3月14日

09時25分


 ――


 <次へ>をタップすると、アイカは全く応答しなくなった。いくら声を掛けても、いくら画面をタップしようとも、何も反応しない。アイカの画像の下には<メンテナンス中>の文字が小さく表示されている。何度もリロードしても変わらない。


 何が起こったのか、いや、何も起こっていないのか? 分からないまま時間だけがいたずらに流れていった。


 結局、月曜日になってもアイカは戻ってこなかった。


 終業式を前日に控えても、あいかわらず授業はある。ふらふらとした足取りで、今日も学校へ向かう。歩くたびにグチャグチャと音がなるのは、雪解けの水がいたるところに染み出ていて、雪がドロドロに溶けているからだった。お気に入りのブーツは、泥にまみれて茶色いシミだらけになっていた。


「真珠、おはよ!」


 誰かが、後ろから肩にグイっと手を回してくる。毎回なので、いちいち確認することはしない。


「莉奈。おはよう」


 小さく、会釈をする。


「あれ、目の下にクマができているよ? 寝不足かな?」

「うん、ちょっとね」

「もしかして、昨日の事とか?」

「まあ、色々あって」


 結局、昨日は一睡もできなかった。ただ、その原因は、莉奈が想像しているものとは違う。削除――この二文字が、私の頭の中でグルグルとメリーゴーランドのように、今も回り続けている。


「そうなんだ……。あのさ、美春のことなんだけどさ――」

「そうそう! 莉奈、春休みに入ったらどっか遊びに行かない? 〇×タワーの近くに会アウトレットできたんだけどさー、あ、そうだ! バイトしなきゃだけど――」

「う、うん……」


 莉奈から「美春」の単語が飛び出してきたから、慌てて話を遮ってしまった。もしも今、その話をすれば、たぶん私は私でいられなくなる。


 莉奈はちょっと戸惑ったような表情をみせたけれど、すぐににっこりと笑って、話に合わせてくれた。どこまでかは分からないが、彼女なりに察してくれたみたいだった。


 ――


 教室に入って、自分の席に腰を下ろす。終業式が間近だからか、早めの春休みに入った生徒が結構いるみたいだった。先生からは、進級に伴う連絡のため終業日は出席するようにお達しが届いているのだけれど、平気でガン無視するところが、うちの学校のルーズな校風を確固たるものにしているのかもしれない。


 ちらっと、美春の席に目を向けてみるが、彼女は未だ出席していないみたいだ。


 「はい、みんな、席について!」


 ガラガラっと扉が開いて、コーダイ先生が入ってきた。ただ、ちょっと雰囲気が違うというか、授業という感じではない。


「あれ、コーダイ? 1限は世界史だよね?」

「センセー、教室をまちがえているよー」

「アハハ!」


 生徒からツッコミが入るが、コーダイ先生は意に介さずといった感じで、黙って教壇に向かった。


「……」


 教壇についても、先生は黙ったままだった。昨日と同じメガネの向こう側には、昨日と違う先生の瞳が透けて見える。普通じゃない、そう思わせる彼の姿を見たからか、私たち生徒はすぐに静寂に包まれていった。


「え……何かあったの?」

「……これから緊急の朝会を始める。みんな、冷静になって聞いてほしい」


 淡々と語りだすが、教壇に置く手が微かに震えているのを、私は見過ごさなかった。


「昨日の夜、み……」


 先生のゴクリと唾を飲む音が、教室全体に聞こえたような気がした。


「み、美春……一条美春さんが亡くなりました」


 !!!!!


 美春が……死……ん……だ……!?


 頭が真っ白になった。目の前が真っ暗になった。心は地獄の業火で真っ赤になった。


 ―― 一条美春を消去しますか ――


 ―― ミハルをショウキョ ――


 ―― ショウキョ ――


 昨日のアイカとのやり取りがフラッシュバックでよみがえってくる。


 まさか――まさか!!


 ―― ザワザワ ――


「うそ……美春が!?……」


 突然のことに、教室は一斉に騒ぎ出した。うろたえる女子、絶句する女子、そして泣き出す女子。みんな、冷静さを保つことが出来なくなってしまった。


「静かに、静かに! 昨日の夜に交通事故にあり、ご両親の病院にて息を引き取ったとのことです。まだ詳しいことは分からないけれど、事件とかではありません。お通夜など詳しい事が分かりましたら、追って連絡します。とても悲しいことですが、みんなはどうか冷静でいてください。では、今日の全ての授業は自習とします!」


 間髪入れずに捲し立てた後、コーダイ先生はまるで逃げるように教室から出て行ってしまった。早口でしゃべる先生の様子は一見すると落ち着きを払っていたかのようだったが、本当は、この場に居たくないという気持ちの表れだったのかもしれない。


 先生が去った後もずっと、教室は騒然としていた。


「……うぇぇー、美春ぅ……」


 横を見るとボロボロと涙をこぼす子がいた。取り巻きのA子だった。彼女たちは1年のときからずっと、美春と行動を共にしていた。思いがけない不幸を目の当たりにして、ショックを受けるのは当然だろう。


「ちょっと、泣かないで……」

「だってぇ、だってぇ……」


 取り巻きたちが慰めるが、A子は一向に泣き止む気配が無い。


「だってぇー……美春がいなかったら……帰りのスイーツ、自腹で払わなきゃいけないじゃん!」


 ―― え? ――


「アハハ、たしかに!」

「タピオカ、飲みたかったのにぃ」

「そういや、駅前のバーガー屋でタピオカが期間限定で復活してるってよ」

「AHAHA!」


 A子の様子を見て、ぎょっとした。さっきまでの涙はどこへやらで、ゲラゲラと下品な笑顔を見せているのだから。


「「でも美春って可哀そうだよねー えーそう? うんだってカネヅルだから付き合ってあげていたのに気が付いていなくて ヨイショするとすーぐ嬉しそうにするんだよねー そうそう女王様お金をくださいって アハハ でも美春もまんざらでもなさそうだったからお互い様じゃない? 絶対私たちの事を下に見ていたよね わかる! ちょっと勉強とかできるからって ていうか言うほど頭良かったのかな コーダイの授業中はずっと漫画を読んでいたよね そうそう実はコーダイとデキていたって噂があるんだけれど え まじ!? うん なんか怪しい建物に二人で入っていったらしいよ まじそれって犯罪じゃね うん犯罪 じゃあ数学の点数も底上げされていたって感じ? えーゲンメツー まじめにやってる私たちがバカって感じ? ほんとだよねー でもそうならコーダイってショック受けているんじゃない? それなんだけど美春のほうから振ったのを見たやつがいるって えーコーダイかわいそー コーダイもよく冷静に振る舞えるよね 強がりじゃね?ああでもしてないとみたいな マジナケルー ていうかほかの教科の先生ともデキていたとか? ありえるー オッサンキラー半端ないって アハハ そういえば美春の両親のことなんだけど――」」


 美春が……美春が亡くなったというのに、信じられないような言葉がマシンガンのように飛び出してくる。その不謹慎な態度を見て、はっと気が付いた。私の幸せへの道を妨害していたのは美春であると同時に、彼女もまた、第三者の手によって幸せではない道へと引きずり込まれていたのだろうかと。


「あのさー、真珠」


 突然、A子――いや――彩子あやこが私に話かけてきた。


「え……な、何?」

「なんか、今まで美春と一緒にチョッカイを掛けていて、ごめんねー」

「え……いや……えっと……」

「別に本気だったわけじゃないんだけど、美春がやっているから、その場の雰囲気っていうか?」

「そうそう、アンタのこと嫌っているわけじゃないから、安心してね」

「むしろ好きかも? 美春よりも」

「アハハハハ」


 取り巻きたちが一斉に私に謝罪の意を示してくる。彩子はぺろっと舌を出しておどけてみる。それを見た私は、ただただ、恐怖の感情しか沸いてこなかった。


 ――


 ―― キーンコーンカーンコーン ――


 1限が終わった。美春が亡くなったという事実に騒然としていた教室も、いつの間にか平常に戻っていた。ファッションがどうだのスイーツがどうだの聞こえてくる。まるで美春など、元から居なかったかのようだった。


 「……なあ、真珠、大丈夫?……」


 莉奈が後ろからそっと声を掛けてきた。もしかしたら、机の下で私の足が震えているのを見られたのかもしれない。


「……う、うん……」

「ホント、ショックだよね……まさか、美春がなんてね……」


 まさか――その一言がグサッと突き刺さる。私にとっては、まさか、ではないのだ。


「真珠……なんか、気分が悪そうだけど大丈夫……? 先生には私から言っておくから、今日はもう帰って休んだら?」


 やさしく提案してくれる。察してくれた。いや、君が今、想像しているものとは違うのです。私の心をぐらぐらと揺れ動かしているのは――


「ご、ごめん、莉奈。今日はもう帰るから、先生によろしく言っておいて!」

「うん、わかった……」


 居ても立っても居られず、私は教室から飛び出した。


 私にはやるべきことがある。確かめることがある。昨日までの平穏無事な日々を悪夢に変えた原因があるのならば――


 違う。悪夢ではない。


 悪夢のはじまり、だ。

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