二人のデート

 王子と別れ、自身もテラスから部屋の中に戻ったリリーは一緒についてきたクレアの方を向き直る。


「ねえ、聞いたわよね、クレア?王子からお散歩のお誘いよ。初めてのデートよ!」


 今、この部屋にいるのはリリーと数人の侍女だけ、取り繕う必要もなくなったリリーは興奮冷めやらぬ様子で続ける。


「せっかくだから殿下に可愛いって思ってもらえるような格好で行かないと。せっかく予定が少ない日なのに悪いけど、皆お願いできるかしら?」


 そんなリリーの問いだが、侍女たちは断るはずもない。


「もちろんですわ。お任せください。」


 と答えつつ、クレアは感慨深げにする。


「姫様も変わりましたわね。とっても良い変化だと思いますけど。」


「あら、私なにか変わったかしら?」


「えぇ、これまでの姫様は『場にふさわしくして欲しい』とおっしゃることは会っても『可愛くして欲しい』と仰ることはありませんでした。それがおしゃれに興味を持たれて、可愛く見て欲しい、と思う方が出来たのでしたら、私としてはとても嬉しいことですわ。夫婦仲は良いに越したことはありませんしね」


 そんなクレアの言葉にリリーはキョトンとする。自分が王子に可愛く見てもらいたい、そう思っていたことに今更気づいた様子だ。


「そ、そうね。よく考えたらこんなこと考えたことなかったわ。でも殿下のことが好きって言うのも違う気がするの。いえ、もちろん嫌いじゃないわよ。むしろとても良い人だと思うわ」


 クレアの言葉に反応し、そして自分の行った言葉に慌てだすリリーにクレアは苦笑する。


「わかっております。殿下とはお会いになられたばかりですものね。お二人が結婚することは決まっているのですから、急いで仲を深める必要もありませんわ。」


「そうよね。これから時間はいくらでもあるものね」


 クレアのフォローに大きくうなずくリリー。そうして時間をかけて良い関係を築きたい、そんな思いをリリーが王子に対して持っていることに今後の素敵な夫婦関係を予想し、侍女たちは穏やかな笑みを浮かべるのだった。


 翌日の昼下がり、リリーはこの広い宮殿の東側の一角を卒のない王子のエスコートを受けながらゆっくりと歩いていた。


 時に鼠に変身しつつ、時間を見つけては宮殿のあちこちに出向いていたリリーだが、この付近には来たことがない。軍の管轄の建物が多く軍人も多く行き交うこの周辺は危険だから、と侍女たちに止められていたのもある。


 とはいえ、宮殿を守る軍人たちは軍の中でもエリート中のエリート。実力だけでなく、粗行も礼儀も一級でなければ配置されない。


 二人が王太子とその婚約者だと、いうことが知れているということもあるが、すれ違う軍人たちは彼らの姿を見るとさっと折り目正しい敬礼をし、道を譲ってくれる。

 そんな彼らにリリーはにっこりとした笑みを浮かべ、軽く会釈して進んでいく。


 リリーの「お願い」に全力で答えてくれた侍女たちの懇親の作は、淡い桃色のドレスに白い花柄の日傘がよく映えるお散歩スタイル。胸元の青色のリボンが可愛らしくリリーはとても気に入っていた。


 そんなリリーを見た王子の褒め言葉も絶好調だった。


「今日はまた普段とは少し雰囲気が違うね。より可愛らしいというか、清楚というか。青いリボンもよく似合ってる。」


「ありがとうございます。侍女たちが頑張ってくれたのですわ」


「それは彼女たちに感謝しないと。でも、ということは今日のためにおしゃれしてくれたということかい?普段はどうしても立場にふさわしいかが第一になるからね。今日は完全に僕のための装いだね、嬉しいよ。」


 そのとおりなのだが、指摘されると恥ずかしいリリーは下を向く。そんなリリーを可愛くて仕方ないという目で見ていた王子だが、


「あんまり下を向いていると危ないよ。僕達が来ることは伝えてあるとはいえ、この辺りは馬も通るしね」


 そう言いながらリリーをぐっと引き寄せる王子。その視線の先には軍人達に引かれた何騎かの馬たちがおり、リリーは興味深げに目をやる。


「馬が珍しいかい?ベルンでも主な交通手段は馬車だよね」


「あと、空を飛ぶ魔法と変身魔法ですわね」


「ああ、なるほど、僕達には想像も出来ない世界だね」


 知識としては知っていたもののファンタジー小説のような言葉に王子は苦笑する。


「私も出来ない世界ですわ。でも鳥みたいな空を飛ぶ動物になれる人は城下にも割といて、そういった人は空を飛んで移動することも多いようですわ。」


 そんな事情から馬の数は多くなく、またリリー自身は馬車での移動が多かったが、姫としての振る舞いをとにかく要求されたリリーは実際に馬の近くに行くことは出来なかった。鼠の姿でなら行けたかも知れないが、流石に小動物の姿で大きな馬の近くに行くのは少し怖い。


 無意識に王子の上着をギュッと握りつつも、その視線は初めて間近で見る馬に釘付けで、そんなリリーを王子は微笑んで見守る。


 なんだかんだで結構な距離を歩いただろうか。宮殿の敷地の端の方まで来ると、東塔の入り口が見えてきた。確かにロビンの言う通り、普段見ているのは高い塔の部分だけだが、実際はちょっとした屋敷のようになっており、門をくぐると、その建物の一つに入ることになった。


「ここからは階段が続くよ。そんな急なものではないけど。ここまでも結構な距離を歩いてきたけど大丈夫?」


「えぇ、もちろんですわ」


 リリーを案じる声に彼女は元気よく返す。実を言うと少し疲れて来てはいたのだが、以前から気になっていた場所に入ったことで、その疲れも吹き飛んだ。


 建物の中をぐるぐると回るようにしてどのくらい登っただろうか。結構な高さまで来たのではないか、そう感じた頃に通路が行き止まりとなり、その壁には大きな両開きのドアがある。


「さぁ、この先が塔の屋上だよ。行こうか」


 予め鍵を借りてきていたのだろう。上着から何やら取り出すと、王子手ずから鍵を開け、そしてドアを開けてくれる。彼に促されるまま、リリーはそのドアの先に進み、そして息を呑んだ。


「まぁ、素敵。王都の町並みが一望出来ますのね」


 リリーがそこで見たのは、夕暮れのオレンジ色の光に照らされた王都の喧騒。日暮れまでに仕事を終えようともうひと踏ん張り仕事をする人々が動き回り、あちこちを馬車が走る。市場では買い物に興じる人の姿も多く見られた。


「ベルンの街ならよく見ていましたが、何倍も大きくて賑やかですわ、さすが商売の国の王都ですわね。あ、あちらは貿易街ですか?」


 後ろからドアを締めてやってきた王子に振り返りつつ聞くリリー。


 予想以上に喜んでくれたことに笑顔になりながら、王子はその質問に答える。


「そうだよ。そっちに見えているのが貿易街。世界中の商品が集まって来ては、売り買いされる。ここからでもいろんな国の言葉が聞こえてくる気がしない?」


「えぇ、もう皆さんの声がそこで聞こえてくるようです。東塔は街を見渡せる場所にあったのですね。」


「もともとは、この宮殿を守るための見張り台のようなものだったそうだ。今は別の場所により高い見張り台を作ったので使っていないのだけど、街を見渡すにはこちらのほうが良い場所にあるんだ。」


 そんな王子の言葉にうなずきつつもリリーは眼下の街の風景に釘付けになる。ちょうど晴れ渡っていることもあり、街の様子は遠くまで見える。


 活発に動き回る人々を眩しそうに眺めつつ、その視線を遠くにやるとあるものが目に入った。


「あそこは街道ですわよね。港まで続いているという。大きな荷物が行き交ってますわ。」


 そう言うリリーの視線の先にあるのは、整備された街の北側。とりわけ大きな道がある辺りだ。建物が集まり喧騒に包まれている街でその堂々たる存在が目をひく。大きな馬車が数台横並びになれる大きな道は、トレシアが発展した最大の理由。隣国ランベールの港から国を南北に貫く大街道だった。


 そもそもトレシアは今も決して大きな国ではない。そんなこの国がこの地域の盟主たる地位になれたのは、海に面した地域が少ないこの地方で、港から内陸の各国への荷物の通り道となることにいち早く目をつけて、街道や市場を整備し、積極的に商人を受け入れたからにほかならない。多くの商会が軒を連ね、海の向こうと内陸の国々の品々を扱うこの国は、今や商売の国として知られるようになっている。それを象徴するかのように、街道にはもうすぐ夕暮れということもあり、今日中に王都に入ろうとする人々で大賑わいだった。


 目を輝かせて街の様子に釘付けになるリリーの側により王子もまたその景色を見る。そしてリリーに言う。


「ここは私のお気に入りでね、姫様には結婚する前にこの景色を見せたいと思っていたんだ」


 その視線は一度、隣のリリーに柔らかく微笑んだ後、また街の喧騒へと戻る。


「姫様なら覚えがあると思うけど、王太子としての教育はたとえそれが高貴な地位にいるものの義務とわかっていても辛い時があるほど苛烈なものでしょう?」


 その言葉が身に染みるリリーは大きくうなずく。


「私は特に言語が苦手で、外国語の授業は苦痛で仕方なかったんだ。そしてもう全て放り出したくなる度にこっそり従僕達を撒いてはこの場所に登ってきていたんだ」


「殿下がですか?今のお姿からは想像出来ませんわ。」


 ロビン王子は国際色豊かな商業国家の王太子らしく、数カ国語は母国語同然に話せ、ある程度話せる言葉なら両手を超える。そんな彼が外国語が苦手というのはにわかには信じられない。そんな表情がありありと浮かぶリリーに王子は苦笑した。


「この国の王子が外国語を話せないなどということは許されないんだ。この国では絶対に。」


 そう言った後、王子はおどけたような顔をする。


「幸い私の場合、優秀な教師たちが劣等生の私に根気よく付き添ってくれたおかげで今の私がいる。よかったら当時のことはマリアンヌに聞いてみて。今なら笑うことのできるようなエピソードも多いから話のネタには良いかもしれないしね」


 そして、王子はまた街に視線を戻す。


「ここに逃げてくるたびに街を行き交う人を眺めて、自分がこの賑やかな国を守らなければならないんだ、と思ってたんだ。そう思うと、また頑張ろうと思えたんだ。だから姫様にもぜひこの街の光景を見て、私が守りたい景色を見てもらえたら、と思ってたんだ」


「もともと素敵な景色だと思っていましたが、今のお話を聞いてもっと好きになりましたわ」


 そういうリリーはほとんど無意識に隣の王子の腕に手を回していた。


 王子の言葉にはリリーにも覚えがある。魔法の国で魔法が使えない自分。世界の人々が集まる国で外国語が苦手な王子。その結果は違うものだけど、王子がどれほど苦労したかは身に染みてわかる気がした。


 そんなリリーに王子が次に発した言葉は予想もしないものだった。


「姫様もだよね」


「えっと、何がでしょう!」


 その言葉に驚き、そして無意識に腕を掴んでいたことに気づいて慌てて離れる。しかしそんなリリーの手を今度は王子が握り引き寄せる。


「姫様も魔法が使えて当然の国で魔法が苦手だよね。それがどれほど苦しいことか、多少ですが私にも分かるんだ。でも姫様もそれを努力でカバーしてるよね」


「ですが、私は魔法が使えま」


 その言葉を王子が遮る。


「ベルンの方々になんと言われたか全ては分からないけど、あなたは優秀な魔法使いだ。そして何よりその力をこの国のために、この国の人々のために使ってくれることが何よりうれしいんだ」


 そして一息いれて王子が言葉を発する。


「姫様は変身魔法を使ってるよね。」


 一瞬時間が止まる。


 先に次の言葉を言ったのはリリーだった。


「はい、そうです。気付いていらっしゃたのですね。・・・・・・」


 そう苦しげに話すリリーに慌てたのは王子の方だ。


「いや、姫様、決して私は姫様を責めたい訳ではないんだ。もともとあなたが変身魔法で鼠に姿を変えられることは知っていたし、ベルンの姫君を迎えた時点で魔法を使うことは予想していたことだ。でも姫様はその力を自身やベルンのためでなく、トレシアのために使ってくれてるよね。それが何よりも嬉しいんだ」


「では魔法を隠していた事を責めないのですか?」


「どうして責める必要がいるんだい?むしろ勝手に暴いて申し訳ないくらいだ。ベルンの人々はそういうのを嫌がる人が多いでしょう?ただ姫様はそちらの方が動きやすいかと思って私が勝手にしただけだ。だからこれからも危ないことさえしなければ存分に魔法を使ってくれて構わないよ。」


 そこで、王子は言葉を切り、そしてリリーを見つめ直す。


「それよりも姫様にわかって欲しいのはあなたの魔法で救われている人がいて、助けられる国がある、ということなんだ。あなたは魔法に自信を持って良いんだよ」


 その言葉にリリーは心の奥で何かが溶けていくのを感じた。

 同時に王子がこの場所につれてきてくれた意味がわかった気がした。もちろんこの景色を見せたかったのも、一緒にこの国を守りたい、と伝えたかったのもあるだろうが、一番は自分の中にある葛藤を感じていてくれたのだろう。

 ベルンで気にしていない、と言いつつ心に巣食い続けている「魔法が使えない姫」という言葉。その言葉を王子は何度も崩そうとしてくれているのを感じた。それは王子にもまたリリーの抱える苦しみがわかるからなのだろう。


 リリーはそんな王子に以前から尊敬以上のなにかを抱いている気はしていた。だからこそ王子にはなんとかして良く見られたかったのだ。でも今、そのなにかを掴んだ気がした。その気持ちを伝えなければ、そう思うものの結局思い切りがつかず、リリーは別の言葉を選んだ。


「リリーですわ」


「えっ」


「私の名前ですわ。多くの人は私を「姫様」と呼びますが、旦那様が姫、と呼びかけていてはおかしいですわ。どうぞ私のことは「リリー」とお呼びください」


「そうだねじゃあ「リリー」、そのかわりに私のことも「ロビン」と読んでくれるかい。いつまでも「殿下」じゃあ堅苦しいしね」


「かしこまりましたわ「ロビン様」。実はクレアでも呼ばないロビン様だけの特別の呼び方でしてよ」


「特別」を強調してリリーは少しおどけたように話す。その裏に隠された思いに気づいたのか気づかなかったのか。


 段々と風が涼しくなっていく塔の上で二人は寄り添いながら、王子が街のあちこちを案内する。そうしてしばらくのんびりとした時間を過ごしたのだった。

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