3月5日

22時57分


 ――


 追試が現れた!

 真珠はアンチョコで攻撃!

 ズバッ! 9999のダメージ!

 追試をやっつけた!

 9999の経験値を獲得!

 てれれれーん! 真珠はレベルが――


 はい、上がりません。教科書ガイドを読んでも、さっぱり分かりません。教科書が頭に入らないから数千円もするこの本を買ったのに、今度は教科書ガイドの内容が頭に入ってきません。過去完了と現在完了の違いって? 完了は全て過去じゃないの? 経験、継続、完了って? 日本語でOK? うん、教科書ガイドガイドを買ってこなきゃダメっぽい。


 勉強でも部活でも、汗水たらして鍛錬すれば必ず上達する、そんな高校生活の真理にも例外があるみたいだ。土曜日の朝から晩までずっと、机に向かって勉強にいそしんだのに、いざ例題を解いてみると頭の中がハテナのマークで埋め尽くされて、答案を埋めることができません。ほかにも4択の問題を20問ほど解いたけれど全て不正解。逆にすごくない? ランダムでも4分の1で当たる問題を全て外す確率って、えっと1から0.25を引いて……あれ? 足して? 数学は(も)得意じゃないから分からないや。


 そもそも、勉強時間=経験値っていう前提が間違っているのではないのだろうか? それに、数多のスライムを倒して経験値を稼いだところで、カンストまでレベルが上がっていって魔王すら凌駕りょうがする勇者になれる、なんて有り得ないし。「井の中の蛙大海を知らず」っていうけれど、井戸から出たとしても大海を知ることができるとは限らないっていうか、どっちにしろ蛙じゃ無理じゃないかな?


 ああ、駄目だ。何を考えているんだろう。分からなすぎて頭の中がパニックになってくる。ただ一つ分かったこと、それは「分からない」ということだ。これがソクラテス思想でいう「無知の知」ということなのか。いや、違うだろう。


 止めだ、ヤメヤメ。多分、このまま教科書ガイドを読み漁っても、追試をクリアするだけの実力は身につかない気がプンプンする。ちょっと頭を整理するために、スマホ片手にベッドにダイブした。


 ―― ボフッ! ――


 あ、寝ちゃいそう。


「zZz……」


 いかんいかん。追試までそんなに時間はない。少しでも勉強しないと。タイム・イズ・マネー。トキカネ、トキカネっと。


 しかし、どうしたものか。わらにもすがる思いで購入した教科書ガイドが私には使いものにならないとは。別の参考書を買うべきだったかもしれない。けど、小遣いが少ないから、これ以上は買えないんだよね……


 このまま追試で撃沈して、留年して、グレて、退学して――なんて将来、ありそうで嫌だなぁ。ママが悲しむだろうし、莉奈も――


 ―― ブー! ブブブー! ――


 スマホのバイブの振動に、はっと驚かされた。画面を見ると、通話のアイコンが表示されている。コールしてきたのは、莉奈だった。


「真珠、おばんです!」

「莉奈じゃん。おばんです」


 <おばんです>――こんばんはっていう意味の方言だ。


「真珠、今は何をしていた? 暇だから、おしゃべりしようよ」

「えー、こっちは暇じゃないんだけど」

「そうなの?」

「だって、追試の対策しなきゃいけないから」


 そういって、机の上の教科書ガイドをチラリと見る。


「あ……英語の勉強していたんだね。わりぃ、邪魔しちゃった……」

「いや、勉強していないし」

「してないんかい!」


 莉奈から、ベッタベタな突っ込みが飛んでくる。


「アンチョコを買ったんだけどさぁ、よく分からないんだよね。全然、頭に入らなくて、意味なしって感じで。莉奈はさ、英語の参考書とか持っていない?」

「いや、私は家で勉強しないから……」


 論外だ。聞く相手を間違えた。


「そういや、美春はアプリで勉強しているって言ってたな」

「えー、美春がぁ……」


 その名前は、あまり聞きたくない。


「うん、ネイティブの外国人相手にビデオ会話でレッスンしているんだってさ」

「へえ、家庭教師みたいな感じかな? なんか高そうなイメージだけど」

「10分で1000円だって」

「たっか!」


 小遣いの残金が1000円だから、ぴったり10分。「はろーまいねーむいず」とか挨拶している間に、終わっちゃうじゃん。


「チャットでやり取りしながら勉強するサービスだと、もう少し安くなるってさ」

「うーん、チャットかぁ」


 私、フリック入力があんまり得意じゃないから、サクサクやり取りできなそうだし。


 チャットかあ。チャット……


 あ! そうだ! 忘れていた!


 がばっとベッドから飛び起きて、教科書ガイドをパラパラとめくる。たしか真ん中あたりにとめくっていくと、あった。本屋で見つけた、謎のカードが。


 ―― チャットボットAI―KAが英語の勉強をサポートします! ――


「莉奈さぁ」

「ん?」

「チャットボットって知っている?」

「ボット? あれじゃん、人工知能とかが人間相手に会話してくれるってやつでしょ?」


 人工知能――ああ、AIってそういうことか。


「じゃあさ、エーアイケーエーとかは分かる?」

「エーアイのケーエー? 人工知能で経営するって意味?」


 おいおい。


「そのケーエーじゃないよ。アルファベットでケーとエー」

「何それ? さっぱり分からん」

「だよね」


 少なくともJK用語ではなさそうだ。


「実はさ……」

「あ、わるい! 母さんが呼んでいるから、またあとでいい?」

「え、いいけ――」


 こちらが言い終わるのを待たずに、ブチっと通話を切られてしまった。


 もう一度、カードを見てみる。どうやらチャットをして英語の勉強が出来るらしい。人工知能が取り入れられているようけれど、カードの安っぽさを見ると、ちょっと信用ならない。


 いつもの保守的な私なら、こんな出所不明の紙なんかゴミ箱にポイしちゃうんところだけど…… なぜだろう、白を基調としたそっけないデザインのこのカードを見ているうちに、作者は一体どんな人なんだろうと気になってしまった。そう考えながら、無意識にカードのQRコードを、


 ―― ピッ ――


 読み取ってしまった。


 ローディング画面のアイコンがクルクルと回る。


 回る。


 1回、2回、3回……その回転周期とシンクロするように、私の心臓の「ドクンドクン」という鼓動が聞こえてくる。


 突然、画面がパッと切り替わった。


 ――

 404 Not Found.


 お探しのページは見つかりません。入力したURLが間違っていないか確認してください。時間を空けて再度お問い合わせ頂くことで表示される場合もございます。


 または、コンテンツが削除された可能性があります。

 ――


 まぶしいくらいの白一色の画面に、デザインの当たっていないプレーンなテキスト。404の数字と紋切り型のそっけない文章は、既にこの世に存在しないことを端的に表現している。


「なんだ、やってないんじゃん」


 ちょっとがっかりだ。


 期待したわけでは無かった。ただ、怖いもの見たさというか、アクセスした先に何があるのかいう興味本位に掻き立てられただけだ。それに、たとえダークなサイトだったとしても、ギリギリ手前まで進んでみたいという、チキンレース的なドキドキ感もあったのかもしれない。


 ……あれ?


 画面の右端にスライドバーがある。でも、下半分はただの余白だ。これ以上、何かあるとも思えない。


 画面を下にスワイプする。


 余白が続く。


 続く。


 ページの最下部まで進む。


 すると、ただひとつの単語が、リンクとして書かれていた。



 <次へ>



 次へ? 言っている意味が分からない。404ページに「次がある」とはどういう事なのだろう。サイトを閉じる前の残骸なのか、作者がミスって置いてしまったのか、それとも本当に「次」が存在するということなのか。


 ……やめようかな?


 ブラウザの戻るボタンに指を伸ばす。何か不安、というか……「これ以上は進んではいけない」という第六感的なアラームが、心のどこかで鳴っている気がした。


 ――


 今になって思う。この時の警告に従ってページから離れていたら、こんなことにはならなかったのに…… そうすれば普段通りの日常を送る、凡庸ぼんような、それでいて取り柄の無い女子高生のままでいれたはずなのだ。なぜ、本能に忠実に動かなかったのだろうか。


 地獄行きの列車の行き先表示には、「地獄」と書かれていないのに。


 ――


 戻るボタンから指をずらし、そっと画面の文字をタップする。


 <次へ>と書かれた、


 その先へと。

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