17時01分


 ――


 放課後になると、学生は三々五々に散らばっていく。部活に青春をささげる子、友達と喫茶店に寄り道をする子、図書館で読書にふける子、私みたいに別にやることなくてぼーっとしながら家に帰っていく子。向かう先は人それぞれだ。


 校舎の玄関でブーツに履き替えて、雪でぬかるんだ校門への道をよっこらよっこらと歩いていく。他人の足跡をトレースするように歩くと雪が靴に入る心配がないのだけれど、そういうところって、たまに水たまりのトラップが仕掛けられていたりする。だから、慎重に一歩一歩、確認しないといけない。


 道沿いのグラウンドに目を向けると、そこは雪で覆われた一面の銀世界だ。というか、正しくは「白」世界じゃないのかな? もちろん、誰一人も見当たらない。高校の放課後って、体育会系の部活が全員でグラウンドを何周もランニングしていて、その先頭を引っ張るスポ魂キャプテンが「おーし、いくぞー! ふぁいとぉー!」なんて掛け声するのが、お約束なのだけど――我が町は雪国だから、冬になるとそういうシーンが一切、見られなくなる。1月ごろにドカッと雪が降ってから春を迎えるまではずっと、グラウンドは閉店休業状態になるのだ(今年は普段よりもかなり早く12月に雪が積もった)。


 そういう部活は冬になるとやることが無いから、廊下でダッシュするとか、体育館で筋トレするとかで体がなまらないようにしているみたいだ。例外的に、女子野球部はトレーニングの一環としてグラウンドの雪かきをするのが伝統らしい。雪国ならではの練習法だけど、ちょっと前にそれを見かけた時は、降りしきる雪が掃いた所にどんどん積もっていくから、賽の河原の逸話とダブって見えたんだよね……


 校舎もグラウンドも周りの住宅も、夕日に照らされてキラキラと白く光る世界は、静かで綺麗だ。でも、ちょっと寂しく、ちょっと歩きにくい。


 普段の私は一直線に家に向かって、自室のモコモコのベッドにダイブするのが日課なのだ。けれど今日は、帰り道から少し外れたところにある、駅前の本屋に立ち寄ることにした。


 本屋と言っても書籍コーナーはせいぜい半分ぐらいの面積しかない。残りは、おもちゃやゲーム、アクセサリーや帽子など。本と呼ぶには語弊ごへいのあるものが「買ってくれ!」とばかりに入口付近を牛耳っている。昔はちゃんと本屋をしていたのだけれど、出版不況の波はこの片田舎にも押し寄せているのか、本を売るスペースは年々小さくなる一方だ。いつしか完全にゼロとなる日がくるのかもしれないが、それでもなお、この店は本屋として生き続けていくような気がしてならない。


 入口から向かって右手の一番奥まで進んだところ、学習書のコーナーで英語の参考書を探す。その中でも教科書ガイドとか言われる類のものを探している。まあアンチョコっていうやつで、読めばテストの対策が簡単にできるらしい。クラスメイトは結構使っているみたいだけれど、実は今まで一度も読んだことがない。なんか邪道というか、悪魔に魂を売るように思えてならないんだよね。例えばゲームをやっていて、スタート時点で所持金マックスの裏技が使えたとしても、楽しくなさそうじゃない?


 まあ、私みたいなおバカちゃんが「自分の力で解決してみせる!」とか宣言してみせても、「大言壮語の使用例ですか?」とか「縛りプレイか何かですか?」とか言われそうだけど。


 そんな、カッコばっかり気にしているから追試を受けるはめになったのかもしれない。けれど、追試に落ちたらゲームオーバーだ。手段にこだわっている場合ではない。悪魔さん、お願いします。魂を買ってください。


 意中の教科書ガイドは、本棚の右隅に一冊だけ見つかった。パラパラとめくって雰囲気を確かめていると、まあ、確かに解説っぽいこと――英文の翻訳や文法の例文みたいなのが書いている。けれど、イメージしたようなのとはちょっと違う。もう少しダイレクトに「これがテストの問題だ!」「これだけ覚えろ!」みたいな、禁断の果実かと思っていた。所持金マックスって感じではなく、せいぜい戦闘中に薬草が1回使えるぐらいだろう。


 もう、最悪これを丸暗記しようかな……なんて考えてページを進めると、1枚の紙がヒラヒラと足元にこぼれ落ちた。


 それはカードのような――名刺サイズっていうのかな? 手にすっぽりと収まるくらいの大きさで、ただの白紙。あれ? どうも、こちらは裏側のようだ。ひっくり返すとやっぱり真っ白だけど、今度はQRコードと一緒に何かが書かれている。


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 ……ん?


 なんだろう、これ? えーあい・けーえー? そんな単語は聞いたことがない。情報処理の授業は取っていないから、その道では一般用語の基礎知識なのかもしれないけど。出版社のウェブサイトもしれないが、カードには会社名がどこにも書かれていない。立ち読みしている学生が間違って落としたのかもしれないし、詐欺サイトへの招待状かもしれない。はたまた、本屋のサービスで全ての参考書に挟んでいるなんてことは……ここならやりかねないな。


 ふと左手のほうを見ると、若い男性の店員がせっせと本棚の整理をしている。カードのことが気になった私は、


「あのー……すみません」


 つい、手を挙げて彼に声を掛けてみた。


 店員は一瞬ビクッとして、こちらを振り向く。


「へ?」


 何という気の無い返事だ。サービス精神の欠片もない。その眼差しは、とても冷たい。


 ――えっと、本に変なカードが挟まっているんですけど、これって何ですか?

 ――知らねえよ、そんなこと! いちいち全部の本の中身なんか把握してないって! 忙しいんだから、つまらない事で声を掛けないでくれないかな! そんなゴミ、捨てろ捨てろ!


 今のは私の妄想である。


 分かる。あの視線で何となく分かる。ついに私は「察する」というテレパシー系のスキルを手に入れることができた。これは大人になると「忖度する」という感じにスキルチェンジするらしい。


「ごめんなさい、何でもないです」

「はぁ」


 こやつはハ行しか言えなくなる魔法にでもかかったのか?


 ぶっきらぼうに一言だけ返すと、もう話しかけるなと言わんばかりにプイと背中を向けて、ソソクサとバックヤードに入っていってしまった。


 ヘンテコなカードを持ったまま、ポツンと取り残された私。ちょっと、うさん臭いけれど捨てるのもどうかと思うし、ポケットに入れたら万引きしたような動作になってしまう。悩んだ挙句、結局は元のページに戻すことにした。気味が悪いから他の本に取り換えようと思ったけど、お目当ての参考書は1冊しか見つからない。しょうがないから、これだけ買うことにするか。


「ありがましたー」


 ――略すのかちゃんと言うのかどっちかにしてよ――そう思ってしまうほど間の抜けた挨拶を背に、店を出る。


 すでに日はどっぷりと沈んでいて、街はすっかりと真っ暗に覆われていた。


「追試かあ……」


 一週間後を思うと、憂鬱になってくる。追試のこと……美春のこと……悪いことが走馬灯のようにフラッシュバックしてきて、鬱屈うっくつした気分でいっぱいになる。


「ああ……」


 思わず、手で顔をおおってしまう。


 白は、光が当たらないと黒になる。


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