第94話、帰還(今度こそ)
模擬戦から数日たった賢者は・・・何故かまだ領地に帰っていなかった。
「儂、頑張り過ぎでは?」
そして賢者は唐突にそう思った。何故自分は未だ領地に帰らず城で訓練を続けているのかと。
あの二日だけのつもりだったはずが、何故あの三人は何度も模擬戦を挑んで来るのかと。
そもそも宴会が終われば自分達はそそくさと帰るつもりではなかったのかと。
「まあ、否定は致しませんね」
侍女は素直に頷き答えた。彼女も賢者が頑張っていたとは思っている。
ただ今頃その答えに至るのかと、内心突っ込んではいたが。
本来は既に帰っているはずなのに、賢者に合わせて予定を変えているので。
「・・・良し、帰ろう!」
「畏まりました」
自分のせいで伸びていた予定に見ないふりをして、侍女へと指示を出した賢者。
優秀な侍女はお嬢様の無茶ぶりに応え、祖父への連絡も入れて帰る準備を進める。
とはいえその内こうなるだろうと予測し、祖父共々いつでも動ける準備はしていたが。
完全に能天気に何も気にしてなかったのは賢者だけである。
「一応あ奴らには解れの挨拶をしておくか・・・」
「ヒューコン様とチャイス様ですね」
「いや、ローラルにもな? あとリザーロにも一応しておくか」
「ロクソン様は兎も角殿下には必要ないのでは? あの方なら勝手に察するでしょうし」
「いや、そういう訳にもいかんじゃろ・・・」
相変わらず青年に対して厳しいなと思いながら、侍女に指示を出して人を出させる。
自ら動いても良いのだが、そうなると侍女は賢者について来る事になるだろう。
そうなると指示だしが一時的に止まるので、賢者は大人しくソファに転がった。
「この部屋ともお別れじゃのー。何だかんだ長く居たせいで馴染んでしもうたわい」
「ソファに寝転がる貴族のお嬢様なんてそう居りませんけどね」
「ここに居るぞい?」
「はいはい。全くもう」
ちゃんと座りなさいという意味で口にした侍女だが、賢者は解っていながらそう答えた。
そんな賢者に呆れた様子を見せながらも、笑顔である辺りはやはり甘いのだろう。
侍女本人も自覚はしているが、このやり取りが心地良い自分もまた事実だった。
それは賢者も同じ事なのか、熊耳がピコピコとご機嫌に揺れている。
しかも寝転がっているせいか、今日は薄めの服なせいか、尻尾も存在感を主張していた。
小刻みに揺れる様子が見える尻尾は、最早熊というより小型犬ではなかろうか。
(儂あんまり熊の生態は知らんが、お主の耳と尻尾は良く動くのう。熊は皆こうなのか?)
『グォン?』
(えぇ・・・お主自分にしっぽが付いてるの知らんかったのぉ・・・?)
『グォン』
実は自分の尻尾の存在に気が付いていなかった熊である。
賢者と意思疎通が出来る様になって、初めて尻尾の存在に気が付いた。
なので動いているのが普通かと聞かれても、そもそも動かしている意識が無い。
耳も同じく無意識らしく、特に気にして動かしていた訳では無い様だ。
一応多少は意識して動かせるが、ピコピコよく動いている時は知らないと。
(儂も流石にお主以外の熊をじっくり観察した経験が無いから解らんの)
『グォウ』
熊は頷いて返してはいるが、それでも記憶の中にある他の熊を思い出していた。
確かによく思い出すと尻尾の様なものがあったけど、そんなに動いていたかなと。
もし賢者のように動いているのであれば、もっと記憶に残っている様な気が。
そんな熊の様子は一旦措いて、手持ちぶたさにゴロゴロする賢者。
帰ると言ったものの自分に出来る事は何も無く、ただ待つだけの時間が過ぎる。
そんな賢者を護衛達は微笑ましく見守り、暫くして人が訊ねて来たと連絡が入った。
「・・・殿下の様です。どうやらあちらから出向かれた様ですね」
「自ら来なければ挨拶に来ないと思ったんじゃろ」
「ちっ」
「ザリィよ・・・」
侍女の反応に半ば慣れを感じつつ、青年を通すようにと指示を出す。
「やあ、ナーラ。突然帰ると聞いて驚いたよ」
「いや、本来もう帰ってるはずなのは知っとるじゃろう」
「確かにそうなんだけどね」
青年は苦笑しながらここ数日を思い出し、だからこそ変な焦りを感じた自分を自覚している。
賢者が城に居る事が当然になっていた数日間が、彼にとって心地の良い物だったせいだろう。
(彼女といる間はただの私で居られる。私の使命も何もかもを知っている彼女の前では、気安い自分で居られるのが心地良いのだろうな。けれど暫くは又お預けか)
精霊術師を止める為の機能。生まれた時から命を懸ける事が決まっている王族。
そんな自分である事に苦痛を感じなかったと言えば、きっと否としか言えないだろう。
もし誰かが変わってくれるなら、きっと喜んでこの役目を変わったと思っている。
だがそんな事は出来ないし、何よりも弱音を吐く事すら許されない。
そんな自分の前に現れた癒し。それが目の前の熊耳幼女だ。
耳の心地良さもさる事ながら、何よりも弱音を吐いてしまえる相手という点が。
(・・・そんな事を自覚してしまった自分が恥ずかしいけどね)
和やかに会話をしながら、青年はそんな風にも考えてはいた。
だってそれは、自分が幼女に甘えているという事なのだから。
何度もこの年下の婚約者に恰好を付けられているのに、自分は更に情けなくなるのかと。
「どうした、ローラル?」
「ああいや、何でもないよ。君がいなくなると寂しくなるなと思ってね」
「耳が触れなくなるな、じゃろ?」
「勿論それも確かだけどね」
だから苦笑交じりに本心を隠し、軽口だけで済ませてしまう。
これ以上みっともない姿を晒さないで済む様にと。
そんな青年の微妙な様子を、賢者の侍女が半眼で見つめていた。
何を格好つけているのかと、本人達がいなければ鼻で笑いそうである。
そうこうしている内に、青年だけでなくブライズとメリネも挨拶にやって来た。
「お主らまで来たのか。こちらから出向くつもりじゃったのに」
「筆頭殿にご足労させる訳にはいかぬでしょう」
「ええ、部下が見送りに出るのが当然ですわ、ナーラ様」
「そうか、心遣いに感謝する」
そうして二人も賢者との別れを惜しみ、賢者が帰るなら自分も帰ると言い出した。
どうも本来なら二人も既に帰っていたらしい。特にメリネは早く帰れと言われていた。
「お父様ってば、こんな機会は滅多に無いって言っているのに、早く帰れお前には仕事がある、なんて言うんですのよ。どうせ私に街道の整備をやらせたいだけでしょうに」
(そうか、儂とメリネであれば街道の整備も簡単なんじゃよな)
彼女の言葉に自分が戦闘以外で役に立てると感じた賢者。
とはいえ彼女が出来るレベルと、賢者の出来るレベルに大分相違が在ったりするが。
賢者は魔力量だけは多いので、延々同じ事を繰り返し続けられてしまうので。
もし街道の整備を賢者が始めれば、魔力の前に体力が尽きるのは間違いない。
その光景を見た魔法使いはきっと「普通は逆だ」と口にする事だろう。
それはメリネでも変わらず、確実に魔力の方が先に尽きる。
ただ土を適当にいじるだけなら兎も角、しっかりと街道にするのは意外と魔力を使うのだ。
「お嬢様、ロクソン様は出発の見送りに向かうとの事です」
「解った。では参ろうか」
ここに来ずに直接見送りに向かうというのであれば、もう待つ事も無いだろう。
先に車の用意をしていた祖父と合流し、青年から賢者を奪い返す一幕もあった。
そうして車に乗り込む直前にリザーロが現れ―――――。
「げっ」
「父上・・・」
彼の後ろに国王の姿もあり、賢者は嫌そうな顔を見せる。
青年は流石に人目があるので表情を変えていない。
残りの者達は突然の国王の出現に驚きつつ、皆膝を突いて頭を垂れた。
「皆気楽にして欲しい。私は英雄の見送りに来ただけだから」
「陛下のお言葉だ。皆楽にせよ」
国王とその指示に従えというリザーロの言葉で、皆頭を上げて立ち上がる。
その様子だけを見れば、英雄を大事にする立派な国王に見えなくも無いだろう。
「ナーラ嬢。君がいなければ此度の勝利は無かった。改めて感謝を告げよう」
「光栄に思います、陛下」
相変わらず何を考えているのか解らない国王に、賢者は心を落ち着けて綺麗に返す。
それこそ幼女がしているとは思えない程に、綺麗な淑女の返しをして見せた。
国王が苦手な事はもう理解されているが、そう毎回翻弄されて堪るかと。
すると国王は驚く様子も見せず、ふっと柔らかい笑みを見せた。
「今後も期待している。ではな」
「は?」
もっと何かがあると構えていた賢者は、思わず間抜けな声を漏らしてしまった。
だが国王は意に介さずに振り返り、リザーロ以外の護衛を連れて城へと戻っていく。
その様子がまさにしてやられた気がして、賢者は又若干不機嫌になっている。
「ナーラ嬢。気を付けてな」
「む、お、おう、リザーロもな。もしあの小娘が何かやらかせば教えてくれ」
「承知した。気兼ねなく頼らせて貰う」
慌てて気を取り直した賢者は小娘・・・キャライラスの事を告げておく事にした。
何かがあれば自分が出向くと。因みにその小娘は既に城からいなくなっている。
『あのクソガキと何時までも同じところに居たくないわ』
という理由でとっとと帰った。勿論そんな事を表で言ってはいないが。
「では皆、見送り感謝する。また会おう」
ともあれ賢者は多くの者に見送られ、けれど騒ぎにならない様一般人には告げずに出発する。
英雄が領地に帰るなどと言う話になれば、王都ではまたお祭り騒ぎになりかねないので。
「さあて、帰ったらまた山で訓練じゃの」
『グォン!!』
そして訓練の日々に気が付いて帰るはずなのに、既に次の訓練を考えている賢者であった。
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