初恋のあなた(終)

 そして月がまた登る夜。夫婦の寝室にはまたカーテンが引かれ、簡素だが上質な夜着に着替えたリリーはベッドの上で手持ち無沙汰に夫を待っていた。


 もっとも待っていたとはいえ、夫婦の予定は使用人の間で共有されている。実際待った時間はほんの僅かだが、リリーにはそれ何時間にも思えた。


 ドアが静かに空き、湯を使った直後なのだろう。やや髪をぬらしたロビンが入ってくる。いつもの穏やかな笑みのままロビンはリリーの隣に腰掛けた。


「お疲れさまでした。ロビン様」


「ありがと、リリー。ところで緊張してる?」


 その問いかけにぎこちなく頷くリリーに苦笑するロビン。


「そんなに緊張しなくても良いんだよ。朝も言ったとおり僕達には時間はたくさんあるんだし、そもそも婚約期間もあまりにも短かったしね。それよりも今日はリリーとゆっくり話したいことがあって仕事を切り上げてきたんだ」


 そう言うと、ベッドサイドのベルで侍女をよび飲み物を用意するように言う。ほどなくして用意されたティーセットをお盆ごと受け取ると、王子自らサイドテーブルに置き侍女を下がらせる。


 そうしてティーカップを見つめると、ふと目をつむった。


 すると、ティーカップがふわっと浮き上がる。最もその様子はグラグラとぎこちなく距離はリリーが以前王子に見せた時の半分もない。やがて力尽きたようにカップは皿に落ち、カチャンと音を立てる。


 その様子をリリーは目を見開いて見ていた。


「もしかして、王子も魔法が?」


「そう、見ての通り、本当に微力なんだけどね。そしてリリーにばっかり秘密を教えさせててごめん。一応トレシアのルールとして国の機関以外で魔力を明かして良いのは血縁だけ、ということになっていてね」


「いえ、今は魔法を警戒する国のほうが多いのは承知していますわ」


「そう言ってもらえると助かるよ。そしてこの力が実は僕達の結婚に関係しているんだ」


 そう言う、ロビンにリリーは少し視線を下げた。


「と、言うと、やはり魔力持ちに期待されている、ということですか?でも私のこの魔力ではあまり期待は・・・・・・」


 そういうリリーにロビンは慌てたように、大げさに手を振る。


「違うんだ、リリー!ごめん言い方が悪かったね。確かに僕達の結婚には政略の意味もある。ただそれはどちらかと言うと、各国の国力のバランスを取らないと行けない中で、トレシアと婚姻関係を結んでもあまり国力が上がらないベルンが選ばれた、というのが正直なところなんだ」


 言い方は悪いが、商業の急速な発達でここ数十年で急に発展したトレシアを初め商業国家はいずれも他国との関係作りに苦労している。ベルンとの婚姻がすんなりと承認されたのも近隣で一番国力が弱く、他国の妬みを買いにくいから、という理由が大きいのだ。


「そして、リリーはこの結婚を政略結婚と思っているだろうし、実際そういう扱いをしていたからそれで良いんだけど、」


「いえ!」


 ロビンの言葉を途中で遮ろうと声を上げるリリーにロビンは微笑んでその言葉を止める。そして話を続ける。


「実は僕がリリーを選んだのには裏の事情があったんだ」


 そう言うと、ロビンはもう一度、軽く目を閉じる。するとポンッと軽い音がして、そこにはお澄ましした白い毛並みが美しい猫がお座りしていた。


「えっと、王子?でも猫?あの時の?」


 何が起こったのか、今ひとつ混乱しつつもリリーは操られたかのように目の前の猫に手を伸ばす。伸ばされた腕に猫は何のためらいもなく擦り寄り、リリーは両腕で猫を抱き上げるとその整った毛並みを撫でた。


 ある程度リリーがその毛並みに満足したところで、猫もリリーの腕から飛び降り、猫そのものの様にベッドの上に戻る。そしてまた軽い音がすると、そこには先程と同じ様子のロビンが座っていた。


「あっ、ごめんなさい。思わず撫で回してしまいましたわ」


「いや、構わないよ。毛並みを撫でられるのは好きだしね。むしろ『猫は少し苦手で』といわれなくてホッとしてるかな。なんといっても鼠の姫君だから」


 そのロビンの言葉にリリーは苦笑する。


「鼠に変身している時はまた別ですわ。そして、ロビン様はあの時助けてくださった子猫さんだったのですね」


「助けて・・・・・・あげられてたかは微妙だけど、どちらかというと助けられたような気がするけど、それはひとまず置いておいてそう、あの時の子猫は私が魔法で変身した姿だったんだ」


 その言葉にリリーはなるほど、と納得する。それはあの子猫が誰か全くわからない筈だ。まさか隣国の王子が魔法を使えるとは思っていなかったのだから。


「だから、私はリリーが時々鼠の姿でお忍びをしていることを知っていたんだ。城の中でも何度か猫の姿で変身したリリーと遭遇しているんだよ」


 もっともこの姿で会うと、逃げられてしまうんだけどね、と苦笑するロビンだが、猫は鼠の天敵だから仕方ない。


 そして話を続けるロビン。


「ベルンで助けてもらった後、僕はあの勇敢な魔法使いのことを探したんだ。幸い鼠の姫君の話はベルンでは噂になってたから、その話とあのときのリリーが繋がるのに時間はかからなかった。正直に白状するとあの後も何度かベルンのお城に行っては猫の姿でリリーを見てたんだ。そして、優しく気高く、前向きなリリーを見る度にリリーを妻にしたい、その思いは募る一方だった。私の初恋だったんだ」


 熱烈な王子の告白にリリーは顔を赤らめる。一方ふと湧き上がった疑問をリリーは口にしていた。


「そこまで想っていただけていたなんて・・・・・・思いもよりませんでしたわ。父からは完全な政略と聞かされてましたし、婚約期間も短かったでしょう?」


「そこは、申し訳ないところだね。あなたの父上はなんとしてもベルンに利のある結婚を、と望んでいたから。ある程度ここトレシアでの立場を確たるものにしたらすぐにでもリリーを妻に迎えたかったんだけど、その交渉に時間がかかってしまって。そして結婚相手選びの壇上に上がる頃には相当な数のライバルがいたんだ。大公殿下は婚約後でもより有利な話があれば乗り換える気だったから。こうしてあなたを妻にするまでは安心出来なかったんだ」


 その言葉にリリーはなるほど、と思う。確かにあの父であれば、より良い条件があれば一度まとまった話を反故にしてでも別の婚約をまとめかねない。異様に短い婚約期間も充分理解出来た。


「と、言うわけで、外から見れば完全に政略結婚なんだけど、リリーは私の初恋の人で、あなた自身のことが欲しくて妻に迎えたんだ」


 もっともリリーにとっては知り合ってからの時間も短いしこれからゆっくり関係を作れたら良いんだけどね、そう笑うロビンにリリーは首を振る。


「いえ、私もあの時の子猫さんが初恋の人でした。まさか会えるとは思ってませんでしたが。それに、その短い婚約期間でしたが、ロビン様がとても素敵な人だということは知れましたわ。あなたとでしたらとっても素敵な時間が過ごせそうな気がします」


 そう顔を赤らめつつも何とか言い切ったリリー。その言葉に嬉しそう「本当に、とても嬉しいよ。」と笑顔をみせうロビンに、さらに恥ずかしさが増したリリーは照れ隠しを口にする。


「でもこれで猫の王子と鼠の姫君の夫婦の誕生ですわね。私としては素敵なタッグだと思うのですが、ちょっとおかしいですわね。なんと言っても猫は鼠を食べるものですから」


 そう言って笑うリリー。そんなリリーの言葉にロビンも笑いながら、リリーの頬に手を寄せる。


「また、たしかに変わった組み合わせだけどね。でも、猫は鼠を食べてしまいたい、そう思っているのも覚えておいてね。ゆっくりで良いけど」


 そう言って目を細めるロビンの手を取りながらリリーは勇気を振り絞る。こういうことはタイミングだ。


「ゆっくりでなくても良いですのよ。新婚の夜は短いと言いますし」


 目の前のロビンに聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声ではあるが、バッチリ聞き取ったロビンは「本当に?」と聞く。


 恥ずかしげに小さくではあるがリリーが頷くのが合図。王子の手が背にまわるとロビンがリリーにそっと口付け、2人の影が重なる。


 ロビンの体温を感じつつ、素敵な夜の始まりと、もっと素敵な2人の時間の始まりを感じて、リリーはロビンに口付けを返したのだった。


 トレシア王国をより発展させ、国民達の敬愛を受けた国王ロビンと、その妃リリー。いつも穏やかな笑みを浮かべているのが印象的な2人だが、一方で悪事を企む者からは恐れられていた。なにせいつの間にかこっそりと進めていたはずの悪事がバレているのだ。もっともそれがどこからバレたのかは全くわからない。それは王子と妃、そして本当に限られた人だけが知る秘密の魔法によるものだったからだ。猫の王子と鼠の姫君。おしどり夫婦の秘密が知られるのは、隠されていたことが公になっても問題がないほどずっと後の話。

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