第148話、理解(恐怖)

 夜会の会場は静寂に包まれていた。演奏が途絶えた所か、人の騒めきすらも無い。

 会場に突然現れた小熊に対し、誰もが理解不能な視線を向けている。


「殿下、どうされましたか? もしてしてご期待に沿えませんでしたか?」


 ただその子熊が可愛げに小首を傾げ、王子殿下に声をかけた事で時間が動いた。

 それは子熊の可愛らしい動きと、子熊から聞こえる声が可愛らしいのも要因だろう。

 賢者自身が『愛らしい仕草』という物を意図してやっているのも大きい。


 故に『危険は無い』と判断した者達が一番先に正気に戻った。


「可愛らしい小熊だな」

「ふふっ、子供らしい可愛らしさじゃないですか」

「胸を張っているのが尚の事な」


 そうして彼らは口々に子熊への評価を、賢者への評価を口にする。

 言葉だけを聞けば褒めている様にも思えるが、言葉の裏には蔑む意味を含みながら。

 何をするのかと思えば、ただ可愛らしい様子を見せているだけだと。あれで何が出来るのかと。


 だが、それはつまる所、賢者の力と精霊術を理解出来ない者達の反応でしかない。


「――――――馬鹿な」

「これ、は」

「うそだ・・・!」


 賢者の目の前にいる王子、その護衛達、そして会場の貴族達が連れている護衛達。

 その者達は戦う為の訓練を積み重ね、魔法技術が未熟な者でも魔力を感じられる者が多い。

 何より夜会等の場では武器の携帯を許されない以上、魔法技術の方が重要視される。


 ならば当然の事ながら、目の前で起きている事が異常事態だと気が付くだろう。

 勿論賢者ならば解らない者達に解らせる事も出来るが、今回はそこまでするつもりは無い。


「あの耳は制御が出来ていないからではなかったのか?」

「ならばなぜあんな無様を」

「ありえない・・・!」


 年端もいかない幼児であり、熊耳の出ている力の制御も碌に出来ていない精霊使い。


 それが賢者を見た時の周囲の評価だった。得た力を御する事も出来ていない子供だと。

 賢者の評価が割れていたのは、そういった理由もあっての事だ。

 実際自国でも最初同じ反応をされた事も有り、賢者もその評価は当然理解している。


 だからこそ王子達が自分を舐めて来るだろう、という確信が在ったのだ。

 そして王子は狙い通り賢者を舐め、碌に制御出来ない子供に何が出来ると言い放った。

 賢者が普段から魔力を出来る限り抑えている事など一切気が付かずに。


(まあそこに気が付かないのは責められないけどね。私もナーラが出来ると知っていないと絶対に解らない自信があるし。突然魔力が跳ね上がるから驚くんだよねぇ)


 精霊使いとて、精霊と契約して魔力を得た以上、ある程度魔力を無意識に発している。

 それは普通の魔法使いも同じ事であり、魔力量が多ければ当然感じられる力も大きい。

 だが賢者はその魔力を意識して抑え込む事が出来、ただし熊耳だけは制御出来ない。


 結果として熊耳から漏れ出る魔力だけが賢者の力、という風に感じられるのだ。

 制御も出来ておらず、さしたる魔力も感じず、だと言うのに突然放たれる暴力的な魔力。

 これに驚かない魔法使いなど何処にも居はしないと、青年は心の中だけでほくそ笑む。


「殿下? どうされました? あ、もしや物足りませんでしたか? ではこの様な魔法などどうでしょうか!」


 それ故に一番近くに居る王子達は、まだ驚愕から回復する事が出来ていなかった。

 賢者はその反応を良い事に、もうちょっと調子に乗ってやろうと手をかざす。

 勿論この状態では自分の魔力は運用出来ないので、熊に使って貰う事になるのだが。


(熊よ、いっちょ頼むぞ)

『グォン!』


 小熊が手を掲げ一鳴きすると、中空に水の塊が現れる。

 当然熊が放った魔法であり、そしてその魔法の構築速度に皆が目をむく。

 いや、構築その物に驚いているのは戦闘職の者達だけではあろうが。


 そして熊は皆の驚きなど意に介さず、その水を瞬時に分割して会場に広げた。

 突然の事に護衛達は皆構えるが、会場を埋め尽くすように広がる水を見て手を止める。

 分割された水が何時の間にか蝶になり、会場の光を反射して幻想的な景色を作り出した事で。


(うむ、綺麗じゃのう。練習した甲斐があったの!)

『グォン!』


 これは領地で熊が一生懸命造形の鍛錬をした成果であり、賢者の褒め言葉に熊は満足げだ。


「これは・・・」

「美しい・・・」

「なんと・・・」


 会場に居る貴族達はその幻想的な光景に目を奪われ、嫌味も忘れた様に見惚れている。

 だがそんな最中青い顔をしている者も多く居る。その貴族達を守る護衛達だ。


 一見無害に見える綺麗な魔法。だが水の蝶は夜会の会場を埋め尽くしている。

 そして一つ一つの蝶の大きさはかなり小さく、けれど込められた魔力量は大きさに見合わない。

 余りにも膨大な魔力が込められた蝶が、余りに大量に一部屋に浮かんで飛んでいる。


 つまり、その気になればこの水を攻撃に変換し、会場を大惨事に変える事が出来ると言う事。


「ふふっ、皆様に気に入って頂けた様で嬉しいですわ」


 そしてその魔法を放った当人は、一切疲労の様子を見せずに楽し気に笑っている。

 小熊なせいで表情が解り難くはあっても、明らかに余裕そうな気配は誰もが解った。

 精霊化、そしてこの大魔法、明らかに普通の魔法使いならば死に至る力。


 それを平気で行使する幼女という存在に、戦闘職であるからこそ恐ろしい思いを抱えている。


「殿下は如何ですか?」


 そして賢者はそんな戦慄を一切に気にする事なく、王子に対して一歩踏み込んだ。


「ひっ」


 すると王子は恐怖の顔を見せ、その表情のままの声を漏らして一歩下がる。

 目の前の化け物が理解出来ないと言いたげで、今自分が取った行動にも気が付いていない。

 王族が無様にも恐れで一歩引いた。その事実に気が付かない程に混乱している。


「あ、す、すみません、もしかして、熊の姿は苦手ですか?」


 けれど賢者は気づかわし気に、自分が申し訳ない事をしたと振舞った。

 無様を晒す王族に対し、嫌味の欠片も無く優し気に返した。

 勿論腹の中は「ざまあみろ」という想いしかないが。


「殿下」

「っ・・・!」


 だが護衛が支えて耳元で声をかけ、そこで自分の無様に気が付いた王子は歯をくいしばる。

 そして素早く頭を回し、また笑顔を作って賢者に一歩近づいた。


「ありがとうお嬢さん。素晴らしい物を見せて頂いた。英雄と呼ばれるにたがわぬ力だ。だがこれだけの事をすれば貴女の疲労も大きいだろう。もう堪能させて頂いたし無理は良くない」


 とりあえず場を収め、かつ自分の心を落ち着ける為にも、賢者に止めるように告げた。

 それはきっと正しい事だったのだろう。相手が賢者でなければ。


「まあ、お気遣いありがとうございます! 流石王子殿下ですわね! ですが大丈夫ですわ! この程度でしたら一日・・・いえ、二日でも維持できますもの! 全然平気です! 皆さまが喜んで下さるのであれば、このまま魔法を使い続けますわ!」

「――――――っ」


 賢者は王子の意図を理解した上で、理解していない子供の様に振舞う。

 そしてその子供の口から発せられる内容は、やはり化け物というしかない。

 賢者自身自分でも理解している。だからこそ国を出るしかなかった自覚がある。


 だがこの場ではその力が効果的だと、内心ほくそ笑みながら堂々と告げたのだ。

 といってもまだ抑えめに告げていたりするのだが。本当はもっと行けるので。

 そんな発言を聞かされた王子は一瞬息を呑み、けれどすぐに表情を戻した。


「ありがとう。貴女の優しいお心は理解したが、この場は私共主催の場。どうかもてなしは私共に任せて頂きたい。どうか消して頂けないかな」

(ふむ、まあこれだけやれば十分じゃろう。こう言われて抵抗するのもおかしかろうしな)


 賢者は瞬時にそう判断し、申し訳なさそうに頭を下げる。


「はい、申し訳ありません・・・」


 魔法を消して精霊化を解き、その表情はやってしまったという風に見えた。

 勿論完全に演技である。内心は高笑いをしたいぐらいご機嫌だ。


「ああ、どうかそんな顔をしないで下さい。私がお願いしたのですから。では私共は少々用がありますのでこの辺りで失礼致しますが、お嬢さんはどうか楽しんで行って下さい」

「は、はい、ありがとうございます、王子殿下!」


 そうして賢者の機嫌を取る様に声をかけて、王子は護衛と共に会場を去っていった。

 ・・・恐怖で震える手足を誤魔化す様に力を入れながら。


(さあて、明日どういう反応が来るかのう)


 賢者はそんな王子の背中を、黒い笑顔を見せながら見送っていた。

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