第160話、交渉力(低め)
「おかえりなさいませ、お嬢様」
「ああ、ただいまザリィ」
騎士に囲まれ送られてきた賢者の姿を見て、侍女は動じた様子も無く迎え入れた。
そんな侍女を頼もしく思いながら頷き、青年と共に部屋に入る賢者。
とはいえ動揺が無いのは三人だけの話で、賢者の護衛の者は大分緊張感のある顔ではあるが。
それも当然だろう。半ば敵地に近いと思っていた場所で、賢者が本性を見せているのだから。
「騎士諸君、護送御苦労。この場には儂の護衛も居る事じゃし、護衛はもう良い。そちらに向かう際は儂の護衛を使うから使いを寄こしてくれ。まあその結果また騙す様な真似が有れば・・・その時はどうなるか知らんがの。ああ勿論、話し合いの場には護衛を入れんと約束しよう」
お主らとは違ってな、と言う言葉を最後に残して、賢者は騎士達に告げた。
いや、それは騎士達にと言うよりも、男に対してと言った方が正しいだろう。
貴様達を護衛として欠片も信用しておらず、護衛として寄こす必要はない。
むしろそれが不安でしかないという意味と共に、約束が守られるとも思っていないと。
その場になって一切の約束が守られていない状況が楽しみだ、と言わんばかりに。
「畏まりました。おそらく使いを出すのは明日以降になると思いますので、どうか今日はごゆるりとお休み下さい」
だが男は賢者の挑発に一切動じず、むしろそれぐらいは言って来ると予測していた。
ここまでで既に賢者の事をただの幼児とは思わず、一人の貴族として見ていたからだろう。
ただそれは男だけの話であり、男の部下の騎士達は苦い顔、もしくは鋭い目を見せていたが。
だが賢者はそんな騎士達に対し、胡乱気な視線を向けて口を開く。
「ふん、やはり信用ならんな。自らの国がどういう事をしたかも理解していないと見える」
「部下の教育が行き届いていない事を申し訳なく思います」
「謝る必要はない。元から解っていた事じゃ。信用にあたいせんとな」
「申し訳ありません」
賢者と男がそう言葉を交わした事で、騎士達はそれぞれ表情を消した。
自らの行動が上司の不利になっていると察したが故だ。
その様子を見た賢者は少しだけ、ほんの少しだけだがこの騎士団を見直した。
(ふむ、こやつの騎士団員だけは、きちんと統制が取れておる様じゃの)
この男と、この男が率いる騎士団だけは信用が出来そうか。
賢者はそう判断し、だが信頼などは出来ないという事も解っている。
男達に対する信用も、単純に話し合いが出来る相手としての信用でしかない。
弱みを見せればすぐに敵となると、その考えがあった上での『信用』という程度だ。
「ではナーラ様、我々はこれで失礼致します」
「有意義な話し合いが出来る事を祈っとるよ」
頭を下げ去っていく男と騎士達を、最後まで強気な態度で見送る賢者。
青年はそんな賢者に何も言わず、ただ最後は冷たい目で騎士達の背中を見送っていた。
道中賢者の耳を堪能していた男とは思えない程に冷たい目で。
当然抱えられている賢者はそれに気が付かず、扉が閉められた所で青年に顔を向ける。
そこにはもう先程の冷たい目は欠片も無く、穏やかに笑う青年の姿があった。
「ナーラは中々強気交渉に向いて居るね」
「むしろそれしか出来んとも言うがの」
気の抜けた声音の青年の言葉により、賢者はドッと疲れが押し寄せた気分で返す。
いや、実際に疲れてしまったのだろう。力を抜くと同時に本音をこぼしたのだ。
賢者は老人まで生きてきたとはいえ、交渉能力が高いとは言えない所がある。
それもこれも、基本面倒事は避ける方向で生きていたせいだ。
その極地が弟子達との別れに繋がり、最大の後悔になってしまった訳だが。
「儂に出来るのは力を見せて、そんな儂に喧嘩を売るのか、と言うのが精いっぱいじゃよ」
故にこの言葉は賢者の本心であり、だがそれでも賢者は老人まで生きて来たのだ。
理性的な交渉も、力を介在させない話し合いも、それなりに出来ない事は無い。
とはいえやはり貴族同士の交渉となれば、その能力は高くないと言うしか無いのだろう。
そんな自覚のある自分が、他国で面倒事に遭遇し、唯一自信のある強気交渉をやり切った。
勿論この後に話し合いも有るが、それでも今は終わらせたという事で疲労を感じている。
「慣れん事をすると疲れるわい・・・」
「本当にお疲れ様、ナーラ」
腕の中でぐでーっと力を抜てしまった賢者を、優しく抱えながら頭を撫でる青年。
慈しむような表情で労わるその様子は、婚約者と言うよりも兄の様に見える。
本気疲れてしまっていた賢者は、そんな青年の態度を気にする様子も無い。
「ローラルよ、あれで良かったと思うか?」
「少なくとも、現状我が国に損は無いと断言できるね。もしこれで話が拗れた場合は、元からどうにもならなかったという事さ。ナーラに落ち度は何も無いと思って良いよ」
「じゃと良いがの」
むしろ気にする事は、自分の強気交渉が裏目に出なかったか、という事だ。
勿論下手を打ったとは思っていないし、その場では最善を成したと思ってはいる。
だがそれは所詮交渉経験値の低い自分の判断故に、若干の不安を抱えていたのだ。
「とりあえず・・・うむ、やはり疲れた。ザリィよ、昼寝をしても良いかの」
「畏まりました、お嬢様」
賢者の願いにこたえるが早いか、侍女は青年から賢者を奪い取る。
その際に静かな戦いがあったようだが、疲れた賢者が気が付く様子は無い。
ともあれ賢者は侍女の腕の中に納まり、奥の寝室へと運ばれていく。
「皆の集、すまんが護衛を頼むよ」
「「「「「はっ!」」」」」
その際、部屋に居る護衛に声をかけ、護衛達は未だ状況が理解出来ずとも力強く答えた。
詳細が解らずとも、自らのやるべき事は決まっているのだと、そう理解して。
そんな頼もしい声を聴いた賢者はニコリと笑い、疲れた体をベッドに預ける。
(思ったより緊張しておった様じゃな・・・あの男のせいな気がする。どうにも隙の無い男じゃった。挑発はしたものの、出来れば敵にはしたくないが・・・さて、どう。なるか・・・)
翌日以降の出来事に少々不安を覚えながら、賢者はゆっくりと意識を落とした。
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