3月4日

14時28分


 ――


 例えるなら、私には色が無い。


 これといった取り柄も無く、これといった特徴も無い。女子としての可愛らしさも、人を惹きつけるだけの社交性も、趣味も、性格も。私のトリセツには記載事項が何一つ無い。


 少し前にWebか何かのアンケートで「あなたのことを動物で表すと?」という質問にでくわした事があったけど、全く持って思い浮かばなかった。だから空欄のままで回答したけれど、ソイツはすぐさま「しいて挙げれば?」と聞き直してきた。でも、ひらがな一つも入力することが出来なくて、やっぱり空欄のままにした。無いものは無い。「しいて」もくそもない。この世に「空欄」という動物が存在するのならば、それが私だ。


 勉強の一つでも出来れば――それなりの大学に進学して、それなりの会社に勤めて、それなりの人と出会って――なんていう、ごく普通の人がイメージしそうな、ごく普通の人生が、ごく普通に過ごせるのだろうけれど。地方の底辺の女子高校の、さらに底辺レベルの頭脳しか持ち合わせていない私には、とうてい縁の無い話なのだ。


 これがドラマか漫画なら「だけどスポーツ万能」「だけど一芸に秀でている」「だけどキレイで可愛くて」なんていう、一寸した肩書が付与されるところだが、現実はそんなに甘くない。小学校、中学校、そして高校と、歩んできた人生でただ一度も平均点以上の能力を持ったことが無くて、キラリと光るものが何一つ無くて、ルックスも贔屓目に言って中の下。


 チープな青春群像劇のドラマの登場人物欄の下のほうに名前だけで書かれている、もしくは「その他大勢」と書かれる――いわゆる<モブ>のような存在とでも言えば分かりやすいか。


 つまり私は、私というキャンバスを彩るための絵具を一切、持ち合わせていないのだ。鉛筆一本でもあればいいけれど、神様はそれすら与えてくれなかった。白紙の上から水を付けた筆で何度も何度も塗りたくったところで、どこまで行っても真っ白、まっしろ、ましろ。


 そう、私の名前は「真珠」って書くのだけど、「しんじゅ」でも「まじゅ」でも無くて、実は「ましろ」って読む。6月生まれだから誕生石のパールをイメージしてママが名付けたのだけど、どうも占い師かママ友か何かに影響されたようで……「女の子の名前に濁音が入っていると運気が下がる」という半ば都市伝説のような考えに囚われた結果、「ましろ」って、ちょっと変わった名前になったみたい。ねえ、すごくない? 色の無い人生の私の、その名前が「ましろ」だなんて。名は体をあらわすどころか、そのまんま。めっちゃ笑えるんだけど――

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