第35話、戦い(不毛)

「ご機嫌麗しゅう、王太子殿下」

「メリネ嬢も元気そうで何よりだ」


 ニコニコと笑顔で挨拶をする二人の男女。一見穏やかにも見える光景だ。

 ただし女性は腕に抱く女児をけして近づけまいと、自らを盾にする様に抱きしめている。

 そして対する青年はと言えば、口は弧を描いているが目が笑っていない。


「私の大事な婚約者を送ってくれたんだね。感謝するよ」

「いえいえ、大事な上司の盾になるのは部下としての務めですので」

「おや、メリネ嬢がそんなにも仕事熱心だったとは知らなかった」

「あら、私は何時だって仕事熱心ですわ。覚えておいてくださいまし」


 ははは、ふふふ、と中身の無い笑い声が響く中、賢者はこいつら怖いなと感じていた。

 とはいえこの現状は自分が要因であり、このまま放置という訳にもいかない。

 小さくため息を吐いた後、自分を抱きしめる女性の肩をポンポンと叩く。


「メリネや、気持ちは嬉しいが下ろしてくれ。な?」

「・・・畏まりました」


 不服でも命令には従う様子にホッと息を吐き、地に足を下ろしたら青年の傍へ歩み寄る。

 すると青年は先程とはまるで違う、本心からの喜びと思える笑みを賢者に向けた。

 まるで心から愛する女性がやって来たと見紛わんばかりだ。


(実際は愛する熊耳が近づいて来た、が正解じゃろうがな)


 だが賢者のその考えを否定する様に、青年は膝を突くと先ず賢者の手を取った。

 更にそのまま手を引かれ、昨日と同じように抱えられてしまう。

 その様子を見ていた女性は、ピクリと眉を動かし笑顔のまま口を開いた。


「殿下、仮にも淑女に対し軽々しく触れる行為は如何な物でしょうか」

「彼女以外にこの様な事はしないさ」

「随分とご熱心なのですね。先日顔を合わせたばかりの筆頭殿に」

「否定はしない。私は彼女の事を想っている」


 賢者が腕の中に居るからだろうか、青年は心なし先程よりも機嫌がいい。

 逆に女性は腕の中に可愛い筆頭殿が居ないせいか、怖い気配が漂っている。


「故に大事な婚約者を送ってくれた君に感謝をしているよ。後日また礼をしよう」

「あら、礼などとそんな事。私と殿下の仲ではありませんか」

「外聞の悪い事を言うものではないね。君と私に特別な感情などありはしないだろう?」

「そんな事はありませんわ。王太子殿下ですもの。お慕いしておりますわよ?」


 もう邪魔だからとっとと帰れ。んな事嫌に決まってるじゃないですの。

 そんな副音声が聞こえる会話に挟まれ、賢者は頭を抱えてしまっている。


(というか、王太子相手に堂々と逆らっとるんじゃが・・・呪いが利いとらんのか?)


 国王も青年も賢者に呪いが利いていないと気が付いた。

 それは王族に対する恐れが無い故だが、見る限り女性にも無い様に見える。

 だがそれならば国王も青年も賢者を特別視する訳が無く、不思議に思い首を傾げる。


(少々気になるの。少しばかり彼女と共に行動するのも良いかもしれん)


 精霊術師に対する呪いというものが、どの程度の条件で効果があるのか。

 彼女は曖昧な部分の確認に丁度良さそうだと、二人の言い合いを眺めなら判断した。

 今後自分の振る舞いに関しても、余り他の精霊術師とズレ過ぎるのも不味かろうと。


 青年に更に迷惑をかける形になるが、ここまで来てしまったらもう同じと思ったらしい。

 勿論後で謝る気はあるし、気が済むまで耳を触らせてやるつもりで。


「のう、ローラルよ、この後は昼食なのじゃろ?」

「―――――ああ、うん。君と二人っきりでゆっくりと食事をしたいと思ってね」


 賢者から会話を振ったからか、女性はその返事に割り込む事はしなかった。

 ただし「ギギギ」と音が鳴るほどに歯を食いしばっているが。


「ならばメリネも共にどうかの。折角仲良く出来そうな精霊術師じゃし、今後の友好の意味も含めての。ローラルとて儂の部下なのじゃから、皆仲良くせんといかんぞ」

「素晴らしい考えです筆頭殿!」

「・・・解ったよ、ナーラ」


 けれど賢者の提案で満面の笑みになり、両手を胸で抱えて賢者をたたえる。

 青年は否定する事が出来ず、わざわざ名前を呼んだのは小さな抵抗だろうか。

 実際名を呼んだ際に女性が少し悔しそうにしていたので、効果はしっかりあった様だ。


「筆頭殿、そういう事でしたら私も親しみを込めて、ナーラ様、と呼んでも構いませんか」

「ん、気軽に呼べばよかろう。呼び捨てでも構わんぞ?」

「ありがとうございます!」


 ただし仕返しとばかりにそんな会話がなされ、今度は青年が苦虫を嚙み潰した様な顔になる。

 因みに賢者は、この二人意外と気が会うのではなかろうか、と能天気な事を考え始めていた。

 はたから見れば三人そろって残念なのは間違いない。少なくとも侍従達はから見れば。


(お嬢様のあの顔は少々見当違いな事を考えている様子ですね・・・まあ今回は構いませんが)

(メリネ様の暴走をどの辺りで止めましょうかね・・・)

(殿下、それ演技ですよね? 本気じゃありませんよね?)


 主人に対し三者三様の想いを持ちながら、今も笑顔で睨みあう主人について行く。

 そうして予定通り昼食に、都は流石にいかなかった。

 当然ながらメリネの分の昼食は用意されておらず、急遽作らせている所だ。


「メリネ嬢には悪いけれど、私達は先に食事にしようか」

「いや、それはメリネが可哀そうじゃろ。少しぐらい儂は待つぞ?」

「流石ナーラ様お優しい!」


 女性は嬉しそうに賢者へ礼を告げると、勝ち誇った様な笑みを青年に向ける。


「ナーラ様はこんなにもお優しいお方だというのに、婚約者であらせられる王太子殿下はこの優しき方の判断とはまるで違う様です。今後ナーラ様が苦しむ事が起きる気がしますわ」

「これはすまない。私とした事がナーラとの時間が楽しみ過ぎてね」

「あら、それは私も同じ事ですわ。ナーラ様と共に過ごす時間はとても楽しい時間です」

「そうか、ならば今後はもう少し気を付けるよ」

「あら、お優しいですわね。ありがとうございます」


 青年の「気を付ける」の意味は、今後邪魔が入らない様に気を付けると言う意味だ。

 当然言われた女性も理解した上で礼を告げている。今後も邪魔をすると。


(弟子達が似た様な喧嘩しとったのー・・・そう思うと段々可愛く見えてきたの)


 賢者は賢者で完全に思考が明後日に向いていた。最早止める者が居ない。

 食事が出来上がってテーブルに用意されるまでの間も二人の会話は止まらなかった。

 一見すれば二人こそが婚約者で、賢者がその邪魔をしていると見える程に会話が続く。


 ただいざ食事が用意された段になると、テーブルに椅子が二つしか用意されなかった。


「あら殿下、これはどういう事ですの。まさか私かナーラ様のどちらかに立って食べろと?」

「いいや? そんな失礼な事はしないさ」


 女性は不備だと責めたが、青年はさらりとかわして席に着く。

 因みに賢者を抱えたまま席に着き、膝の上にちょこんと乗る形になった。

 その姿を見た瞬間、女性は「やられた!」と言わんばかりの表情を見せる。


 だが賢者をここで立たせるのもおかしな話だと、悔しさを滲ませながら席に着いた。


「ナーラ、あーん」

「ん? あーん・・・もぐもぐ」


 そして完全に二人の論争を可愛い弟子に脳内変換している賢者は、されるがままであった。

 子供脳と老人の意識が混ざった結果、完全な能天気幼女が出来上がっている。


「か、可愛い・・・! で、でも出来れば私の膝の上でが良かった・・・でも可愛い・・・!」


 目の前で繰り広げられる光景に可愛いやら悔しいやら、女性は感情が消化しきれない様だ。

 今度は青年が勝ち誇ったように賢者を世話をして、ちょこちょこ熊耳を触っている。


(やっぱ仲良いんじゃないかこ奴ら。うむ、美味い)


 餌付けをされ続けている賢者は、もっしゃもっしゃと食べながらやはり能天気であった。

 争いの中心に居るはずの人物がこの調子なので、二人の戦いはただただ不毛である。

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