第115話、臆病(実は)
賢者が家に帰った翌朝、朝食を食べた後で早速従兄と共に山へと向かった。
そして今回は二人だけではなく、前日に話した通り青年も共に頂上へと向かっている。
侍女は少し心配そうではあったが、ぐっと我慢して三人を見送った。
そうして頂上に辿り着いた三人は、祠の前で待つ熊と対面する。
『グォウ』
「うむ、今日も宜しくの」
「よろしくお願いします、山神様」
熊の鳴き声に賢者と従兄が応え、ただ青年は熊に近づいてから膝を突いた。
「お初にお目にかかります山神様。本日はお世話になります」
『・・・グォン』
初めましてではないんだけどな、と思いながらも頷いて応える熊。
熊としては賢者を通して何度も会っているので、今更な挨拶感がある。
そもそも精霊化は熊その物といって良い。なら初めまして、ではないだろう。
とはいえそれを説明するのも何だか面倒だと思った熊。
こういう所で若干似た者師弟感がある賢者と熊である。
「それで一体何をするのかな」
「やる事は基礎も基礎じゃよ。自身の内の魔力を感じる鍛錬と魔力操作の鍛錬じゃ」
「成程。私も魔力操作の鍛錬を――――」
「魔力を感じる鍛錬からじゃ」
青年にとって魔力操作の鍛錬は、そのまま自分の身を守る事に直結する。
何せ精度が高ければ高い程、身を隠し気が付かれない様に接近出来るのだから。
そう思い基礎鍛錬も自分には意味があると思ったが、賢者はそれを止めた。
青年の表情には困惑が見て取れて、賢者はそんな彼にニマッとした笑顔を向けている。
「・・・私は既に魔力は解るのだけど」
「メリネも同じ事を言っておった。じゃが儂の言う通りにした結果、その言葉を訂正して謝って来たぞ。そしてその日からおそらく今でも、あ奴は同じ訓練を続けておるはずじゃ」
「メリネ嬢が・・・ふむ」
こんなつまらない嘘を吐く子ではないと、青年は賢者の言葉を信じて呟く。
「解ったよ。じゃあ君の言う通りにしてみよう」
「うむ、それが良い」
一切疑わずに頷いた青年の態度を見て、賢者はご機嫌に頷いて熊耳をピコピコと動かす。
青年はその動きで一瞬手が耳に伸びかけ、ぐっと堪えて手を引き戻した。
更に引き戻した手を強く握りしめ、どれだけ力が入っているのか血管が浮き出ている。
賢者はその様子に少し呆れつつ、余り我慢させすぎるのも面倒な予感がした。
抑圧された物が解放された時、行動が過激になりかねないと。
「・・・ちゃんと出来たら耳を触っても良いぞ」
「さ、やろうか。ナーラ、山神様、ネイズル君」
「お主・・・いや良いか」
ご褒美があると聞いた青年の切り替えの早さにあきれる賢者。
とはいえやる気になったならそれで良いかと、メリネにした時の様に座らせる。
ネイズルはもう慣れたもので、指示をせずとも座って自身の奥の魔力を探り始めた。
青年も同じ様に目を瞑り、自分の内側を確かめる様に魔力を探る。
(・・・うん、すぐに感じられる。私の精霊の魔力・・・精霊の中ではおそらく弱い方で、けれどやはり精霊なのだと思う魔力量・・・私にそっくりな精霊の力・・・)
青年も静かに内側に宿す魔力を感じ、自身が契約している精霊を近くに感じ始める。
ただそこでふわっと頭に何かが触れるのを感じ、それでも集中は切らさない。
「うむ、そうじゃ、その調子じゃ・・・じゃがまだ浅い。そこは表面も表面じゃ。もっと深く、深く、奥に、精霊の下へと向かう様に・・・魔力を探るんじゃ」
(もっと・・・奥・・・)
賢者の言葉を静かに聞いていた青年は、自分が深く落ちていく様な感覚を覚えた。
けれどそれは不快さが無く、むしろ身を委ねる方が心地良い。
心のままに賢者の声に身を委ね、そして自分の奥へと意識が入り込んでいく。
奥へ、深く、もっと深く、もっと奥へ――――――。
「っ!?」
「うおっ」
そしてメリネと同じ様に、精霊の『本当の魔力』を感じた所で跳ね上がった。
彼の頭を抱えながら撫でていた賢者も跳ね上がり、頭に抱き着いてブラーンとしている。
ただこの状態では青年が辛いと気が付き、慌てて青年から手を離した。
「すまん、ちょっとびっくりして手を離すのが遅れた。首は大丈夫か?」
「あ、うん、平気平気。ナーラぐらいなら全然問題ないよ」
「・・・お主本当に頑丈じゃの」
幼児とは言え子供一人を首だけで支えて平気とは、鍛え方がおかしいと賢者は思う。
「それでどうじゃ、少しは儂の言葉の意味が解ったかの?」
「そうだね、これは少し・・・いや、大分予想外だったかな」
青年は普通に受け答えしている様に見えるが、内心はかなり驚いている。
彼は自分の契約した精霊が、他の精霊とは少々毛色が違う自覚があった。
精霊の性格的にも戦に似合う者ではなく、そして自分も本来の性格はそれに近い。
だから精霊の中では弱い精霊で、だから身に宿る魔力量もこの程度なのだろう。
そんな風に解釈していて、そして精霊も青年の考えを今まで否定しなかった。
けれど実際はどうだ。身の内の奥に存在する力の巨大さに呑まれてしまった。
「びっくりしたよ。私はあんなに凄い精霊と契約していたんだね」
「うむ、魔法を使えぬ者が魔法を使えるようにと、そうして精霊が与える魔力には制限がある。でなければ人間の体なぞ直ぐに壊れてしまうからの。これはメリネにも言った事じゃが」
賢者はメリネに説明した時と同じ事を青年にも説明していく。
背年は口を挟まずに聞き、最後に少し楽しげな表情を見せた。
「そうか・・・そっか・・・私もちゃんと、精霊術師、だったんだね」
「ローラル?」
「あ、いや、えっと・・・」
青年の様子がおかしい事に気が付いた賢者は、少し心配そうに青年を見上げた。
彼はそんな賢者の視線に少し恥ずかしがる様子を見せ、口ごもりながら応える。
「私は、その、精霊術師としては、皆と格が違うと思っていたんだ」
「・・・下、という意味でじゃな?」
「うん。精霊の力が弱く、そして何よりも皆の様に大きな魔力を扱えない。だから私は精霊術師だけど、皆とは違って半端な精霊術師だと、ずっと思っていた」
精霊と契約した時、正直な気持ちで言えば喜んだ。
戦う力を手に入れられたと。強い力を手に入れられたと。
けれど手に入れてから解った事は、他の誰よりも低い魔力量という事。
更には契約した精霊が得意とする魔法は逃げ隠れに特化した物だ。
「幼心に思ったよ。自分が臆病な人間だから、契約した精霊も同じだったんだろうと」
幼い頃から自分の役割は理解していた。王族としての役割を学んでいた。
けれどそんな重荷から逃げ出したいと思った事が無い訳じゃない。
それでも逃げ出す訳にはいかず、でも心のどこかでずっと逃げ出したがっていた。
だからきっと、精霊はそんな私を見初め、自分と同じ様な弱い精霊だったのだと。
ずっとそう思っていた。思い込んでいた。自分は何もかも出来損ないだと。
「・・・強かったんだな、お前。こんなに強かったんだな・・・ははっ」
青年は胸を押さえながら小さな笑みを漏らし、少し瞳が潤むのを感じた。
賢者はそんな青年の頭を抱え、優しく頭と背中を撫でてやる。
「・・・俺は何を見せられているんだろう」
そんな婚約者達を見ている従兄は、どう反応すれば良いのか困っていた。
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