碌でもない知らせ

 お茶会での事件から数日。まだその余波も収まらない中、リリーは今日も忙しい合間を縫ってリリーの私室を訪れたロビンの言葉に見を瞬いた。


「グレーホルンの第二王子が明日にですか?それはまた急な話ですね。」


「あんなことがあったばかりでまた負担をかけて申し訳ないけど、隣国だけに断りづらくてね。それに彼とは古くからの付き合いでもあって。お願い出来るかい?」


「えぇ、それはもちろん。お役に立てるかはわかりませんが、精一杯務めさせていただきます。」


 そう言いながらリリーは頭の中にこのあたりの地図を思い浮かべる。


 ベルンがトレシアの南ならばグレーホルンは東に位置する国だ。各国の交通の要所に位置し、様々な文化が入り乱れたグレーホルンは芸術の国として知られ、美術、舞台、文学などどの分野においても常に先端をいく国として、特にその王都は芸術家達が集まりトレシアとはまた違う活気にあふれているとの噂だ。


 そんな彼の国の第二王子ウィリアムは「俳優王子」と呼ばれるほど舞台に精通していることで知られる。王子として主に外交を担うようになってからは表だって舞台に出ることは流石になくなったものの、今も各地の劇場の支援を続け、そして時折一役者に扮して舞台に立っていると言われている。


 私の知っている知識はこれくらいなのよね。


 後で侍女達にお願いして、復習しておこうと考えるリリーの思案顔に笑いを噛み殺したロビンは


「そんなに気構えなくて良いよ。さっき行ったとおり、僕とウィリアムは古くからの知り合い、具体的には彼がこの国に留学していたときの学友でね、当時は色々とやんちゃもしたものだ。だから謁見と言っても重たいものじゃないし、気軽に考えてもらって良い。だからこそ明日いきなり会いたいなんて無茶が通るんだけどね。」


「そういうわけにもいきませんわ。殿下の古くからのご友人ということでしたら、なおさら今後のためにも失礼のないようにしなければ。明日はいつ頃こちらにいらっしゃいますの?」


 早めに来られるのであれば急いで隣国のことについて復習しなければと思い質問したリリーだったが、


「あぁ・・・・・・、明日の午前中早く、と聞いているけど」


 と言うロビンの言葉に声には出さず悲鳴を上げたのは後ろで控える侍女たちだ。


「そういうことでしたら今日のうちにドレスを選んでしまわなければ・・・」


「宝飾類も用意しておかなければ・・・」


「姫様も明日は早起きしていただかなければなりませんからね。今日は早く休んで頂いて・・・」


 そういうことはもっと早く言って下さい、と言わんばかりに準備に動き始める侍女たちに追い出されるそうになるロビン。そんな彼は、慌てて侍女たちを止めた。


「ちょっとまってマリアンヌ。君たちの気持ちはよく分かるけど、せめて彼女とお茶の一杯ぐらい飲ませてくれないか。今日は殆ど彼女と話せていないんだ。あとそれに彼女に渡さないと行けない手紙もある。」


 今はリリーについてくれることも多い侍女頭、マリアンヌはロビンも少年時代には相当世話になったらしい。彼女の前では普段の落ち着いた物腰が堂に入ったロビンも歳相応に見える。


 それはそうと、最初は時間もないから、と王子に無視を決め込む様子だった侍女頭だったが手紙を目に止めてその手を止めた。王子が手にしている一枚の封筒。その封蝋がベルン大公家のものであることをこの距離から瞬時に見分けるのはさすがと言える。王子がこれを直に持ってくる時点でなにかある、と見抜いた彼女は、侍女たちにさっとお茶の準備をととのえさせた。


「その手紙を直接持ってきてくださったということは王子はこれが碌な内容ではない、と思っていらっしゃるのですわよね。」


 王子から渡されたそれを侍女が渡してくれたペーパーナイフで開封しながらリリーは話す。わざわざ自分への手紙。それもベルンの人間がトレシアに対して悪意を持っているかも知れない、とわかったそばからの手紙など碌でもない予感しかしない。正直なところ読むのが気が重い、という顔をするリリーに王子は苦笑する。


「実を言うと、私はこれを受け取った時にその内容は聞いているんだ。今話しても良いかい?」


「えぇ、是非お願いします。」


 すると王子は少し居住まいを正す。


「簡潔に言うと、我々の結婚式だが、ベルン公国からは大公の名代として第一公子が参列することに決まったそうだ。」


「と、言うことは一の兄様が・・・・・・」


 王子の言葉に一瞬顔を曇らせるリリーだが、すぐに表情を戻す。しかし目ざとい王子はその変化に気づいていた。


「我々の調査だと、姫様はベルンではあまり良い扱いをされていなかったそうだね。実際、こちらに来るときにもあまりにも同行が少なかったし。もしかすると、その冷遇の中心にいたのがそのお兄様なのかい?もしよければ話していただけるとありがたいのだけど。」


 と言いながら、王子は目線を侍女頭にやる。人払いを、という王子の意図を受け取った彼女が動こうとすると、それをリリーが止めた。


「人払いは不要ですわ。私にとっては過去の話ですし、それによくあるような話ですわ。」


 そう努めて明るく言うと、リリーは上の兄について話し始める。


 魔力が大公家の姫としては極端に弱いことが分かった日から周りの人々の接し方が大きく変わったリリーだったが、それはなにかいじめられるというよりかは無関心といった類のものだった。

 せめて良い縁談を掴んでもらわなければ、と教育はしっかりされていたし、特別生活に支障があるようなこともなかった。両親の関心が急になくなったり、これまで仲が良かったり、可愛がってくれた人たちが急によそよそしくなったのは寂しかったが、そういうものだと割り切っていた。


 そんな中で、リリーの存在そのものを許せなかったのが上の兄だ。大公の血を色濃く継ぎ、特に魔法の才に秀でていた彼は家族の中に魔法が使えない姫がいることを許せなかったのだろう。


 それまで優しかった兄は、会えば露骨に嫌味を言われるようになり、侍女に命じて、目的と異なる部屋に案内させたり、リリーへの伝言を妨害したり、といった嫌がらせをするようになった。もちろんリリーの味方をしてくれる者もいたが、次期大公と、魔法が使えない姫では、どちらに付くべきかは一目瞭然。兄の命令を断れない使用人たちの気持ちもよくわかり、気付かないふりをしていた。


 嫌がらせをしても動じる様子のないリリーに余計に兄は苛立ちを募らせる。自分自身でも魔法を使い怪我をしない程度の脅しをしてくることはしょっちゅうだったし、大公にも「魔力のない姫など、ベルンでは言語道断」と放逐するよう掛け合っていたらしい。ベルンから遠く離れた国への縁談を模索していたのも兄が中心となってのことだ。


 ただ、いくら魔力がないとは言え、公女を大っぴらに大公家から追い出すことも出来ない。そんな状況に更に苛立ち嫌がらせが悪化する、ということが続き、最近では石やら何やらが突然降ってきたり、とその内容も過激になってきていた。


「そんな訳ですから、何とか私が困るような場所に追い出したい、と考えていたお兄様にとっては私がこちらへ嫁ぐことは許せないことの筈なのです。まさか私の花嫁姿を見に来る訳もありませんし、あんなこともあったあとですから結婚式やその後のパーティーでこの国になにかしないか心配なのです。」


 そう言って物憂げな表情を見せるリリーに王子がそっと寄り添う。


「なるほどね。式やパーティーでの警備については見直すよう言っておこう。彼に注意するように、とも。でもそれでは一番狙われれるのは姫様だね。それが心配だ。」


 そう言って案じる王子にリリーは努めて笑顔を作る。


「兄は意外と単純なんです。昔から色々されてきましたから自分の身は守れますわ。魔力がないことが分かってすぐの頃は結構反撃していたのですよ。流石に逆効果だと思ってやめましたけどね。ただ、それよりもベルンの魔法使いは兄様に限らず、目的のためなら魔法による被害を考えない傾向にありまして。周囲を巻き込んでも構わないと思っているのですわ。」


「まあ、それがベルン以外で魔法が廃れつつある理由でもあるからね。それにしても反撃って?魔力で義兄上に対抗するのは大変ではないかい?」


 リリーの言葉の「反撃」に王子は反応する。そんな王子にリリーはやや恥ずかしそうに下を向く。


「物理攻撃ですわ。魔法を使おうとしている段階でしたら体当たりしたりしても効果があるんですわよ。もっとも姫として褒められた方法ではないのですけどね」



 昔は結構お転婆で、と笑うリリーに悲壮感が漂っていた部屋が和む。


 空気が変わったことを感じたリリーは、さて、とロビンに話しける。


「そんな訳ですので、身内の錆で申し訳ございませんが、お兄様には注意していただく必要がありますわ。それとそろそろ私も準備をしなければ、殿下もそろそろ戻らないと、側近の皆様が怖いですわよ。」


 そう言ってこの話題を終わらせようとする。まだ聞きたいことはありそうな王子だったが、時間がないのも事実。


 ブルーノ殿には充分注意することにしよう、と言って執務室へともどっていくのだった。

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