第116話、呪い(綻び)
青年が精霊の強さを認識してから数日、彼もメリネと同じ様に鍛錬に取りつかれていた。
「頭おかしい」
ただしその鍛錬風景は、賢者をして思わずそう口にしてしまう光景になったが。
青年は魔力を感じる鍛錬と並行して、単純な筋力鍛錬も行い始めたのだ。
「ふっ、ふっ、ふっ」
目を瞑って片手で腕立てをしながら、意識は確かに内側にある。
集中は間違いなくしているのに、体幹がぶれる様子は全く無い。
まるでこの鍛錬の形こそが自然であるかの様に鍛え続けている。
因みに目を瞑ったまま途中で腕を変え、更には別の筋力鍛錬にも移行した。
一応最初の数日は普通にやっていたのだが、体が鈍りそうで怖いという事らしい。
言いたい事は解るが意味が解らん、と賢者は奇妙な物を見る目を向けている。
「・・・なあ、ナーラ。王太子って何なのかな」
「筋肉お化けじゃろ。こやつの父親もそうじゃったし。ネイズルは真似せんで良いぞ」
メリネとナーラ、それに山神を見てきた従兄もこの光景には最初唖然とした。
しかし王太子が止まらずに動く様子に最早考えるのを諦め始めている。
最終的には剣の鍛錬もやり始めたので、二人とも青年に対し疑問を持つのは諦めた。
『グォ・・・』
因みに熊は基本的に青年の傍に近寄らず、賢者と従兄の傍で過ごしている。
何せ怖いので。出来れば近づきたくないし、何なら視界に入れるのも怖いと。
『・・・グォン』
ただ熊はそんな自分が少し嫌で、その気持ちは日々積み重なっていた。
熊は賢者の傍に居る為に契約をしたが、それは賢者を守る為でもある。
だというのに今もし青年に襲われたら、熊はきっと何も出来ないだろう。
青年を見つめていればいる程そう認識し、そしてその認識に納得がいかないと。
自分は精霊だ。土地に根付いた精霊で、だからこそ大きな力を持ち得ている自覚がある。
だからこそ土地に根付いた契約により、自分は目の前の青年を恐ろしいと思ってしまう。
この恐怖は根源に植え付けられた物だ。自分の意思ではどうしようもない物だ。
どうしようもなく怖い。自分の意思ではないのに怖い。そう、自分の意思じゃないんだ。
『グォウ・・・』
自分がただの熊だった頃、怖い物なんて特になかった。
あえて言うなら突然現れた変な生き物。
冬眠中でお腹がすいて気が立ってた自分に食べ物をくれた友達。
その代わり魔法を無理やり教えられて、でも楽しくて仕方がなかった。
迷惑だったけど、最初は叩きのめされたけど、それでも師匠との日々は楽しかった。
そんな自分が恐れる事は―――――。
『のう、熊よ。ありがとうの。お主が居るおかげで儂は何とか正気を保っとる気がするよ。本音を言えば自覚しとるんじゃ。もう儂は色々と、おかしくなっておる、との』
ひなたぼっこをする自分の背中を撫でながら、そんな事を言っていた友達。
その時は何を言っているのか解らなかったけど、今ならどういう事か良く解る。
友達は段々様子がおかしくなってた。普段は静かだけど、突然怒り出す事が増えた。
そうして最後は自分に何も告げず、何時もの場所で倒れていたのを見つけた。
悲しかった。苦しかった。辛くて仕方なかった。なんで、なんで。
だから今度は離れない。最後まで、最後まで一緒に居る。友達と最後まで。
けど、その最後は、友達が笑ってないと駄目だ。師匠が笑ってないと納得できない。
あんな笑顔は認めない。もっと、もっと幸せに笑ってないと。
だから自分が怖いのは、そうだ自分が怖いのは、ナーラが居なくなる事だけだ!
『グォウ・・・!』
熊はその想いを強く胸に抱き、地脈に干渉して魔力を練る。
土地に根付いた契約の呪い。それは結局の所凄まじい『魔法』でしかない。
なら『魔法使い』の自分なら干渉できるはずだ。何かしらの『穴』を付けるはずだ。
魔法使いとして鍛錬を積んだ熊は、精霊としてではなく魔法使いとして力を使う。
それでも長年の呪いと化した大魔法は――――――。
『グォ・・・!?』
干渉した瞬間に存在を消されるかと思う程の恐怖が体を竦ませた。
実際には何も起きていない。熊の体はしっかりと存在している。
けれど恐怖で魔力操作が鈍り、呪いへの干渉が打ち切られてしまった。
『グォウ・・・!』
けれど知った事かと熊はまた同じ事を続けた。何度も、何度も、皆の鍛錬の間に何度も。
前の契約者の時はこんな気持ちにはならなかった。だって理由が無かったから。
気が付いたら精霊になっていて、良く解らないけど力を貸して欲しいと願われた。
だから何となく手を貸しただけで、だから呪いの事もどうでも良かった。
大事な物はもう無かったから。無くしてしまった後だったから。
けど、今はここにある。大事な物が手元にある。
ならば『魔法使い』として、魔法に対し無条件に屈するなんて師匠に顔向けが出来ない!
『グォ・・・!』
そうして熊はにやりと笑った。恐怖に震えながらも歯をむき出して笑った。
穴を見つけたと。破る事は出来そうにないけど、代わりに出来る事を見つけたと。
ただの精霊であれば不可能だっただろうが、魔法使いの自分なら可能だと。
未だ恐怖に震えながらも何かを掴んだ熊は、思わず唸る様な声が賢者へと漏れる。
「む、どうした熊よ。やけに嬉しそうじゃな?」
『グォウ』
ただ流れ込んだ感情が喜びだった事で賢者は笑顔で受け止め、けれど細かくは解らない。
熊がご機嫌だという事だけで、そして熊はその通りだと頭を擦り付ける。
賢者は首を傾げつつも、何故かご機嫌そうな熊の頭を優しく撫でた。
「ふむ? 良く解らんが、ご機嫌なら何よりじゃ」
『グオン♪』
これで守れる。守る事が出来る。大事な友達を。大好きな師匠を。
恐怖に竦んで何も出来ず、大事な物を失う事だけは無い。
―――――たとえその後、自分が消えるとしても、守ってみせる。
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