第164話、手合わせ(見せつけ)
賢者は配置に着くと同時に、熊に合図を出して精霊化を済ませてしまう。
本音を言えば自力でやりたい気持ちは在るが、今回そんな意地は邪魔になる。
今回の目的は力をただ示す事では無く、自身が脅威だと認識される事だ。
その為に魔法使いとしての矜持よりも『ナーラ』個人の事情を優先した。
意地を張ってまた無駄な面倒に振り回されるよりも、とっとと事を成してしまおうと。
「なればこそ、派手にやるぞ、熊よ!」
『グオオオオオン!!』
矜持を曲げてまで決断したのだ。半端な事をするつもりは欠片も無い。
故に熊も賢者の意図をくみ取り、気合いを入れて魔力を迸らせる。
「ひっ!?」
「うっ・・・!」
「ば、馬鹿な・・・!」
熊の全力の魔力開放。精霊としての力を全力で、一切の容赦なく周囲へぶつけた。
ただそれだけで魔力を感じる事の出来る者は恐れ、そうでない者も威圧感を覚える。
一瞬で周囲の目が変わったのだ。少し出来る魔法使いから、脅威的な精霊使いへと。
だがそれは、熊にとっても必要な事だった。何故ならば、今は熊も必死なのだ。
目の前の青年に対する恐怖を押さえつけ、唯々賢者の望みに応える為に。
だがそれでも足りない。まだ足りない。この程度では『驚異的』程度で済んでしまう。
「熊よ、あ奴を倒そうと思うな。あくまで周囲に力を示せ。戦うべき相手はお主の恐れるローラルではなく、周囲の取るに足らん有象無象共だ」
『グォン!』
賢者も本当は解っている。熊にとってこの手合わせは、恐ろしくて堪らないのだと。
青年は王族の血を引くが故に、自国の精霊が無条件に恐れ怯む呪いを纏っている。
当然それは熊にも通用しており、だが賢者には通用しない。
故に本来であれば、賢者自身がやるつもりではあった。
だがそれに熊が待ったをかけたのだ。
力を見せるのが目的であれば、自分の力を使うべきだと。
最初こそ賢者は悩み、けれど熊の気持ちに頭を下げ、そしてその背中を押す。
(可愛い弟子がやると言ったんじゃ。信じんでどうするよ!)
こうして立っている間にも、熊の恐怖は賢者に流れ込んで来る。
逃げ出したい。恐ろしい。嫌だ。怖い。
子供が空想の怪物を恐れる様な、理屈では説明できない恐怖。
けれど、そんな恐怖を持ちながらも熊は歯をむき出して唸り、怯む様子を見せない。
それは精一杯の虚勢であり、張りぼての威圧でしかない。
それでも熊に戦う気概が有る以上、賢者は熊を信じて任せるのみだ。
「熊よ! 見せてやれ、お前の力を!」
『グオオオオオオオオン!!』
そうして賢者と熊は、魔力を迸らせて魔法を展開する。
ただし今回は以前やった様な、単一の強大な魔法を放つ形ではない。
賢者が最近よくやる様になった物量攻撃、数多の火の玉が一瞬で構築される。
それは演習場の一部・・・所ではなく、演習場を余す事無く埋め尽くした。
ただし単一の威力は抑えたとはいえ、それはあくまで『精霊』の抑えた威力だ。
普通に考えれば一つ一つが相当な威力であり、場を埋めつくす様は脅威でしかない。
「な、ふ、ふざけている、こ、こんな、こんな魔力量・・・!」
「精霊化をした上でこんな大魔法を使って魔力が持つというのか!?」
「なんだ、これは・・・なんだこれは!」
当然賢者を舐めていた者達や、精霊化の特性を知っていた者達は驚愕に目を見開く。
賢者が精霊化が出来る情報は出回っていたはずだ。彼らも情報は手に入れていたはずだ。
だが目の前で賢者が力を示し、精霊の魔力を肌で感じて初めて理解した。
アレは自分の常識外の存在だと。余りに魔力量の桁が違うと。
まだ下せるという判断の『脅威』から、下せない可能性の『脅威』という認識に。
賢者という存在を甘く見て居たと、本人の手によってまざまざと見せつけられた。
「容赦がないね・・・!」
対する青年は、正直なところ冷や汗をかいていた。
もしかしたらやるのではないかと思い、案の定精霊化されてしまったのだ。
そして賢者が内緒にしているが故に、熊が自分を恐れないと思っている。
(勝てる気がしないどころか、死なない様に必死にならないといけないな。流石に加減はしてくれるだろうけど、加減しすぎて周囲に危険度合いが伝わらないと意味が無いし・・・きついな)
青年に出来る事はたった二つ。隠匿の魔法と、鍛え上げた身体による剣術。
不意打ちならば賢者と熊にとっても脅威だが、面と向かった状態では余り意味がない。
精霊の力を正しく認識しているが故に、青年は自分の勝つ見込みはゼロだと判断していた。
せめていつも通り賢者本人が相手をしてくれれば、まだ勝負にはなっただろうが。
「さぁて、行くぞローラル。上手く躱すんじゃぞ!」
「出来ればわざと外して欲しいんだけどな・・・」
「そんな事をすれば、うっかり当ててしまうじゃろう」
「ははっ、笑えない」
青年は思わず乾いた笑いを漏らすが、表情は全く笑えていなかった。
そこからの手合わせは、手合わせという名の蹂躙劇でしかない。
演習場を埋め尽くした魔法は青年に襲い掛かり、青年はそれを必死に躱す。
時折魔力を纏って剣を振るって火の玉を切るも、当然そんな物は焼け石に水だ。
青年にとって幸いは、ちゃんと躱せる余白を作ってくれている事だろう。
流石に全ての火の玉が一斉に向かえば、成すすべなくやられるだけだろうから。
とはいえこれはあくまで手合わせ。余り加減をし過ぎては建前が崩れる。
という訳で賢者も熊も容赦なく、青年がギリギリ対処できる程度に魔法を放ち続ける。
「ぐっ、うぐっ、づっ・・・!」
青年は必至な形相だ。そしてそんな状況でも、熊に少しづつ近づいている。
躱せる程度に放っているとはいえ、それでも殆ど容赦はしていない。
(大概化け物じゃな。儂は絶対できんぞこんな事)
純粋な体術のみで殆ど躱している青年の姿は、まさしく鍛え上げた身体の賜物だろう。
(おかげで上手く行ったようじゃがな。どうじゃ、うちの王太子殿は怖かろう)
そしてそれは、賢者のもう一つの思惑を上手く運ぶに至る。
今回の最大の目的は、賢者を脅威と認識させる事だった。
だが賢者としては、脅威は自分だけではないと思わせたかったのだ。
「あれを、躱すのか・・・対処できるものなのか・・・」
「嘘だろ、前に出れるのかよ、あの状況で・・・」
魔法使いには魔法使いの脅威が解る。
勿論賢者程の力が有れば一般人も脅威を認識するだろう。
だがそれでも魔法が使えない兵士達には、容易くな認められない者がいる。
青年はそんな者達に認めさせる為の存在だ。剣を、体術を突き詰めた化け物だ。
化け物を殺す為に化け物となる事を定められ、必死に鍛えたた人間なのだ。
とはいえ本人に周囲を見る余裕などなく、唯々必死に対処してはいるだけだが。
『グォウ・・・!』
ただし必死なのは熊も同じくで、じりじりと近づかれる事に恐怖している。
それでも魔法の構築にぶれがない辺りは、流石魔法使いの精霊といった所か。
自然に得た力ではなく、鍛錬の積み重ねで得た力。故に身体の奥底に染みついている。
どんな状況であろうと、恐怖と脅威に去られようと、積み重ねた鍛錬は熊を支えていた。
「つっ!」
『ッ・・・!』
そうして周囲に見せる為に行われた手合わせは、青年の剣が熊の首に添えられる事で終わる。
熊は言い知れぬ恐怖を感じながらも、声を上げる事は必死に耐えた。
賢者はそんな熊に心の中で良くやったと告げ、ローラルに向けて口を開く。
「見事じゃ、ローラル」
「加減してくれなかったら無理だったけどね」
「そうじゃな。じゃから次は、もう少し密度を上げるぞ」
「・・・その前に少し休憩させて欲しい」
「かかっ、そうじゃな。水を貰って来るとしよう」
青年は汗だくでその場にバタンと倒れ、賢者は余裕の表情で精霊化を解除する。
手合わせの勝者は青年ではあった。だがこの様を見ればどちらが強いかは明白だろう。
「さて、流石にこれで動きが遅い、等という事は無かろうな?」
賢者は青年の為に水を貰おうと歩き出しながら、小さくぼそりと呟いていた。
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