第二話 ムカデ少女の覚醒
面接を受けに行った会社のロビーで驚愕した。鮮やかな青い髪をうしろで束ねた清掃作業中のスタッフを見つけたからだ。デカいピアスはしてないけれど、あの青髪は間違いなくお隣さんだった。
野暮ったく見えるはずの作業着と帽子を見事に着こなし、テキパキ動く彼女の横顔はとても凛々しくて、素直にカッコイイと思えた。声を掛けそうになるのを我慢して通り過ぎようとすると「あっ」と向こうから声が上がった。
視線を向けると彼女の視線と交わった。
「あ、やっぱり! 偶然ですね。ここで働いているんですか?」
「あ、いや、面接に来たんですよ」
「凄いですね。ここを受けるなんて」
「資格をたくさん持っているから、活かせるかなと思って」
「いいなあ。羨ましい。あたしは全然努力しなかったから、そう言うの無くて。給料低いバイトです」
「でも、あなたのお住まい、とてもおしゃれだし、相当頑張ってらっしゃるんじゃないかしら」
「ええ、毎日休みなしです」
はにかんだ彼女はとてもかわいらしかった。
ゴミ箱生まれだからという理由で絶望して学業を頑張れない。だから資格を取ることもできない。その気持ちはよくわかる。私も自分の努力を認めてほしいだけで、頑張れない人を責めたいわけじゃあない。それに絶望に打ちひしがれて折れそうになったことが何度もあったから。だから目の前の彼女の努力不足をバカになんかできない。寧ろ、それでも今頑張って仕事をしている彼女は偉いと思った。先の働きぶりからも、彼女が普段から真剣に仕事をしているのは見て取れた。
「でも、ここに就職したら凄く贅沢な暮らしができますね」
彼女は嫉妬心からではなく、羨望からその言葉をくれた。だから私も素直に頷いた。
「ちょっとあなた!」
二人の間に鋭い声が差し込まれた。
「なに掃除サボってるの!」
それが彼女に向けられている言葉だとわかって、私は咄嗟に謝罪を口にする。
「すみません、私が話し掛けてしまって」
見るとその人には見覚えがあった。先ほど私の面接をしてくれた人だ。
こうべを垂れると、彼女の視線は私に向けられる。
「ああ、さっきの。なるほどなるほど。ゴミ箱生まれ同士気が合うのね」
あからさまな侮蔑を混ぜた態度。でも慣れている。平気だ。
「さっきここに就職するだのなんだのって言っていたけれど、バカな夢は見ないことね」
まだ結果は出ていないはずだ。でも、面接官のこの人がダメだと言ったら採用はないだろう。
「そこの子みたいに、清掃員のアルバイトでもしたら? ゴミ箱生まれにはお似合いでしょう」
清掃員もアルバイトも立派な仕事だ。なのに、明らかな
「あたしみたいなバカはいいんですけど、そこのお姉さんは勉強してたくさん資格も持ってますし、バカな夢じゃないんじゃないですか?」
「これだからゴミ箱生まれは。努力すれば
「そんなのって」
「あるのよ、この社会では。寧ろそれが当然なんだから。それより元の仕事に戻って? クビにされたいのかしら?」
青髪の子は拳を握りしめて震えていた。このまま彼女に言わせていたら、本当にクビになってしまうだろう。
「すみませんでした。私はもう行きますので。本日はお忙しい中、ありがとうございました」
ペコリと頭を下げて、そそくさと会社をあとにした。
そのままに帰路には就けず、あてどなく公園や百貨店を
「あ、すみません」
肩がぶつかり、他のお客さんに謝られた。肩から首の方にムカデが移動してくるのがわかって、咄嗟に自分の襟元をきゅっと握った。私は会釈を返して、その店を出た。
とてもきれいな女性だった。
とぼとぼと帰路に就いた。
道すがら人の家の前で唾を吐き捨てた女性を見かけた。よく見るとそれは面接官だった。
「あんのクソ上司……。セクハラ野郎……」
ブツブツと愚痴をこぼしている。上司がクソなのもセクハラをされるのも、唾を掛けられた家の人のせいではないはずだ。なんでこんな八つ当たりができるんだろう。それに、上司がクソだと言えるのも、セクハラに腹を立てられるのも、私からすれば贅沢な悩みだった。
どうしてこんな人が就職できて、私は。
ふと。本当にふとそう思っただけだった。けれども次の瞬間に私はその女性の顔面を殴っていた。
「え?」
その声は私のものだ。
どうして? そう考えるより先に拳に激痛が走った。拳を見ると、皮膚が割けてそのうえでムカデがのたくっていた。ムカデの赤色の尖った足先が傷口をかすめるたびに、ジンジンとした痛みに
もう、いい。
もう、いいでしょう。
もう、充分我慢したでしょう。
私の耳の鼓膜の奥の頭の中で、パチッとスイッチが切り替わるみたいな音が聞こえた。
振るえない拳の代わりにカバンを得物に変える。振りかぶるとカバンの重みが遅れて掌に伝わる。
——ボコンッ。
頬骨が陥没する感触が伝わって、手の痺れとは別にゾクゾクとした感触が背中を高速で這い降りた。ムカデだ。
そのまま背中に張り付いたムカデは、私の背骨に沿うようにしてぴったりと離れなくなった。無数の足が私の背中にずぶずぶと食い込んでくる感触。皮膚を貫通して、血管を
私はそれからも操られるままに、カバンをハンマーのように何度も何度も打ちつけた。
「ゆるひへぇ……」
折れた歯の間から漏れた声は弱々しく、それでいて血生臭かった。
「かえひまふから」
え? なに? なんて言っているのかわからない。
「かえひまふからぁ……! ほへんなはぁい!」
私は肩で息をしたままそこに立ち尽くしていて、彼女は細い息を漏らしながら声を殺して泣いていた。涙が顔に歪な赤色の川を作る。
そんな異様な光景の中、私の思考に流れたのはとても
「明日の朝、市役所に行こう」
ため息みたいに言葉を吐いた。その言葉と一緒にムカデは私のふくらはぎから這い出ていった。
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