第158話、妥協点(負け)
腕を組んで胸を張り、鋭い(つもりの)眼光を向ける賢者。
普段であれば賢者の睨み顔に迫力など存在しない。
当然だろう。賢者は幼児と言って良い年齢の子供なのだから。
だが今この状況に限っては、この場に居る誰よりも迫力に満ちている。
正確には、賢者の周囲を覆う魔法による威圧感、と言うべきなのだが。
「ナーラ様、もう一度お願い致します。魔法の解除をお願い頂けませんか」
「断る」
だが賢者を見つめる男は恐怖の気配も無く、淡々とした様子で賢者に頼みを告げる。
賢者は当然のように断ったが、そこで少しだけ焦りを覚えていた。
目の前の男が、余りにも自分の魔法に怯む様子を見せないが故に。
(こやつ、この程度どうにか出来る算段が有る手合いか?)
思わず少し顔をしかめた賢者だが、幸いそれは動揺とは取られなかった。
単純に望みが叶えられなかった不快と、この場に居るだけもがそう受け取った。
当然その中には目の前の男も含まれており、だが男は表情を変えずに賢者を見つめる。
そして少し思案する様に一瞬目を逸らし、視線を賢者に戻すと口を開いた。
「ナーラ様、貴女のご不快は重々承知しております。ですが私が家名にかけて、貴女に害を与えない事をお約束致します。どうかご承知願えませんか」
家名にかけて。賢者にもその言葉がどれだけ重い物かは解る。
そう口にして約束を守らなければ、自分の家に泥を塗る事になる。
自分だけではなく、家族だけで済まず、先祖の歴史にすらも。
一応貴族の家に生まれた賢者としては、一応言葉の重みは解るつもりだ。
「信用ならんよ」
だが、この言葉が全てだった。賢者にとってそんな物何の信用にも値しない。
「王族が二人も儂に害をなしてきた状況で、その国の貴族が家名をかけた所で何になる。笑わせてくれるなよ。お主がどれだけの立場に在ろうと、儂にとってはただの知らぬ男じゃ」
本来ならば、賢者にこんな言動は許されない。何せ目の前にいる男は高位貴族だ。
それは青年が彼の言葉に納得した事からも察する事が出来ている。
だが賢者はあえてそれを無視した。自らの『幼児』という肩書を使う事で。
(まだ幼児のガキンチョが他国の貴族の名前なんぞ知る訳が無い。そもそもガキが癇癪起こしとるのに、理屈の言葉だけで納められるわけが無かろうが)
徹底的に幼児である事を利用してやれと、賢者は魔法を収める所か増やしていく。
男は先程が限界と思っていたのか、それとも発動の速さにか、驚愕の表情をまた見せた。
だがそれもまた一瞬であり、すぐに落ち着いた表情を賢者に向けて来たが。
「ですがナーラ様、我々とて王族を危険な場に晒す真似は出来ませぬ。このままでは話し合いの場すら用意は出来ない。それは貴女の婚約者殿も望む所では無いでしょう」
チラッと青年に目を向けながら告げるそれに、賢者はフンと鼻で笑った。
「それで儂らだけ護衛も無しに、有ったとしても武装解除してその場に臨めと? そこで安全が保障されるなど誰が信じられる。貴様らは武装して何時でも剣を抜けるじゃろう。儂も同じ様に武器を用意しておるだけじゃ。話をするなら同じ条件でやるべきじゃろうが」
これは賢者にとって紛れも無い本音だった。
確かに賢者には魔法が有り、そして熊という強い味方がいる。
だが結局はそれだけだ。賢者は自分が無敵の存在ではないという自覚がある。
たとえ熊に頼ったとしても、それすら間に合わずに殺される可能性も無くはない。
(あの魔封じとて、封じられて即座に攻撃されれば状況は違った可能性もある。あのバカ王子が優位に立ったと思い、時間をよこしたから余裕で対処出来ただけじゃ。王族との改めて会談の場となれば、これ以上面倒な場所に誘導されかねん。ならば最初から準備万端で行くべきじゃ)
もし封じた相手が青年で、そして賢者を殺す気であったならば。
その想像をした時、賢者は殺される予想が出来てしまっていた。
青年の技量が有れば可能だろうと。精霊化する前に殺せるだろうと。
死が隣にあった事実を前にして、信用のならない相手に武装解除など受け入れられない。
「成程、ナーラ様のお考え、理解しました」
賢者の思考全てが伝わった、訳ではないだろうが、男はそう言って頷く。
そしておもむろに腰に在った剣を外し、ポイっと投げ捨てた。
がちゃんと音をたてて落ちる剣に、賢者よりも周囲の騎士達が驚いている。
それも当然だ。騎士達にとって自らの剣は命に等しい。
だと言うのに男は雑に投げ捨て―――――。
「貴様らも剣を捨てろ」
そう、部下に指示を出したのだから。当然部下は強い戸惑いを見せている。
「捨てろと言ったのが聞こえなかったか?」
「「「「「はっ!」」」」」
だが二言目の迫力で男の言葉が本気だと悟り、皆が反射的に返答をしていた。
そして返答通りに剣を外し、そして皆が床に投げ捨てていく。
流石にそこで賢者も驚きの表情を見せ、成り行きに口を出す事も出来ない。
そうしている内に男は数人の騎士に指示を出し、剣を拾わせ何処かに運ばせていった。
「これで我々に武器は在りません。魔法の解除をお願い出来ませんか」
そして改めて賢者に魔法の解除を願い、そこで賢者は気を取り直す。
確かに相手が武装していないのであれば、自分の先の言動は成立しない。
貴族の理屈など抜きにして、子供を納得させる為に目の前の状況を変えたのだ。
「今貴様らだけが解除して何になる。話し合いの場で武装している者が居れば意味は無い」
だが賢者の中身は本当の子供ではない。そうか解ったと納得の言葉はまだ吐けない。
男はそんな賢者の返答に、眉一つ動かさずに口を開いた。
「流石に護衛は外せませんが、話し合いの場でも武器の携帯は禁じます。鎧も外しましょう」
「その約束が守られる保証は?」
「もし約束を違えた時は――――」
男はそこで跪き、賢者に目線を合わせて続けた。
「この首貴女に捧げましょう」
「なっ!?」
流石にその返答は予想外過ぎて、賢者は驚きの声を上げてしまった。
それが少し悔しいと思いながらも、これ以上ごねるのは難しいなとも思う。
高位貴族が首を差し出した。それでも許さないのであれば後は戦争しかない。
「・・・承知した。じゃが約束を違えたときは、お主の首一つじゃ済まんぞ」
「ご納得いただけた事、感謝いたします」
悔しまぎれに放った一言もさらっと躱され、賢者は不服な表情で魔法を解除するのだった。
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