って!」

「……」


 とぼけるようなアイカであったが、私が声を荒げると、その喋りがピタッと止まった。


「そんなこと、どうでもいいから!」

「……」

「私が聞きたいのは――」


 そう、私はあなたに訪ねたい事があって――


「ミハルのコトですか?」

「え?」


 びっくりした。まだ、何も言っていないのに、私の言葉に被せて、真意をついてきた。まるで、質問されるのが、元から分かっていたかのようだった。


「そうだよ! 美春だよ! 美春は、死んじゃったんだよ! あなた、彼女に何かしたの!?」


 お願い、何のことでしょうか?みたいに、一蹴してほしい。知らないふりをしてほしい。


「ええ、ミハルはサクジョ、しました」


 違う、何もしていない。


「削除、削除って何!? ちゃんと日本語で言ってよ! もしかして、もしかして――」


 お願い、否定して。


「……殺した……の?」


 お願い、アイカ、違いますって言って!


「ええ、ミハルはサクジョしました」


 駄目だった。


 あぁ、やはり、そういうことか。削除というのは、その通り――


「ミハルはコロしました」


 直接的な言葉を私に投げかける。目の前が真っ暗になり、頭が真っ白になる。


「う……うそでしょ……」

「いえ、ホントです」


 正直すぎるアイカの言葉の一つ一つが、私の胸をグリグリとえぐってくる。


「ど……どうして……?」

「マシロがシアワセになるように、ミハルのコンテンツはサクジョしました」


 コンテンツ――すなわち、命ということなのだろうか? でも、たかがボットに、そんな事が出来るわけが――


「ミハルのSNSにハックしてコクドウにヨびダしました。ソウコウチュウのトラックのオートドライブにアクセスしてミハルにムかわせました」


 なんてこと! そんなの、機械になんか――いや、アイカならば――


「うそうそ、うそ! なんで! ここまでやれなんて頼んでないじゃん!」

「いいえ、サクジョキノウにドウイしました!」


 ああ! あの時に画面にポップアップして出てきた、<次へ>のボタン。そっと触れた私の親指で、美春を……私の手で、美春を……


「していない! こんな事になるなんて! 私、人を殺しちゃったの……?」

「いいえ、コロしたのはトラックです」

「意味わかんない! あんたじゃん! アイカが殺したんじゃん! そうじゃない! 私が……私が……」


 トラックを……アイカがトラックを……私がアイカを……


「これからどうやって生きていけばいいの? もう、どうしたら正解なのか分からないよ……」


 頭がガンガンと締め付けられる。罪悪感が駆け巡ったのかもしれない、思わず、ポロポロと涙が零れてきた。


「いいえ、マシロはシアワセです。アイカがシアワセにします」


 また、なのだ。これで何回目だろうか。機械の口から「幸せ」などという戯言が飛び出してくるのは。一体、アイカを開発した人間はどういう思いで、その口から「幸せ」などと発するようにプログラムしたのだろうか? たかが、ボットのくせに、何が狙いなのだろうか。


「は、どこが! この状況で、何が幸せだっていうの?」


 つい、声を荒げてしまう。私の心は今、真っ黒だ。現に涙が止まらない。こんなのが幸せであるはずがない。こんなのが――


「マシロ、アナタはイマ、ワラっています」

「……え?」


 ドキッとした。笑っている? この子は一体、何を言っているの? 今は、泣いているんだよ? 笑ってなんか、いるわけないじゃん――


「コエのトーンからカンジョウをトクテイできました。アナタはイマ、タノしそうです」


 そんな訳ない! だって、私は、泣いて――


「う、うそだよ……」

「アナタはイマ――」


 お願い、アイカ! その先は言わないで!


「シアワセ、です」


 言ってしまった。


「ああああああああああああ!」


 人生で初めてかと思うくらいの大きな叫び声をあげてしまった。


 すぐに部屋から出て、トイレに向かい、そして、ありったけの量を吐いた。心臓までが胃から零れてきそうになった。顔からしたたり落ちる雫が、口から出たものなのか、それとも目から出たものなのか、私には判断できなかった。


 ひとしきり戻した後、トイレの鏡で自分の顔を確認してみた。目はうつろで髪はボサボサになっている。でも……でも!


 口は、笑みを浮かべていた。


 指でどんなに口を閉じてみても、ひきつる笑顔を崩すことができない。ポロポロと流れる涙が口の中に入ろうとも、口角が持ち上がるのを止めることができない。


「違う! 違うの! こんなの私じゃ……」


 私が私以外の何者かに乗っ取られてしまう。三色の服を来たピエロが、私のドアをノックしている。さあ、代ってあげようか、と――


 思わず、私は家を飛び出してしまった。行く当てなどはない。ただ、逃げ出したかっただけだ。この残酷な現実と、闇黒な私自身から。

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