ゴミ箱生まれのムカデ少女

詩一

第一話 ゴミ箱に生まれて

「ゴミ箱です」


 出自しゅつじを聞かれてそう答えた。


「……そうですか。ありがとうございました」


 ああ、またこの目だ。軽蔑という表現では間に合わない。憐れみという表現では間に合わない。独特の、目。肉かと思って食べたものが粘土だった——それがもうこれで50回目に至ると言うような表情。


 面接を終えた私は部屋を出て、紺色と灰色のブロックチェックの絨毯の上を歩いてエレベーターに乗り込んだ。行きはパンプスの靴底には滑りが良過ぎるこの床を慎重に歩いていたはずなのに、帰りはほとんど無意識で来られた。行きの一瞬で慣れたというより、滑って転んでもいいという諦観が、かえって自分を歩きやすくさせていたのかもしれない。いや、スラックスの裾から這い出たムカデが、しっかりと地面を捉えてくれていたのかもしれない。確認のしようがないけれど。誰も通りかからなくて良かった。


 一人には大きすぎるエレベーターの液晶画面の減っていく数字を見ながらこの前見たアニメ映画のヒーローのセリフを思い出す。


『生まれる場所は選べないが、どう生きるかは選ぶことができる』


 彼からすれば私のこのどうしようもない人生も自分で選んだ生き方なのだろう。だとしたら私のすべて、装飾品にいたるまでそうすべてが、努力不足の末に掴んだ不名誉で、ヒーローならなんとか名誉ある人生に上方修正できた道なのだろう。

 ご立派だよ。

 さすが、ゴミ箱以外から生まれた人は言うことが違う。

 確かに生き方は選べるだろう。犯罪に手を染めて大金を得て戸籍を買えば、あるいは可憐なお嬢さんを路地裏に連れ込んで顔の判別ができないほどに殴って喉を潰せば、新しい生き方を選べる。そうしたら宝石箱から生まれましたと言えるだろう。ただし宝石箱から生まれたはずの本人は戸籍を失うけれど。

 私は立派になるためにまず人としての尊厳を捨て、人から人生を剥ぎ取らなければいけない。

 案外。ヒーロー様もそのようにして生き方を選んだのかもしれない。そうでないことの証明は難しい。人類を神が創っていないことを証明するくらい。


 会社を振り返る。多分この会社も私を選ばない。ゴミ箱から生まれたから。運転免許証も英語検定や簿記検定や漢字検定やパソコン実用検定の証書も関係ない。出自のせいで公立高校に受からなかった私は私立の——それも吹き溜まりのような高校に行くしかなかった。それでも諦めなかった。あの映画がまだ映画になるずっと前、漫画の世界で生きていた彼の活躍を見たから。


『どう生きるかは選ぶことができる』


 その言葉に励まされて、出身とは関係なく取ることのできる資格や検定を受けまくって合格してきた。確かに、そういう意味では選んできている。選んだ結果合格したから。けれど、その先は? あのヒーロー様は、その結果の先に待ち受けているステージを想像しているだろうか。結局行きつく先は同じ。努力して証書を貰っても、吹き溜まりの中でやさぐれて教師を殴った生徒と変わらない道へ行きつく。道のりは選ぶことができる。けれど結果は選ぶことができない。そしてそれは、誰にも変えることができない。これが本当の、真実の言葉ではないだろうか。


 コンビニに入る。効き過ぎた空調に凍えながら、白い霧を発生させているコーナーからおにぎりを手に取る。このおにぎりを工場で加工したのはゴミ箱生まれの人だろうか。安い賃金でこき使われているんだろうか。いや、その可能性すら……袖口からムカデの細く赤い足がチロチロと伸びる。私はそれに気付いてすぐさま逆側の手で押さえた。ゾワゾワという感触を残しながらも、袖の中に引っ込んでくれた。

 隣でスムージーを選んでいた女性と目が合ったような気がした。ドクンという鼓動があばらを軋ませた。確認しようとして本当に目が合ってしまうのが怖くて、俯いてその場を離れた。女性のうしろを通り過ぎるとき、桃の香りがふわりと香ってそれが私の惨めな気持ちに一層影を落としたから、歩幅は短くなり歩調は速くなった。レジ打ちの緩慢かんまん所作しょさに苛立つ。コイントレイを前に出した指先の太さに苛立つ。催促されているかのようなまなざしに苛立つ。小銭を置いた直後に伸びてきたせいで触れてしまったその指先の湿り気に苛立つ。

 お釣りを入れようとした財布の口からムカデが這い出てきて、私はそれを小銭で弾いて中に入れてパチンと閉めた。手首の脈が皮膚をイジメる。


 コンビニから出て近くの公園のベンチに座った。そこから見えるビルの壁にデカデカと掲載された広告。


『クリーンな社会を目指し、人にこだわった会社へ』


 淘汰されるべき存在。なのだろうか。

 でも例えば私を始め、多くのゴミ箱生まれがことごとく死滅したとして、次世代ではゴミ箱から生まれる人はいなくなるのだろうか。


 わからない。


 ある研究者が言うには、人口が増えればゴミ箱生まれも増えるし同様に減れば減少するらしい。どう言うわけかパーセンテージは決まっているらしい。だとすれば淘汰は不可能で、寧ろ人類の増加に伴う貧乏くじの増量があって、私はそれを引くべくして引いたのだ。


 おにぎりを食べ終わって帰路に就く。

 帰る先はゴミ箱。たくさんゴミ箱が並べられている区画があって、私の出身はそこだった。前までは。最近引っ越したのだ。手狭だったので、新しく大きなゴミ箱を買った。これならリクルートスーツを掛けて置けるから、シワになる心配をしなくて済む。最初は今まで住んでいた場所に新しいゴミ箱を置いていた。けれども周りからの妬み嫉みが酷くて耐えることができなかった。直接物申してくる人はいなかったけれど、彼らのまなざしは言外に「どうして同じゴミ箱生まれで、これほど違う生活ができるんだ」と言っていた。それが羨望ならば教えただろう。今までの努力を。経緯を。方法を。けれど、そうじゃない。ただの嫉妬では、私の言葉一つ一つがただの自慢話のように聞こえてしまう。彼らは反感を覚えてしまう。そうしてそれらは怒りに変り、勝手に怒りを募らせ、なにか理由を付けて私を迫害するだろう。

 どれほど身勝手な思い違いでも、蔑まれたという被害者意識は正当性を生む。もちろんまがい物ではあるが、それでもその正当性はいかなる暴力も許される大義名分となる。彼らは思う。私に対してならなにをやってもいい。だって蔑まれたのだから。我々は被害者なのだから。行きつく先は、暴力、強姦、放火、殺傷……。


 気付けば私は立ち止まり、自分の肩を抱いてじっとりと汗をかいていた。

 これはただの妄想だ。でも、今まであの辺りに住んでいたからわかる。この妄想が的を射ているってことが。


 本当はゴミ箱区画をまっすぐ突っ切っていくのが早く行ける方法なのだが、途中で声を掛けられたら面倒だ。だから私はいつも回り道をして、新しい住まいに戻る。


 どうしてここまでしなければならないのだろう。

 惨めだった。努力をしたのに、社会からもゴミ箱生まれからも認められないことが。

 ゴミ箱から生まれた者同士認め合える人たちばかりだったら、区画を避けて家に帰ることもないし、初めから住む場所を変えたりなどしていないだろう。

 いや、そもそもゴミ箱生まれを認めてくれる社会なら、みんな普通の場所に家を建てて、或いは部屋を借りて、普通に暮らしていけるのだ。


 新しいゴミ箱の周りには、同じような境遇の人たちが暮らしていた。私のゴミ箱の10倍以上大きなゴミ箱に暮らしている人もいる。ここまで来ると、もっとまともな生活ができるのではないかと思うが、その人はその人なりに思うところがあってその場所に住んでいるのだろう。私の隣のゴミ箱は小さいけれど、ステンレス製で頑丈そうに見えた。それにおしゃれだなと思った。ゴミ箱をいくらおしゃれにしたところで意味ないと、初め見たときは思った。けれど今は、そう言う人が増えていったら社会も変わって、私の価値観も一緒に変わって、もっと胸を張って生きられるようになれるかもしれないと思うようになった。


 あのゴミ箱はデカいとかあのゴミ箱はきれいとか、羨望のまなざしを向けるのならいいけれど、嫉妬してしまったり価値観を否定してしまったりしたら、それこそゴミ箱区画の人たちとなにも変わらない。逆に、小さいゴミ箱をバカにしたりしたら、この生き辛い社会となにも変わらない。ことこの場所を選んで生きるからには、せめて同じ場所で生きる人たちの人生に帰属する価値観は認めてあげなければいけないと思っている。私だって、認められたいから。


 隣のステンレス製のゴミ箱に向かってくる人影があった。鮮やかな青色に染めた髪をうしろで結び、デカいピアスを揺らしている若い女の子だった。

 正直苦手だな、と思った。


「こんにちは」


 背中に声を掛けられた。


「こ、こんにちは」

「お帰りですか?」

「あ、はい。今帰ってきたところです」

「お疲れ様です」

「お疲れ様です」


 にっこりと頭を下げられて、私もたどたどしく返した。


 なんだ、とてもいい子じゃないか。私の苦手意識は一気に吹き飛んだ。

 考えてみれば、彼女も私と同じ境遇なのだ。生まれたくない場所に生まれて、そのせいで周りから蔑まれて、努力しても認められず、どころか同じ境遇の人からも迫害を受けて、逃れ逃れてここに流れ着いた。

 わかり合えないわけが、ないじゃないか。


 私は少しだけ前向きな気持ちになって、ゴミ箱の蓋を閉じた。

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