役に立つ魔法
少しリラックスできるから、と侍女が入れてくれたハーブを使ったお茶を一応は口にしつつも、リリーは自室で思い悩んでいた。お茶を口にした表情が苦いものを飲んだときのようになるのは、独特の風味が特徴のカモミールだけが原因ではもちろんない。
結局あのままお茶会は中止となり、私室へ戻った彼女はそのままこの部屋で過ごしている。そして彼女の頭に浮かぶのはあの瞬間侍女を巻き込むようにして崩れた東屋の姿だった。
「役立たづ・・・・・ね」
彼女が故郷で繰り返し言われてきた言葉を口にする。あの時リリーはとっさに魔石で自身の魔力を増幅し、東屋全体に時間を止める魔法を展開した。だがリリーの魔力では人が数人入れる建物に魔法をかけられたのはほんの一瞬、直ぐに魔力は切れ、結局東屋は侍女が逃げる時間すら作れず崩壊したのだ。
魔法が浸透したベルンにおいては、魔力を用いて人に危害が及びそうになるのを防ぐ、といったことが盛んに行われている。庶民にも魔法が浸透しており、特に強い魔力を持って生まれた者の中にはそういった力を磨く者も多い。
もちろん国で最も魔力が強いはずの王族もその例外ではなく、大きな災害が起きそうな時には率先して民を助けるため魔力を使うのだ。
そんな国では、『役立たづ』というのは彼女を貶めるものでもなんでもなく、ただ事実の指摘だとしかリリーには思えなかった。そして今日自分の魔力の弱さを改めて感じたのだった。
幼い頃、赤ん坊と共に猫に狙われた日からなにか自分の魔法でも人の役に立たないか、そう思って研鑽を積んだつもりであったが。結局は無駄だったのかもしれない。
魔法がないこの国なら自分の魔法でも役に立てる顔もしれない、そんな淡い期待は今日、簡単に砕かれたのだった。
しばらくそうしていたリリーだったが、いつまでもこう沈んでいては、心配げに見守ってくれている侍女たちに更に心配をかけてしまう。それでなくてもとりあえず私室で待機してほしい、と伝言はあったが、それでも会を開いてくれた妃殿下にお礼の手紙を書くなどすることは色々ある。
「心配かけてごめんなさい、とりあえず妃殿下に手紙を書くわ。便箋の用意をお願いできる?」
努めて明るい声を出すリリー。そんな主を案じつつも侍女たちはリリーの指示を受けて動くのだった。
今日は結局晩餐も私室でとることとなり、夜も更け始めた頃、リリーの部屋のドアがノックされる。やってきたのはロビン殿下の従僕の一人だった。
「夜更けに申し訳ございません。ロビン殿下が少しだけでもリリー姫のお顔がみたいと、お越しでいらっしゃいますがいかがなさいますか?支度が必要であれば待つ、ともおっしゃられてます。」
「どういたしますか?姫様?」
突然の訪問に驚いたリリーではあるが、この忙しい筈の中ここまで来てくれた方を追い返すわけもない。幸いまだ部屋着ではあるもののドレスをまとっていたので軽く衣装を整えてもらうと、直ぐにロビンを部屋に迎え入れることが出来た。
リリーがソファの一つを勧め、侍女が二人にお茶を出すと、ロビンは二人にしてくれるよう彼女に頼む。
リリー付きの侍女の中ではリーダー格であるクレアに彼女は相談しにいく。時間も時間だからかすこし戸惑った顔を見せたクレアだったが、もう結婚が近い婚約者だ、ということと、それ以上にロビンがリリーの心の曇りを取り除いてくれることに期待することにしたのだろう。部屋の侍女たちを引き連れると、部屋の外に出てドアを閉める。もちろんドアのすぐそこには侍女たちも護衛たちもいるだろうが、とりあえず部屋の中には二人だけになった。
「非常識な時間に来てごめんね。でも姫はかなり憔悴していたようだから心配になって。様子が気になっていたのだけど、色々と立て込んでいたらこんな時間になってしまった。」
「いえ、むしろお忙しいのにご心配をおかけしてしまい申し訳ございません。それにお越しくださってとても嬉しく思います。」
そう言うと、リリーは一番気になっていたことを王子に聞くことにする。
「ところで、あの・・・・・事故に巻き込まれた侍女の方は無事だったのでしょうか?」
リリーはあれが人為的な魔法によるものだと知っているから変な間が空いてしまうが、とりあえずは事故、という。そしてあの女性が大きな怪我をしたりしていないかがリリーにとっての一番の心配事だった。
「ああ、それは大丈夫だ。幸い東屋が倒れる直前で逃げ出せたからね、巻き込まれてはしまったが、直撃は避けれたようだ。怪我はしたようだが、それほど長引くものでもない、と聞いている。」
「それは何より安心しました。それからお伝えしなければいけないと思っていたこともあるのですが」
本来であれば、翌日にでも殿下の従僕に伝言を頼もうと思っていたことであるが、本人がここにいる、ということでリリーはこの場で魔法のことについて話すことにする。
「あの時突然吹いた突風は殿下にお伝えしたとおり魔法によるものです。あの時誰かが強い魔力を使った気配を感じました。おそらく知っている気配だったのでベルン公国の者かもしれません。なのであの時東屋が崩れたのは人為的なもので設営者のミスではありませんので、皆様の責任を問うようなことは出来れば避けていただきたいのです。」
「それは問題ない。我が国にも一応だけど魔法を使える者いてね。そのほとんどは騎士団に所属しているのだけど、そのうちの一人が護衛として配備されていて、あの時大きな魔力が使われたのを感じ取っていた。ただ彼の力量ではそれからとっさに対応を取ることは出来なかったそうだが。ということで庭の設営者も騎士や侍女たちも、まあ・・・・・魔法による攻撃を受けてしまったことは事実だから始末書の一枚は書くことになるだろうが、厳罰を受ける、ということはないはずだよ。」
「それは良かったです。魔法が一般的でない国なので皆さんのせいになっていたらどうしようか、と」
「その点については、私も気にしておくようにするよ。それから、魔法が関係している、ということでおそらく騎士団の者がいずれ姫様の元を尋ねると思うんだけど良いかい?」
「私で分かることでしたらもちろん協力いたしますわ。最も私は魔力の探知能力も低いのであまりお役にたてないのですが」
そう言って顔を伏せるリリー。彼女を覗き込むように、気遣わしげな表情で、リリーのそばにロビンはよる。
「魔法が使われた、ということを察知してくれただけでも十分助かっているよ。それにあの巻き込まれた侍女も助けてくれてありがとう。あの時東屋が光ったのは姫様の魔法だよね?」
「え、えぇ、とっさに」
そう言うリリーだが、当然彼女の顔は浮かない
「確かに魔法は使いましたが・・・・・結局魔力切れで、東屋は崩れてしまいました。お兄様方ならきっと東屋の周囲ごと時間を止めてしまえたのに。それにあの風を打ち消すことも出来たでしょうし、それよりももっと早く魔法に気づいたはずです。」
後悔を連ねるリリー。そんな彼女にロビンは優しく語りかける。
「でも、姫様が一瞬でも時間を止めてくれたから彼女は東屋から逃げようとすることが出来たんだよ。あの魔法がなければ彼女は完全に東屋に埋まってしまってもっとひどいことになっていはずだよ。」
「ですけど・・・・・」
「大事なのはどれだけ力を持っているかじゃなくて、それを『誰か』のために使えるかだと思うんだ。だからいつも魔力で誰かを癒やしたり、楽しませたり、救ったりしようとする姫様はすごいよ。役立たづなんかじゃない」
「本当ですか?私の魔法は役にたっているでしょうか?」
そう言うリリーの表情が歪みだす。だめよ、私はベルンの姫君。人前で泣くのなんて姫のすることではない。そう気持ちでは分かっていてもロビンの持ち合わせる温かい雰囲気と声が徐々にリリーの理性を緩ませる。
「姫様?ここは今私の他には誰もいないんだ。泣いたって良いんだよ」
そう言い、さらにリリーの直ぐ側に近寄ると、彼女の頭を自分の肩に乗せるようにし、彼女の肩をポンッポンとゆっくりとしたリズムで叩く。ロビンの体温に安心したのか、彼の肩からすすり泣く声がするのはすぐのことだった。
どのくらいそうしていただろうか、そこまでたたないうちにリリーは体を起こす。その表情は元の姫君のものだが内心はものすごく焦っていた。
それもそうだろう。常に気を張っていなければならなかったベルンでは付き合いの長いクレアにさえ涙を見せなかったのに、まさか婚約者とはいえ男性の肩に顔を埋めて泣いた、ということに自分でも驚きを隠せない。でもそれ程にロビンの声にはリリーの心を溶かす響きがあった。
「その・・・・・ごめんなさい。それでなくても忙しいのに。殿下に慰めてもらって大泣きするなんて、一応姫として育ってきたはずなのに恥ずかしい限りです。」
殿下の目を見れない、と顔を伏せるリリーは耳まで赤く染まっている。そんな彼女にロビンは内心は自身も相当照れていたのだが、そんな気持ちはバレないように穏やかに話しかける。
「どんな人だって泣きたい時はあるさ。私達は夫婦になるんだから、涙を見せたって問題ないはずだし、肩ぐらいいくらでも貸すよ。・・・・・むしろ」
「むしろ、何でしょうか?」
「私以外の肩で泣いては駄目だよ」
「まあっ、殿下ったら」
ロビンの言葉にリリーも思わずと言ったように笑い声をあげる。リリーの顔に姫として作られたものではない笑顔が戻ったことに安心したロビンは時間も遅いことだし、とお休みの挨拶をして、部屋を後にしたのだった。
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