第132話、女児(令嬢)

 出ると決めたら賢者の行動は早かった。

 先ずは服を着替える為に男共を外に出し、侍女に着飾る様に頼む。

 既にある程度着飾ってはいるが、今日の賢者は少し軽めの服装だった。


 これは今日賢者が望んだが故だったが、だからこそしっかりと身だしなみを整える。

 貴族として他の貴族に会う為の作法の為に、そして令嬢としての戦闘準備をする為に。

 普段の賢者ならばそこまで気にはしない。間違いなく今の格好のまま突っ込んで行くだろう。


 だが賢者は今から誰の為に向かうのかと言えば、領主一家の為に向かおうとしていた。

 ならば世話になっている人間達に恥をかかせる訳にはいかない。半端は出来ない。


「頼むぞ、ザリィ」

「お任せ下さい」


 賢者の真剣な表情に応え、侍女は賢者の為に全力を尽くす。

 けれど余り時間をかける訳にもいかない事も解っている。

 のんびりして居ればその分領主一家の負担が増す事だろう。


(あ奴は儂に会い来た、と思って間違いは無かろう)


 態々賢者を遠のけ合わせない様に対処した。それはつまり賢者に会いに来たという事だ。

 領主一家と相手の態度を見てしまえば、賢者の為に遠のけたのは間違いない。

 それ自体は感謝の気持ちが胸にある。優しい一家の心遣いを嬉しく思う。だが。


(儂は元々それを承知の上で来たんじゃし、狙いを確かめる為の餌じゃしな)


 この国の王が何故賢者を呼び出したのか、その真実はまだ解っていない。

 領主一家は何かを知っていそうな気配はするが、未だ確信には至らない。

 それもこれも一家が良い家族故に、単純にそういう気質ではと思ってしまう。


 いや、間違いなく気質も有るのだろう。でなければ子供達があんなに優しく育ちはしない。

 不器用だが人を気遣える次男と、家族の事が好きなのだと解る三男。

 あの二人の態度は作った物には感じず、夫妻の愛情と教育の賜物なのだろう。


(娘が欲しい欲しいと言っている事には少々不満の様子じゃったがな)


 次男は既にある程度の歳なので気にしていない。だが三男が少々気にしていた。

 僕じゃ駄目だったのだろうか、生まれてきちゃ駄目だったのだろうか。

 そんな事を思う時も有ったらしい。


 勿論それは「あった」と語った以上、既に彼の中では解決している。

 だがそんな踏み入った事を話す程度には領主一家との距離が縮まっていた。

 少なくとも賢者はそう思っているし、ならば世話になってばかりはいられない。


「お嬢様」

「うむ、いい仕事じゃザリィ。感謝する」

「もったいないお言葉です」


 そして手を抜けないがのんびりもしていられない、という状況も侍女には関係ない。

 賢者の意図が解っている以上、出来る限りの最短で仕上げてしまうだけだ。

 勿論賢者は出来ると思っていたから頼み、侍女はそれに全力で応えた結果でしかない。


 やはりうちのザリィは素晴らしい。賢者は思わずそんな事を思い胸を張る。

 姿見の前には完璧に整えられた幼女の姿。過不足なく着飾られた自分。

 そんな可愛らしい存在が出来上がっている事に満足して頷く。


「よし、では行くかの」


 賢者は宣言して部屋の扉を開き、使用人の控え室に居る青年達へと目を向ける。

 青年は小さくコクリと頷くと賢者の後ろにつき、他の護衛達も同じ様につく。

 その中にはグリリルも居たが、事前に指示を出していたので問題は無い。


 外に出ると使用人が少し驚いた顔を見せ、そして同時に困った様子も見せた。


「お嬢様、その、本日は・・・」

「解っておる。解った上で儂は向かおうとしておる。案内を頼んで良いか」


 使用人は一瞬悩み、けれどそれは本当に一瞬の思考だった。

 先程までの困った様子を消した使用人は、小さく頭を下げて賢者の前に出る。

 そして他の使用人に小さく指示を出し、賢者の要望を叶える為に動き出す。


「ではご案内させて頂きます」

「うむ、頼んだ」


 なるべく賢者を遠ざける様に、けれど賢者が望むならば好きにさせる様に。

 事前にそう命じられていたからこその切り替えの早さだ。

 本人が望むのであれば使用人に止める術も必要も無い。


 粛々と仕事をこなす為に、使用人は賢者の望みの人物の下へと案内をする。

 そうして広い屋敷を暫く歩いた先で、賢者は一度案内された覚えのある部屋に着く。

 三男が心折れず屋敷の案内をしてくれた時に一通り見て回っているので。


(確か応接に使って居る部屋と言っておったな。ただ・・・面倒な相手の時に使う部屋、と次男が言っておった様な気もするが。やけに華美な部屋じゃったよなここ)


 つまりは貴族として対応する為の部屋という事なのだろう。

 賢者としては余り好きではないが、力の誇示を是とする貴族には良い部屋なのだろう。

 この辺りどうしても田舎貴族が顔を出すが、賢者は別にそれで良いと思っている。


 そんな数日前の事を思い出していると、使用人が扉の前で賢者に振り返った。


「お嬢様、本当に宜しいのですね?」

「うむ、頼む。気を使わせてすまぬな」

「畏まりました」


 最後の確認をした使用人は、賢者の言葉に従い扉をノックする。

 すると中からは夫人の「入りなさい」という声が聞こえた。

 てっきり領主も対応していると思っていた賢者は少し驚く。


 とはいえその感情を表には出さず、しっかりと令嬢の仮面を被って足を踏み入れた。


「失礼致します。どうやら私に用件の有るお客様がいらしている様子ですので、失礼が有ってはいけないと急いで参じさせて頂きました。そちらの男性がお客様なのですね」


 にっこりと、しっかりと作った笑顔を見せながら、賢者は令嬢らしく振舞う。

 それは幼児が行っているとは思えない完璧な所作であり、当然そんな賢者に面々は驚く。

 賢者を目的に来た男だけではなく、夫人達も目を見開いて賢者を見て居た。


「事前に何も伝えられておりませんので、お客様が来られるとは存じませんでした。顔を出すのが遅くなった事はどうかご容赦下さい。まさか名も知らぬ方が突然会いに来る等とは思いませんでしたし、何よりこちらの貴族の作法には疎い田舎貴族ですので」


 そしてその驚きは都合が良いとばかりに、賢者はそのまま立て続けに責める。


 賢者に会いに来ると言うのであれば、先ぶれを送るのが貴族の礼儀ではないか。

 親しい仲であれば別ではあるが、貴様と私は初めて会う人間のはず。

 そして何よりも貴様はこの国の『貴族』だろう。礼儀作法はどうした。


 田舎貴族にすら出来る事が貴様には出来ないのか。賢者は穏やかな声音でそう言ったのだ。


「――――――っ!!」


 男は何を言われたのか一瞬解らなかったが、それでもきちんと貴族だったのだろう。

 柔らかく笑いながら告げる言葉の意味を理解し、そして理解したからこそ更に驚く。

 目の前の幼児は一体何なのだと。これは本当に幼児なのかと。


「あら、そういえばご挨拶が遅れてしまいましたね。私とした事がお恥ずかしい。私はナーラ・スブイ・ギリグと申します。これでも自国では一応高位貴族の立場を賜っておりますわ。だというのに礼を失った行動をとってしまいお恥ずかしい・・・申し訳ございません」


 けれど賢者はそんな男に容赦なく畳みかける。

 貴族ならばちゃんと礼を見せて名を乗れと。

 貴様がどう思っているか知らんが、目の前の人間は高位貴族だと。


 たとえ相手が小国の高位貴族で、更に幼児だとしても、それでも貴族は貴族だ。

 だというのに幼児にもできる礼儀を通せず、貴様はその歳まで何をしていたと。


(儂を舐めくさった事、後悔するが良いわ!)


 賢者は全力で、貴族令嬢として、男に喧嘩を売りに行った。

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