国を挙げた慶事
ガラーン、ゴローン。
ここ、トレシア王国の王都で最も格式高くそして大きな大聖堂の尖塔、その頂に取り付けられた鐘の音が街に鳴り響く。なっているのは大聖堂の鐘だけではない。街のありとあらゆる教会の鐘がこの鐘の音を合図に一斉に鳴り響き澄んだ空気に響き渡る。
繰り返し鳴り響く鐘の音が街中に今日、国を挙げての慶事があることを知らせ、勤勉で知られるトレシアの国民も今日ばかりは仕事の手を止め、鐘の音に聞き入りそして大通りを目指した。
前回の王族の結婚からどれくらいか。今日は久しぶりの王族の結婚式。それも次の王となるであろうロビン王太子の結婚式ともなれば国民の興味も一際だった。
国中の注目を浴びる結婚式。各国の王族はじめ代表者たちの目線を浴びて、流石に今日の主役の片方たるリリーも緊張で先程からずっと鼓動が大きく音を立てている。
(う〜ん、予想はしていたけど、それにしても教会の中まで入ってこられるのは本当に高位の貴族と各国の代表たちばかりね。流石に緊張するわ)
王子のエスコートで教会の入り口に立ち、そして参列者を見渡したリリーは心の中でそうこぼす。そしてリリーの緊張を高めるのは参列者だけでなく隣でまたリリーと同じように緊張感を漂わせている王子の服装にもあった。
(よく考えたら王子の軍服姿って初めてなのよね。こうしてみるとやっぱりロビン様って王子様なんだって改めて感じるわ)
他の多くの国同様、トレシア国王はトレシア王国軍の長であり、ロビンもまた軍の重要な地位にいる。そのため彼の礼装は軍服であり、近衛隊を初め限られた者しか許されない白地に金モールの軍服に勲章をいくつもつけた姿は普段の柔和な雰囲気とは打って変わって凛々しさを感じさせるもので、そのギャップにリリーの鼓動は大きく跳ねた。
「行こうか。リリー」
「ええ、ロビン様」
側近が出す目線での合図に答え、そう微笑んだ王子にリリーもまた何とか短く答え、ゆっくりと歩き出す。そこから先はとにかく転ばないよう、間違えないようにするのに必死で記憶も曖昧だった。
王族の結婚式とはいえ、その内容は特別なものではない。
新郎と新婦、そして二人の証人が名簿にサインをすることで婚姻が成立する。証人は親類に頼むのが一般的だが、他国から嫁いだリリーの場合はトレシアでも由緒のある公爵が其の役目を務めてくれた。
何とか手を震わせつつ間違えずにサインをすると想像以上にあっけなく儀式は完了する。その後は教会から出て、馬車で大通りを通って王宮へと戻る。国民達が待ち望んだお披露目の瞬間でもある。
王都でも最も賑やかな大通り。普段は荷馬車が行き交うこの通りも軍により規制が敷かれ二人の馬車が道の真ん中をゆっくりと進むのを詰めかけた住民たちが歓声を上げて見守る。
一方で実は街にはまだ出たことのなかったリリーも初めて見る王都の景色に興奮を隠せないでいた。
「ロビン様、たくさんの方が来てくださいましたね。それにお店もたくさん並んでいますわ。話には聞いていましたが思っていた以上に賑やかな場所ですわね」
「リリーは街に出るのは初めてだっけ。この辺りにはトレシアを代表する商会が軒を連ねているからね。また今度時間があったらお忍びに来ようか」
「良いですの?」
「もちろん。リリーにはこの国の素敵なところをもっと知って欲しいんだ。それに人呼んで選ぶのも良いけど、店先を巡って気になったものを買うのもまた楽しいからね」
王子の素敵な提案に胸をときめかせつつ沿道の人々に手を振る。仲睦まじくほほえみ合う王太子夫妻の姿に大きくなる一方の歓声を感じながら二人は王宮へと向かうのだった。
無事に王宮へと戻ってきた二人だったが大変なのはこれからだ。ここは商業国家トレシア王国。これから会場の大きさの都合で入れなかった者も含めて国中の貴族、世界中から集まった賓客を招いた大舞踏会が始まるのだ。その規模は世界でも指折り。広い宮殿の大広間を使っても人で溢れかえる程だ。
すでに大広間には着飾った貴族たちが集まりつつある。そんな様子を横目に見つつリリーは控えの間に入りドレスを着替える。王宮お抱えのデザイナー懇親のウエディングドレスは最高の布とレースを用い、国を代表する職人たちが腕によりをかけて製作した。豪華絢爛な真っ白なドレスはそれはそれは美しいのだが、儀式向けに作ったそれはあまりにも重く踊るなどもってのほか、歩くのすら実は後ろでドレスを支える人がいるほどだ。
そこでここからは舞踏会向けの別なドレスに着替えるのだ。もちろんこれもまた、この日のためだけに職人たちが最高の技を出し尽くした一級品。鮮やかな青に栗色を差し色に使った上品なドレスはいつかのようにリリーが誰の妻なのかをこれ以上なくはっきりと示すものだ。一方準備が出来たリリーを迎えに来たロビンもカフスやクラヴァット留にリリーの瞳の色である澄んだ緑を用い胸には百合をかたどったブローチをしている。
ある意味客人たちに対するアピールのようなものもある、というのは理解しつつもお互い独占欲を隠す気がないかのような装いに少し気恥ずかしさも感じつつ、ロビンとリリーはほほえみ合う。
「では、行こうか」
「えぇ、お仕事の時間ですわね、ロビン様」
二人で目線を合わせると、ロビンは主役を待ち望む大広間へとリリーを誘った。
ロビンとリリーの堂々たるファーストダンスで始まった舞踏会。人々は踊ったり、歓談したり、と思い思いに過ごしているが、主役である二人のもとにはひっきりなし各国の要人たちが挨拶に訪れていた。今後のさらなる関係の発展を求める者もいれば、強国トレシアとの関係を作りたい者もいる。
いずれにせよ、今日は祝いの日ということで皆、少なくとも表面上はにこやかにお祝いの言葉を述べ、花嫁の美しさを褒め称え、リリーはそれに頬を染めて感謝を述べ、そして時折客人の途切れる瞬間に王子と2,3言を交わす。
穏やかな笑みを浮かべて、囁き合う二人は周りから見ると新婚らしく微笑ましい光景だが、その内容は周囲の思うようなものではない。
「先程の方は、東方の方で磁器の売り込み先を求めているとか。この前ベルモア伯爵夫人がサロンで教えて下さいましたわ」
「彼女の勧めなら、質は確かだろう。また後ほど接触してみよう」
「こちらに来る緑の上着の方には気をつけて。トレヴァーズで禁制の武器を勧めてきたらしい」
「分かりましたわ。注意します」
にこやかに会話する風を装って、会う人々の情報を交換し合う。最近は二人で情報交換をする機会が増えたこともあって、少しの言葉でも相手の意図が理解できるようになってきた。とはいえ、会場中の視線を浴びている中ではなかなか会話もはかどらない。こういう時に、無言でも言葉が伝わる魔法が使えたら、リリーは思う。それは他人の精神に干渉するかなり高度な魔法でリリーには夢のまた夢だった。
そんなことを考えつつこちらに向かってきた人物を見つけ、そしてリリーの表情が一瞬固まった。慌てて表情に社交向けの笑みを貼りつけたリリーに向こうから人物は特に違和感を感じなかったようだが、ロビン王子にはバッチリ分かってしまったらしい。気遣わしげな視線を向けられ、そしてエスコートする力がギュッと強くなる。その柔らかな視線に落ち着きを取り戻したリリーは、ニッコリとこちらに来た相手と対面した。
「この度はご結婚誠におめでとうございます。ロビン殿下、リリー妃殿下。ロベリア国王の命を受けて参りましたファブリカと申します。以後お見知りおきを。妃殿下に当たりましては大変お美しい方とお伺いしておりましたが今日は一段と輝いていらっしゃいますね」
「祝いの言葉感謝する。ファブリカ殿。そして国王陛下にも祝いの言葉と品をいただきトレシアとして大変感謝していると伝えて欲しい」
まだ若い、とはいえロビンよりは年上のファブリカ卿に感謝を伝えるロビン。それに続きリリーもお辞儀をして返す。
皆、穏やかな笑みを浮かべているが、それは表面上であることを皆隠しはしない。彼の本来の姿をすでに知らされているトレシアの重鎮達には緊張が走る。
今ここで穏やかな笑みを浮かべる青年。彼こそが鼠姿のリリーが目撃し、トレシア王国軍の調査でベルンの魔法使いと裏で繋がりを持っていたことが明らかになった人物である。しかし、トレシアに対して何らかの危害を加えようとした証拠までは上がっていない。結局、皆慎重に彼らの会話を見守ることしか出来なかった。
仮に裏での行動がなくても、ロベリア王国はトレシアの東方に位置し、トレシア同様に商業での影響拡大を目指す商業国家。いわば商売敵。それも共に北方の海を渡ってくる品々をこちらの大陸の国々に売ることを主な事業としており、もともと決して仲が良いとは言えない国同士だ。
この大陸の主要顧客であるランセル王国やカイデル王国への距離ではトレシアに歩があるが、冬季は荒れるとは言え、自国内に港を有するという点では圧倒的にロベリアが有利だ。結局のところ今のところは国内の商会の力の差でトレシアが覇権を握っているという部分が大きい。
とはいえこの場は祝いの席。穏やかにつつがなく会話を終え、ファブリカ卿は二人の前を辞するのでは?と皆が思い初めた時、急に彼がニコリと笑いそして爆弾を落とした。
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