第62話、侵入者(訪問者)
『グオーン』
リザーロ達との合流後の夜、すやすやと眠る賢者の意識に熊の声が響く。
耳に届くものではなく魂に響くようなそれは、深く眠っていた意識を浮上させる。
「んがっ? な、何じゃどうした、何ぞあったか? ふあぁ~・・・頑張れ儂、おきろー」
『グォ』
それでも幼い身に突然の起床は出来ず、目を擦りながら熊に訊ねる賢者。
あくびもかみ殺す事が出来ずに大きく口を開けていると、熊が聞き捨てならない事を告げる。
陣に侵入者が居ると。しかも隠匿系の魔術を使ってこちらに向かってきていると。
「見張りは?」
『グォン』
「まあ、そりゃそうじゃわなぁ。気がついとったら侵入はさせんか」
気が付いていないという当然と言えば当然の答えに、賢者は頭を抱えながらため息を吐く。
「のんびり起こした訳じゃし、見張りが殺されたりとかはしとらんのじゃよな?」
『グォウ』
ただ人死にが出ていない事実に今度は安堵の息を吐き、けれどやはり頭を抱える賢者。
「やはり自軍に魔法使いが殆ど居らん影響がでかいのう・・・不意打ちを防ぐ方法が無さ過ぎるわい。あちらさんは真正面から叩き潰すつもりじゃから良いが、不意打ち伏兵上等な考え方な国が相手であれば、この国は抵抗する暇もなく滅んでおったじゃろうなぁ」
魔法を使えない人間は、魔法使い相手には圧倒的に不利だ。
純粋に攻撃魔法を防ぐ手段がない、だけならまだやり様はある。
一番の問題は精神に働きかける類の魔法だ。敵を敵と認識出来ない様な魔法。
魔法を使えずとも魔力があれば多少抵抗は出来るが、この国は魔力が一切ない民が多すぎる。
たとえ見張りを立てていたとしても、隠匿系の魔法を使われたら対処ができない。
数少ない自国の魔法使いは要人の守護についているので、運よくその近くを通れば別だが。
幸いは逃げ隠れする技術は邪道とまでは言わないが王道ではない、という思想な事か。
結果としてあの国では諜報員は上に行けない落ちこぼれの魔法使いと認識されている。
国王や青年、賢者からしても、なに言っとるんじゃそ奴ら、という感想なのだが。
(隠匿系は上位の使い手には通用せん事が多いせいかもしれんが、だとしてもアホじゃよな。諜報員ってのは大事な存在じゃろうに。大体の国は金かけて育ててるもんじゃと聞いたぞ)
魔法使い至上主義国家の上層部は、当然ながら魔法使いとしての技量が高い。
それは隠匿系を見破る術も高い事を意味し、ならばそんな技術など意味は無いと断じている。
逃げ隠れした所で見つかればそれで終わり。上位の魔法使いにはけして敵わないと。
だが諜報員の一番の仕事は、大事な情報を無事に持って帰って来る事だ。
もしくは誰にも気が付かれない様に工作を仕掛け、国に事を有利に運ばせる事。
それは敵地に入り込む危険な仕事であり、魔法使いはそこに少し有利が取れると言える。
勿論先の通り見破られる可能性もあるが、それこそ使い方次第でどうとでもなるのだ。
少なくとも賢者にしてみれば、可能性を秘めた魔法を一つ捨てている事が余りに馬鹿らしい。
それで良く魔法国家などと名乗れるな、と言うのが心からの本音だ。
なお魔法国家に忍び込んでいる諜報員は、当然数少ない自国の魔法使いを忍び込ませている。
魔法至上主義国家に忍び込んだのだから自国より扱いが良く裏切る、などという事は無い。
むしろ忍び込んだ先の方が扱いが悪く、自国に戻れば貴重な戦力扱いをされるのだから。
それだけ諜報員という存在に対する意識が違う。という事を賢者は青年に教えられた。
(それに戦闘を考えるとしても、正面から戦う事を前提に考えるのがアホなんじゃけどな)
そういった技術の使い手が真正面から戦う事自体間違いだと賢者は思う。
隠れて潜んで警戒をされていない時を見計らって行動を起こす。
もしくは何でもない顔をして集団に混ざり、仲間かのような様子で何時の間にか馴染む。
隠匿系の魔法と言うのはそう言った事に使える技術だ。
戦闘の為に使う事が基準になっている、と言うのがそもそもおかしい。
何よりただ隠匿の魔法『のみ』を極めた者の怖さを知らないとみえる。
(怖いのう、我らが王太子殿下は)
『グォン』
たとえ隠匿の魔法を使われようと、居ると解っていれば賢者でも察知は出来る。
しかも熊にどこにいるのか教えてもらいつつ、けれどその気配が一つ、また一つと消える。
そうして侵入者の気配が最後の一人になった所で、ふととある人物の気配を感じた。
王太子にて精霊術師。ローラル・バル・エルヴェルズの気配を。
「熊より先に気がついとったのかの?」
『グォン!』
「すまん、そうじゃな、熊の方が先に気が付くよな。儂が起きるのを待ってたんじゃよな」
『グォウ』
心外だと主張する熊に機嫌を取る様に謝り、いそいそと近くの上着を羽織って外に出る賢者。
当然賢者が寝泊まりしている天幕には見張りが居り、出てきた賢者に驚きの顔を見せる。
「姫様、こんな真夜中にどうされました?」
「少々お待ち下さい、ザリィ様をお呼びしますね」
「あー・・・いや、うむ。呼んでくれるかの」
今から敵らしき存在に会いに行く、という事を考え一瞬返答に迷った。
だが青年が片を付けたらしき様子であり、ならば問題ないかと騎士達に頷いて返す。
因みに今更な話だが、賢者の侍女は基本的に騎士より上の立場であったりする。
少しの間その場で待つと、近くの天幕から侍女が出てきて速足で近づいて来た。
「お嬢様、どうされました? 眠れませんか?」
「いや、少々行きたい所があっての」
「行きたい所? こんな夜中に、一体どこに」
「耳を」
ちょいちょいと指を動かし、耳を近づけるように指示する賢者。
侍女は素直に従って膝を曲げ、賢者の頭の高さに合わせて耳を近づける。
「敵の侵入があった様じゃ。幸いローラルが片を付けた様じゃがの」
「っ・・・畏まりました。参りましょう」
侍女はその内容に一瞬目を見開き、けれどそれ以上の反応は無く行動を促す。
流石はザリィじゃなと満足げな賢者は、侍女を引き連れて自陣の中を歩いて行く。
当然道中数は少ないものの見張りの兵士が居り、賢者に気が付いた者達は頭を下げる。
それに笑顔で手を振って答えつつ、そして人の少なく明かりが無い方へと進んで行く。
「やあ、いらっしゃいお姫様方。女性二人で陣の端の暗がりに来るなんて感心しないな」
「お主こそそんな暗がりで何をしとるんじゃ。いかがわしい事でもしとるのか?」
そしてそこには来るのが解っていた、と言わんばかりの様子の青年が居た。
お互いに軽口を叩きながら、賢者は青年の下へと近づいて行く。
すると暗くて解り難い場所に人が数人寝かされている事に気が付いた。
「殺したのか?」
「いや、気絶させただけだよ。骨は折れてると思うけど生きてる」
「お主物理攻撃しか出来んもんなぁ」
「酷いな。その物理攻撃の腕はかなりあると自負してるんだけどな」
「じゃろうな」
でなければいくら何でも数人を音もなくアッサリ制圧、なんて真似は出来ないだろう。
魔法は隠匿魔法しか殆ど使えない青年は、けれどそれだけに関して言えば誰にも負けない。
それこそ下手をすれば熊の目さえ欺く程の技量の持ち主が、目の前の青年である。
だからこそ隠匿の技術を生かす為に、青年は筋肉の鎧を身に纏ったのだ。
「んで、そこの起きとる奴は、起こしたままでよいのか?」
そしてそんな筋肉が捕らえた者達の中に、意識を失っていない者が一人いた。
気絶した者達と同じ様に闇の中に居るが、こちらの様子を伺う様に身動きしている。
「うん。縛ってるから、それを解く行動を起こした時点で斬るって言っておいてある」
「縛られたまま魔法使われたらどうするんじゃ」
「この距離なら魔力の気配を感じた時点で斬れる距離だから、私の方が速いよ」
「成程」
ハッタリではない。確実にこの距離なら下せる。賢者は理屈ではなく感じ取った。
本当にこの親子は怖いなと思いながら、ならば後は任せようかと判断する。
「念のため様子を見に来たんじゃが、それならば後は任せて良いかの。ああ、一応爺上には報告させて貰うが、別に構わんよな?」
「いや、ちょっと待って欲しいかな。どうも彼は君に話があるらしくてね」
「儂に?」
「うん、君が来たら伝えたいと。その為に危険を冒したと言い張ってるんだ」
諜報員が危険を冒して何をしに来たのかのかと思えば、その目的は賢者との対話。
その事実に意味が解らないと眉を顰め、青年は賢者の反応に苦笑を返す。
「儂がここに来なければどうするつもりじゃったんじゃ」
「君は来るだろうと思って待ってたのさ。事実来ただろう?」
「・・・まあのう」
気が付いたのは熊じゃけどな、と言う言葉を飲み込んだ賢者である。
「君の事は絶対に守って見せるけど・・・どうする、話を聞いてみる?」
「そうじゃな、聞くだけ聞いてみるか。じゃが守るのは儂ではなくザリィじゃ。約束せよ」
「了解しましたお姫様。お二人をしっかりと守らせて頂きます」
チラッと背後の侍女を見ながらの言葉に、青年はにっこり笑顔で応える。
儂は要らんと言うのに、と言う思いはあるものの了承を得たのでおいておく。
「で、お主は何の用で儂に会いに来たんじゃ?」
賢者は起きている者の正面に回る様にテクテク歩き、ただ暗闇で顔は良く見えない。
けれどびくりと反応を見せた事は解り、そのまま相手が口を開くまで待った。
「元首を、元首を殺して頂きたい・・・次の戦争で確実に仕留めて頂きたいのです・・・!」
「・・・・・・は?」
ただその内容が余りに予想外で、賢者は呆けた顔で首を傾げてしまった。
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