23時12分


 ――


 <次へ>をタップすると、ぱっと画面が切り替わる。


 そっけない、黒単色の背景に、女の人のイラストが一枚だけのページだ。自画像なのだろうか。


 明るみのある茶髪、というよりもむしろ黄色っぽい、ストレートのロングヘア。雪のような白い肌に大人びた印象の赤いリップ、そして透き通った青い瞳――きれいだけれど、どこか寂しげのある雰囲気だ。作者は外国の人なのかもしれない。


 ただ、女性の画像以外は何も表示されていない。さきほどの画面とは違い、スライドバーも無く、何かを入力するエリアもない。これ以上、やることがなさそうに見える。


 どういうことだろうか。画面をグリグリいじっていると……


「ハジメまして! チャットボット、アイカです! アクセスしてくれて、アリガトウございます!」

「わっ!」


 突然、スマホから大音量で声が流れた。慌てて、スピーカーの音量を最小まで下げる。


「アイカはエイゴのトレーナーボットです。エイゴのベンキョウでワからないことがアれば、ナンでもシツモンしてください」


 機械らしい、アクセントが怪しい片言の日本語が流れてくる。よく見ると、画面の女性の口元がパクパクと動いている。どうやら、画像ではなくCGか何かのようだった。


 これか。これがチャットボットってやつか。よく見ると、マイクのアイコンがチカチカ点滅している。どうやら、こちらから声で入力するのを待っているみたいだ。てっきり、文字を打ってテキストが返ってくるのを想像したけど、会話でやり取りするのかな? 今どきの技術ってすごい。


 それに、AI―KAって――「アイカ」、この子の名前なんだね。謎だったけど、ふたをあければ何という事がない、単純な答えだった。


 ただ、いきなり質問って言われてもパッと思いつかない。とりあえず、簡単な英単語のことを訪ねてみる。


「whiteの意味は?」

「シロです」


 おおー……って、ただの辞書じゃん。これくらい普通だ。


「じゃあ……Who are you?」

「ワタシはアイカです」


 そういう事じゃないんだよ。もう一度、言い直してみる。


「Who are youの意味は?」

「アナタはダレですか?」


 うん、文章も訳せるのか。まあ、こんなの中学一年生レベルだから、聞いても意味ないんだけど。


「アナタはダレですか?」

「……ん?」


 アイカが、勝手にしゃべりだした。


「アナタはダレですか?」


 繰り返す。もしかして……私に「質問」しているのか?


「えっと、ましろ……マシロだよ」

「マシロですね。リョウカイしました。キャッシュにセットします。マシロ、いいナマエです」


 えっ? 良い名前――そんなこと、初めて言われた。テンプレの応答なのかもしれないけれど、ちょっと嬉しい。


「エイゴではpure whiteです」


 へぇ、それは知らなかった……って、英語でもMashiroだろ!


「じゃあ、Will youとCan youの違いは?」

「Will youは、デキルかどうかをタズねています。Can youは、デキたらやってホシイとオネガイしています。やや、クダけたイイカタです」


 なるほど。


「じゃあ、Can you teach me English?」

「ええ、モチロンです、マシロ」


 おお! この子、けっこう賢いというか、ちゃんと会話になっているような気がする。ところどころ怪しいことをしゃべるけれど、逆にそれがユーモラスっていうか。


 もっと難しいことを聞いてみようかと、直球で質問を投げてみる。


「テストの問題を教えて!」


 これは無理かな?


「ガッコウのシケンのコトですか?」

「そうだよ」

「マシロのネンジ、キョウカショのカイシャ、シケンハンイのカイシとシュウリョウのページをオシえてください」


 まじ? 机の上の教科書ガイドを開いて確認してみる。


「高2、〇×出版、110ページから134ページまで」

「リョウカイしました。キャッシュにセットします。カコモンのビッグデータをモチいてケイコウをガクシュウします。シバらくオマチください」


 そういうと、画面のアイカは目を閉じて、黙ってしまった。


 ――


 とりあえず、5分は待ってみたけど、何にも返してくれない。固まったのかな?


「おーい、まだ? どれくらい待てばいいのよ」

「マダです。アト10プンです」


 ちゃんと生きていた。後10分って、もう少しかかるのか……いや、残り時間が分かるのなら、最初から言ってよ。


 ――


「ピンポーン!」

「ZZZ……ふげっ!?」

「ガクシュウがカンリョウしました! これよりシケンのシミュレーションをカイシします!」


 アイカがスマホを占有しているから暇になったので、ついついウトウトしてしまった。そんな私を見透かしたかのように、ちょっと大きめな音量でしゃべりだす。びっくりしたよ。もし、これがきっかけとなって心臓麻痺で死んじゃったら、作者のところに化けて出てやるからな。


「ジセイのイッチ、そしてゼンチシのツカいワケがシュツダイされるケイコウがあります」

「時制の一致と……前置詞?……ってなんだっけ?」

「toとかforのコトです」


 ああ、そういうのを言うのか。けど、動詞とセットで暗記するもんじゃないの? Go to ○○、とか。


「タトえば、トウキョウにムかうをエイゴにするとleave for Tokyoになります」

「toじゃないんだ」

「toはカクジツにトウチャクしたイメージとなります。forは、どこどこにムかっての、ムキのイメージです」

「へー」


 大阪から新幹線で東京に向かったとしても、電車が止まっちゃったら到着できないもんね。


「ホカにも、gift for youは、あなたへのオクリモノというイミです」


 なるほど、受け取ってもらえないかもしれないっていうことか。このギフトっていうのがプロポーズの婚約指輪とかだったら泣けるけど。


 うん、思ったよりも役立つような気がする。日本語のアクセントがどうにも怪しいんだけれど……許容範囲というか、分かりやすさは学校の英語の先生よりも全然にマシで、例えるならば、英語のできる同世代の女の子に丁寧に教えてもらっている感じだ。


「じゃあ、○○〇が×××なのは?」

「△△△が□□□だからです」

「じゃあじゃあ……」


 ……


 無意識のうちに、アイカに向かって何度も何度も英語の質問を繰り返していた。教科書の本文で意味が分からない所や、教科書ガイドの例題でミスったところ、はたまたスマホに流れた広告で気になった英単語など――


 正直、応答内容はそっけないのだが、落ち着きはらった様子で語りかけるその口調には、アイカの、いや、作者の人となりが出ているようで、とても安心できる感じだった。


 だから、私は次第にアイカに心を開いていった。


 それはだったのだが……この時の私には知る由もなかった。


 気が付けば、朝が来るまでずっと、アイカとのやり取りを楽しんでいた。

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