番外編
精霊祭の夜に
トレシア王国を挙げた慶事から約半年。季節は冬になり、トレシアの大動脈ともいえる街道にも雪がうっすら積もる頃。王都トレンタムのやや東、この国の中枢が集まるサン・ローレ宮殿の廊下を一人の青年がやや足早に歩いていた。いくら暖房設備が整備されているとは言え、全てを完璧に網羅するのは難しく、やはり廊下は冷える。とはいえ彼が足早なのは寒さから早く逃れるためだけではなかった。
(なんだかんだでもう精霊祭の季節か。早いものだな)
この地域一帯では精霊が厚く信仰されている。自然を司り、天災も豊饒ももたらすと言われる精霊は畏怖と敬愛を集める。そんな精霊に一年の感謝を捧げる精霊祭は広くこの辺りの国々で冬を代表する行事だ。
そんな精霊祭が近づいたことに感傷を覚えつつ、窓の外に降り積もる雪を横目で見ながら青年はこの半年を思い起こす。彼こそがこの国の王太子、先の慶事の主役の片方とも言えるロビンだ。
彼はなかなかに忙しい。そもそも王族というのは究極に私的な時間と公的な時間の差がない人種だ。ロビンも王太子としての公務に加え、そろそろ考えなければならない王位継承に向け、現国王から割り振られた仕事も含めて相当多忙な日々を送っていた。とはいえ休息も必要。ちょっとした予定変更で急に半日ほどぽっかりと予定が空いた王子は働きすぎを心配する周囲の進めもあって、今日の午後を休みとすることにして、執務室から私室の方へと向かっているのだった。
今日は幸運なことに妻であるリリーもまた午後から予定がない、と聞いている。予定どおりであれば自分より先に私室に戻っているであろうリリーを驚かせよう、とロビンはあえて先触れを送っていなかった。夫婦とはいえこうして昼間に公務以外でゆっくりとできる時間は少ない。
外は冬らしい天気だが、少し着込んで庭で雪見、というのも悪くないし、温かい部屋でのんびりするのも悪くない。ロビンが足早なのは久しぶりの妻との休日を楽しみにする気持ちの現われだった。
「あぁ、先触れなしで悪いね。リリーはいるかい?」
リリーの私室に着いたロビンは部屋の前で警護に当たる軍人に声をかける。
突然の王子の登場にも動揺など一切見せず折り目正しい敬礼で答えた彼は、しかしロビンの期待する答えはくれなかった。
「王太子妃殿下は数刻前に公務から戻られてすぐ、お出かけになったときいております」
「おや、留守なんだ。それは残念だ」
あからさまに肩を落とすロビンに軍人は表情は全く変えずに笑う。
彼女がいないのであれば仕方がない、とりあえず自室に戻ろう。そう思った時、中から見知った顔が現れた。
「殿下、王太子妃殿下に御用にございますか?」
美しい礼のあと、そう口にしたのは長年侍女長を務めるマリアンヌ。城全体の侍女をまとめる立場にある彼女であるが、リリーはまだこの国に間もないこと、そして彼女の侍女もまたリリーの歳に合わせて比較的若いこともあり、王太子妃付きに近い立場で行動している。
現役の宮殿の使用人の中では古参の部類に入り、ロビンも幼い頃から面倒を見てもらっていた彼女はロビンにとって信頼でき、また逆らえない相手でもあった。
「いや、用事、という程のものではないのだけどね。急に予定が空いたものだから、リリーも今日は予定がない、と聞いたからゆっくり出来たらな、と思って」
結婚から半年が立ってもその溺愛ぶりは全く変わらない王子の様子に、微笑んだ侍女長は部屋の方をチラリと見てから王子の言葉に答える。
「残念にございますが王太子妃殿下は、少し前に『お散歩』に出てしまわれました。今日は殿下の戻りは少し遅いと聞いておりましたので」
含みをもたせた『お散歩』にロビンはなるほどと頷く。
魔法の国、ベルンの姫君らしく変身魔法を使うリリーは時折、小さな鼠に変身しては、王太子妃のままでは行けないような場所を散策することをベルン時代から息抜きとしていた。最近ではそれが諜報めいた形でトレシアの役に立つことも増えてきたのだがそれはそれとして、リリーにとって『お散歩』が大事な気晴らしなことは変わらなかった。
ロビンもそのことは知っているのでそれを止めることもしないが、急に予定が変わったのは自分とはいえ、間が悪かったな、と肩を落とす。とはいえ侍女長がこうして声をかけてきた、ということはそう戻りは遅くならないのだろう。戻ったら声をかけるよう彼女に頼み、自分は一旦自室で資料でも読もうか、そう思ったロビンに侍女長はもう一言声をかけた。
「ところでロビン様。そろそろ精霊祭でございますが、ご予定はどうなさられますか。差し出がましいことではごじますが、リリー様が気にしていらっしゃいましたので。」
トレシアに限らずこの付近の国々では新年は国の行事として祝い、その少し前にある精霊祭は家族で過ごす、というのが一般的だ。もちろん王族であるロビンには教会の儀式といった予定もあるが、それでも夜の予定は決めていた。
「そういうことなら大丈夫だよ。今年は、いやこれからは毎年、精霊祭の晩餐はなんとしてでも家族で摂るつもりだから」
決意を新たにするロビンに侍女長は自分の心配は全くの杞憂だと安心する。
「そういうことでしたら安心いたしました。なんと申しますが王太子妃殿下は母国では随分寂しい思いをされていたご様子。きっと精霊祭も、いえあのリリー様ですから、楽しくは過ごされていたでしょうけれども、それでも「ロビン様は精霊祭の夜はどうされるのかしら」とお聞きになたれた時には、家族で過ごす精霊祭への強い憧れを感じましたから」
「そういうことなら、なおさら素敵な思い出を作っていかないといけないね。いちおうアンドリュー達にスケジュールは頼んであるし、前倒しにできる仕事はそうしているところだけど、マリエンヌも協力をお願いするかも知れないからその時はお願いね」
「かしこまりました。いかようにもお申し付けください」
王子の言葉に深いお辞儀とともに答える侍女長。今度こそ自室に戻ろうとしたロビンだが、そこでふ、とあることを思いついた。
「そういえばマリエンヌ?リリーはいつも『お散歩』の行き先は告げないんだよね」
「はい、仮に分かっても追いかけられないことがほとんどでございますから。人の姿に戻ったときには、こっそり護衛を急行させるよう、指示しておりますが」
「じゃあ、ずっと部屋で待つのも何だし、リリーが行きそうな場所に探しに言ってみようかな。なんとなく予想はついているしね」
良いことを思いついた、と言わんばかりのロビンに苦笑した侍女長はかまいませんが、と一応の注意をする。
「今はどの部署も忙しい時期です。ロビン様は承知のことでしょうが、邪魔はなさらないようにしてくださいね」
「あぁ、分かってるよ」
まさか、この歳で侍女長の小言をいただくことになろうとは思っていなかったロビンはそう答えて、リリーの私室を後にしたのだった。
そんなロビンが見えなくなるまで美しいお辞儀を継続して見送った侍女長は、方向転換して、そして微笑む。
「ロビン様もまだお若いわね。でもおかげで秘密は隠し通しましたよリリー様。あとはリリー様にお任せいたしますからね」
普段はいかにも真面目一筋で小言もおおい侍女長だが、その本来の姿は優しく、情に熱く、そしてお茶目な女性だ。今日もとあるお願いをしたリリーの期待に答えるため、実は全力の芝居を打ったのだった。
リリーの私室を後にしたロビンがまず最初に向かったのは宮殿のやや外れに位置する厨房だ。ベルンではよく厨房へ行っては料理人達とお茶をするのが楽しみだったという話を聞いたのを思い出したロビンは、まずはここを訪ねてみることにしたのだった。
「料理長、忙しいところ悪いけど少しだけ良いかな?」
突然調理場に現れた、この国の王子に料理人達はおののくが、唯一表情を変えないのが料理長だ。先代の料理長の息子であり、ロビンがまだ幼い頃からこの厨房に立っていた彼とは古くからの付き合いだと言える。そんな彼はどうして突然王子がここへ現れたのかおおよその予想は出来ているようだった。
「もちろんにございます、殿下。こちらまでいらっしゃったのは奥様をお探しにございますか?」
「あぁ、もしかしたらこっちにリリーが『お散歩』に来ていないかな?と思ってね」
そんなロビンに少し残念そうな顔を作り、料理長は返す。
「残念ですが、本日妃殿下はこちらにはいらっしゃておりません。確かに妃殿下は何度か変身してこちらにいらっしゃり、恐れ多くも我々の料理を絶賛してくださいましたが、最近はこちらに来られておりません。もしかしたらどこか通われている場所があるのかも知れませんね」
警護の問題もあり、使用人たりの中でも特に信頼のおける一部の人物はリリーの魔法について知らされている。ロビンの『お散歩』の意味を正しく受け取った料理長はロビンにそう言った。
「そうか、リリーといえばまずはここかなと思ったんだけど。忙しいのに邪魔をしてわるかったね」
リリーが来ていない以上、ずっとここにいて緊張感を与え続けるわけにも行かない、そう思ったロビンは踵を返そうとしたが、それに料理長が待ったをかける。
「殿下、実はですね、そろそろ妃殿下がまたこちらにいらっしゃるのではないかと思いまして、東国のものを用いて新たな茶菓子を作っていたのです。もし本日妃殿下とお茶をなされるのでしたらそれに合わせてお届けいたしましょうか?」
「それはリリーも喜ぶだろう。ぜひお願いしても良いかな?まだリリーが見つかっていないからはっきりとした時間はわからないけど、ちょうど今日は私もリリーも午後に予定がないのでお茶でもしようと思って彼女を探していたんだ。侍女を使わせるので、私達の私室にそのお菓子を届けてもらっても良いかい?」
「かしこまりました殿下。それでは早速お作りいたしますね」
「ありがとう、あぁ、それとじつは少し頼みたいことがあるのだけど」
新作のお菓子、と聞いてふと思いついた考えがあるロビンは料理長にあるお願いをしたのだった。
厨房をあとにした王子が次に向うのはうっすらと雪が積もる庭園の一角にある庭師たちの詰め所だ。動物たちに追いかけられた経験が多いらしく庭を鼠のまま散策することはなかったが、美しく整えられ、商業の国らしく外国の珍しい花々を集めた温室も備えたこの庭をリリーも気に入ったらしく時折訪れているのはロビンも聞いていた。
庭師達の詰め所は暖炉の火が焚かれ過ごしやすい温度に保たれている。先程は突然厨房を訪れて驚かせたことを少し反省した王子は今度はアンドリューを先触れに走らせてから部屋に入る。
「これはこれはロビン殿下。わざわざこのようなところまでありがとうございます。お呼びくださいましたらすぐ向かいますのに」
「いや、散策の途中に寄っただけだから気にしなくくても良い。それよりもこっちにリリーは来ていないかい?」
こちらも料理長同様、王子の登場に動揺を見せないのは、壮年の庭師ただ一人。他の者達は先触れがあったとはいえ普段見ない王子の登場に固まっている。王子に声をかけた庭師はこの宮殿でも古株の一人であり、何代にも渡りこの庭を守り続けてきた者だ。海外の植物への造詣も深く、王族でさえこの庭については口出しできないとすら言われる人物で、ロビンも幼い頃から世話になってきた。
そんなロビンの問いに彼はすこし残念そうな声色で返事をした。
「残念ながら、本日はこちらへはいらっしゃっておりませんな。以前は身軽な服装でいらっしゃって息抜きを楽しんでいらっしゃったのですがここ最近はみなくなってしまいました。きっとお忙しいことと思われますが、温室にはまさにさかりの花もございますので、いつでも歓迎いたします」
「分かったありがとう。リリーにもそう伝えよう」
ロビンが見回してみると、部屋ではちょうど道具の手入れの真っ最中だったようだ。あまり邪魔をするのも良くない、と早めに部屋を後にしようとしたロビンだったが、そこであることを思いついた。
「そうだ、ブランドン。実は今度の精霊祭に向けて一つお願いしたいことがあるのだが聞いてくれるかい」
「もちろんにございます。奥様へのプレゼントにございますか?」
「あぁ、そうなんだ。もし可能であれば取り寄せてもらいたいものがあってね」
植物の知識では右に出るものはいないブランドンは王子の依頼を快く引き受け、お礼を言ったロビンはまた宮殿の本棟に向けてあるき出したのだった。
その後も、書庫に美術品保管庫等を回ったロビンだが一向にリリーの動向はつかめない。むしろ皆口を揃えて、最近は皇太子妃殿下のお姿を見れず残念だ、と言う。
隣国から嫁いだ彼女がこの宮殿に馴染んでいるのはとても嬉しいことだが、一方で自分の知らないところ(もちろん彼女の行動は報告はされているのだが、)で使用人たちに受け入れられていく彼女に少しの寂しさを感じつつ、ロビンがここもだめだったら自室に戻ろう、とやってきたのは被服室だった。多くの使用人たちが働くこの宮殿では彼らに支給する制服等を縫う専門の部署が存在する。そしてここで働くお針子たちの筆頭もまたロビンが昔から世話になっている人物だった。
ロビンが被服室に入ると、道具を置いたお針子達がやや緊張しつつもお辞儀をしてロビンを迎え入れる。その真ん中にいるのがこの部屋の主、マダム・ルーベルだった。
「仕事中に申し訳ないね。仕事に戻ってもらって良いよ。そしてルーベル婦人には少しだけ時間を頂きたいのだが」
「えぇ、もちろんにございますわ、殿下。こうしてお見えになるのはお久しぶりにございますわね。今日はなにか直すものでも・・・・・・、というご様子でもございませんわね」
「昔と一緒にしないでくれ。。今はこっそりお願いする必要もない」
王族達は基本的にこの宮殿で生まれ育つ。ロビンの場合はアンドリューといった同世代の貴族令息と共にこの宮殿の一角で学び、遊ぶのだが、王族や高位貴族とはいえ子供は子供だ。ふざけて衣服を引っ掛けることも多い。ただ彼らが着るのは子供用とはいえ、なかなか高価な服だ。もちろん大人の着るそれに比べれば安価であるが、そもそも商人始まりのこの国の王族たちは比較的、ものを大事に使うということに厳しく、そんな高級品を破いてしまっては、厳しく叱られてしまう。
そんな時彼らが駆け込むのがこの被服室だった。もともとは王都の貴族向けの仕立て屋で働いていた腕利きのお針子だったこともあり、ドレスやジャケットの補修もお手のもの。少しほつれた程度であれば、その場で衣服を直してくれる彼女は宮殿の子供達の強い味方だった。
最も、大人になった今ではそう衣服を引っ掛けるようなこともなくなったし、補修をお願いするにしても自分でここまで来ることなどまずなくなってしまった。そのため彼女とこうして話すのはかなり久しぶりなのだった。
「それで、婦人にお聞きしたいことなのだが、実はリリーを探していてね。あちこち回っているのだけど、どこにもいなくて。こちらには来ていないかい?」
「いえ、特にこちらにもいらっしゃってはおられませんね。なにかお急ぎの御用でございますか?」
「いや、そういう訳ではないんだけどね。偶然予定がない時間が一緒になったから、2人で過ごそうかな、と思ってね」
「そうでございましたか。仲がよろしくて何よりでございますわ。ではもしこちらにいらしたら殿下が探しておいでだとお伝えいたしますわね」
「そうしてくれるとありがたい。では邪魔をするのも何だし、私は戻ることにしよう」
結局ここでもリリーを見つけられなかった王子はそろそろ自室に戻ることにし、お針子達に挨拶して、部屋を後にするのだった。
王子がいなくなると、部屋にポンッという軽い音が響き渡る、そこにいたのは王子が探していた人物。編みかけのなにかと編み針を手にし、リボンで髪をまとめたリリーだった。
「ありがとうございます、皆さん。まさかロビン様が御自分でこちらに来るとは思っておりませんでしたわ」
「えぇ、私もです。昔はよく服を引っ掛けてはこちらにいらしてましたけどね」
「ふふっ、今のロビン様からは想像も出来ませんわ」
「特に妃殿下の前では澄ましていらっしゃいますからね。さて、ロビン様も探していらっしゃるようですし、妃殿下もそろそろお戻りになられますか?」
「えぇ、ちょうど切りも良いしそうするわ。今日もありがとう、そしてお仕事中にごめんなさいね」
「いえ、このぐらいお安いご用ですわ」
そう言ってにこやかに笑う婦人にあみかけの品を渡すと軽く目をつむり、再度鼠に変身したリリーは身軽に調度品をよじ登りあっという間に屋根へと消えていく。
見慣れてきたとは言え、驚きの光景に婦人やお針子達は目を奪われる。
足音がなくなったところで我に帰った婦人はパンッと手を叩くと、
「さっ、もうひと踏ん張りですわよ。お仕事に戻りましょう」
そう声をかけて自身も手元の針に目を落とす。お針子たちもまた、それぞれの仕事に戻るのだった。
精霊祭の今日。トレンタムには雪が降り積もり、美しい雪景色が広がっている。屋根の白色に精霊祭の飾り付けの色が美しい街の家々では、人々が集い、年に一度の豪華な晩餐を楽しんでいるだろう。あちこちの家から明かりがこぼれ、賑やかな声が聞こえてくるかのようだ。
精霊祭を家族で過ごすのはサン・ローレ宮殿の人々も同じだ。もちろん宮殿を守る軍人や使用人達は働いているが、それでも家族持ちはできるだけ早く帰され、精霊祭の夜を大切な人と迎えることができるようにされていた。
そしてカーテンを開けて見事な雪景色に見惚れる貴婦人とそんな彼女を優しく見守る紳士。この国の王太子夫妻であるロビンとリリーもまた、国王夫妻や第一王女夫妻との食事を楽しんだ後、お茶でもしながらもう少し話を、とサロンに来たところだった。
「雪景色が珍しいかい?ベルンも結構積もるよね」
「えぇ、雪は見慣れてますわ。ただご存知の通り城は無骨な作りですから雪が降ってもこんな風に美しい見た目にはならないのですわ。もちろん鬱蒼とした森に雪が積もったような城の雪景色も好きですけどね」
そう話すリリーのもとにロビンが微笑みながら近寄り肩を抱く。
そんなロビンをくすぐったそうに笑いながら見上げるリリーは彼に促されるままにいつの間にか茶器といくつかの箱が載せられたテーブルセットの近くまで来た。国王夫妻や第一王女夫妻もまた席に着く。
ロビンは私室に入った後、テーブルセットの準備が出来たところで自身の従僕やリリーの侍女達に下がるように伝えていた。これから家族持ちでも残ってくれていた使用人たちは家族と精霊祭を楽しみ、独身の者たちは使用人同士でパーティーを楽しむのが習慣になっていた。
リリーのために椅子を引き彼女を座らせたロビンは、慣れた手付きでお茶を準備する。ここにいる人々の中では彼が最もお茶を入れるのが上手だそうだ。そんな彼を眺めつつリリーはまず国王夫妻に話しかける。
「今日はありがとうございいます、陛下、妃殿下。私こうしてみんなで精霊祭を過ごすのにずっと憧れていたんです」
「楽しんでもらえたなら良かった。ロビンもリリーさんが毎年寂しい思いをしていたらしい、と気にしていたからね」
これからもこうして精霊祭はみんなで過ごすんだよ。とにこやかに笑う国王にリリーも笑顔を見せる。
彼女がベルンで寂しい精霊祭を過ごしていた事をクレアから聞いていたロビンは心底楽しげなリリーを見て微笑む。そしてポットにお湯を入れると砂時計をひっくり返す。一方リリーはもう一つ初めての経験を思い出していた。
「侍女の皆さんも今頃パーティーを楽しめているかしら。ディナーの時間を早くして使用人の皆さんにも精霊祭を楽しんでもらうというのは素敵な習慣ですよね。それに皆さんへのプレゼントも」
「えぇ、きっとそろそろ始まっている頃ですわ。男性陣にはとっておきのお酒を振る舞いましたし、侍女の皆さんもきっとお菓子を囲んでいますわ」
そのほとんどが商家であるトレシアの王侯貴族は使用人達も家庭の一員、という考えが根付いている。普段自分たちに仕えてくれている彼らもに精霊祭を楽しんでもらおうと、貴族のディナーは陽の落ちないうちに始まり、その後は使用人たちに仕事を切り上げさせるのがお決まりだった。
また、トレシアには親しい者同士で贈る習慣がある。その他に主人が使用人達に精霊祭のプレゼントを贈る習慣もあった。その話を聞いたリリーは第一王女と共に城下の王室御用達の菓子店に頼み、可愛らしく甘いお菓子を色々用意してもらい侍女たちに振る舞った。敬愛する王太子妃からのプレゼント、それも普段はまず手の届かない菓子店が腕を振るった逸品の登場に彼女達が感激したのは言うまでもない。
ニコニコと笑顔で話すリリーを見つつ、砂時計に視線を移したロビンはちょうど最後の砂が落ちたのを確認して、ポットを手に取りつつ皆と会話を楽しむリリーに声をかける。
「ところで、精霊祭の楽しみはまだまだだよ。実はリリーにプレゼントがあるんだ」
「まぁ、プレゼントですか?今日素敵なドレスをいただきましたのに。それに義父様と義母様や王女殿下からも素敵なプレゼントを頂きましたのに。」
精霊祭の夜には親しい者同士プレゼントを送り会うのが習慣になっている。リリーが来ている暖かくも可愛らしいドレスはロビンからのプレゼントで、夕食の席ではトレシアの家族からプレゼントをもらった。もちろんリリーもまたそれぞれにプレゼントを贈っている。あと、渡せていないのは目の前の夫ロビンにだけである。
ロビンのプレゼントについて知らなかったのは皆も同じらしい。そういえば、とテーブルの上の箱を見る。
「それとはまた別だよ。この箱を開けてみて」
二つのカップに均等にお茶を注ぎ分け、ポットを置いたロビンはリボンがかかった箱を示す。言われるがままに箱を開けたリリーは「まぁっ」と歓声をあげた。
「これは『精霊祭のケーキ』ですわ。ロビン様がお願いしてくださったのですか?」
各国ごとに様々な文化がある精霊祭。鬱蒼とした森に囲まれたベルンではこの時期の雪の降り積もる森にちなんだチョコレートと粉糖を使ったケーキが定番だった。
海が遠いベルンにとって船来品のチョコレートは高級品。これを惜しげもなく使ったケーキはまさに精霊祭の楽しみなのだ。
「ベルンでは、こういうケーキが定番と聞いてね、料理長に作れるか聞いてみたんだ」
「まさかトレシアでもこのケーキが食べれるなんて思いませんでしたわ。早速皆さんで食べましょう。とっても美味しいんですのよ」
そう言うリリーに待ったをかけ、もう一つの箱を示すロビン。その仕草に訝しみつつリリーが箱を開けると彼女は再度喜びの声を挙げた。
「お花まで用意してくれたのですか?これはベルンでしか咲かないはずなのですが、どうやって手に入れたのですか?」
「赤い花はベルンの精霊祭に欠かせない、というのは知っていたからね。ブランドン爺に話してみたらすぐに取り寄せてくれたんだ」
「まあ、ロビン様ったら、爺なんて呼んではいけませんわ。でもさすがブランドンさんですわね」
「さすが、手に入れられない花はない、と言われるだけあるな」
そう言って感心するのは国王。
一方、テーブルを眺めて再び感嘆のため息を吐いたリリーはロビンに向き直る。
「私、昔からこうして好きな人とケーキと花を囲んで精霊祭を過ごすのが夢だったんです。おそらくベルンの多くの少女の夢なんですが。まさかこちらでその夢が叶うとは思いませんでしたわ。本当にありがとうございます。ロビン様。大好きですわ」
目を輝かせ、抱きつかんばかりにロビンに感謝するリリーに彼もまた「喜んでもらえて良かった」と笑う。新婚の精霊祭らしいやり取りに周囲はにこやかな笑みをうかべた。
そこで、「この後に渡すのは少し申し訳ないのですが」と、リリーは何かを思い出したように少しだけ席を立つ非礼を詫びると、続きの間に予め用意していた小さな箱を手にして戻ってきた。
「今日、ロビン様にだけはまだプレゼントをお渡ししていなかったですよね。ささやかですが一生懸命作ったので良かったらもらっていただけますか。」
作った、という言葉に疑問を浮かべつつ、「開けても良いかい?」とリリーに確認したロビンはリボンの掛けられたは箱を丁寧に開ける。すると中から出てきたのはやや不格好ではあるものの、その分人目で手編みとわかるひざ掛けだった。
「もしかして、リリーが編んでくれたのかい」
精霊祭のプレゼントとして手編みの品は定番だが、まさか姫として育った妻からもらえると思っていなかったロビンは驚きの声を挙げる。驚きの声を挙げるのは国王夫妻や 第一王女夫妻も同じだ。初めにしてはも目はおよそ揃っいて素晴らしい出来栄えだ。
そんなロビンと皆の様子に少し恥ずかしげにしつつも、リリーは頷いた。
「色々考えたのですが、せっかくですから手作りの方が良いと思いまして、ルーベル婦人に教えてもらったんです。手編みなんて初めてなので不格好ですけど」
「いや、十分素晴らしい出来じゃないか、とても初めて編んだとは思えないよ。それにまさかリリーに手作りのプレゼントを貰えるなんて思ってなかったよ。本当にありがとう」
まだまだ冷えるし、執務室で使わせてもらうね、と言いつつ一旦は、うっかりお茶でもこぼさないよう、丁寧ひざ掛けを畳んで椅子の背もたれにかけるロビン。そうしながらふ、と思い出したように言う。
「そういえば教えてくれたのはルーベル夫人と言っていたよね。もしかして最近城のみんながお散歩するリリーを見かけなくなったって寂しがってたんだけど、それは彼女の元を訪れていたからかい?」
「えぇ、そうですわ。編み物に割ける時間はそう多くはありませんから、時間を見つけては変身してルーベル婦人の元を訪れていたんです。もちろんマリアンネさんや侍女の皆さんも教えてくれましたけどね」
そういったリリーはあることを思い出す。
「そう、一度ロビン様が私を探して城中を探してくださったこともあったでしょう?あの時も実は被服室にいたのですよ」
「そうだったのかい、これはルーベル婦人の演技が上手かったということだね。でも部屋を見渡してもリリーがいなかったということは」
「先触れを聞いて鼠に変身していましたわ」
そのリリーの返事に苦笑する。魔力持ちとはいえごくごく微量の王子にはベルンの多くの民のように魔力からそこにいる人を判断することなど出来ない。
「でも、他のみんなもリリーに会えない、と言っていたからね。また行かないといけないね」
「えぇ、また時間が取れたら皆さんのところへも行きたいですわ。ただ」
そう、言葉を切ったリリーは少しいたずらっ子のような笑みを浮かべる。
「実はロビン様がお話された使用人の皆さんは私の居場所を知ってたんですよ」
「え、そうなのかい?」
「急に来なくなったら心配されると思いまして皆さんには今回のプレゼントのことを話してましたの。ただロビン様には内緒にしたかったので隠してもらうようお願いしていましたの」
だから、彼らのことを悪く思わないでくださいね、と言うリリー。
もちろんロビンもリリーが使用人たちから好かれているのは純粋に嬉しいし、あのときはロビンが明らかに急いでいないのが分かったから、リリーのことを隠したのだ、というのは分かっているから使用人達を責める気もない。
「それは気にしないから心配しなくて良いよ。むしろリリーがこの宮殿に溶け込めているようで良かったよ」
「えぇ、皆さんとっても良くしてくださいますわ。」
今度は自分も編んでみたい、とリリーに話しかける第一王女に、王子でありながら手作りの品を妻からもらう、と言う幸運を得た息子をからかう国王。王妃と第一王女の夫は先程切り分けたケーキに舌鼓を打つ。
皆で過ごす賑やかな精霊祭。リリーが夢見ていた景色はこれから毎年続くに違いない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます