第32話、鍛錬(確認作業)

「お嬢様、朝ですよ」

「んあ?」


 ゆさゆさと優しく揺られて意識が浮上し、ボケーッとした顔で目を開く賢者。

 目の前にはいつも通り侍女が優しい笑みを向け、けれど部屋の中は見慣れない。

 ここはどこだと寝ぼけた頭で考え始め、自分が王城に居る事を思い出す。


「んあぁあ・・・おはようザリィ」

「はい、おはようございますお嬢様」


 伸びをして侍女に挨拶をすると、侍女も優しい笑顔で挨拶を返す。

 枕やベッドが変わって寝苦しく、なんて事も無くぐっすりと眠っていた。

 そもそも王都までの道中の宿でも気にせず寝ていたのだから関係ないだろう。


 王太子の腕の中でもぐっすりだった辺り、そんな繊細な心は持ち合わせていない。


(色々あったせいで疲れたのも有るじゃろうがな)


 アホな娘に絡まれたと思ったら、今度は筆頭精霊術師等と言う役職を付けられ、王太子には婚約を打診された上に、アホな老人に絡まれた。

 たった一日で怒涛の出来事過ぎた。生まれて3年間では一番濃い一日だったと言える。


(唯一良かった事と言えば、王太子と友誼を結べた事ぐらいか)


 昨日の食事は何だかんだ和やかに終わり、お互いの立ち位置の認識もうまく出来た。

 流石に熊耳にあそこまでの執着を見せるのは賢者も予想外ではあったが。

 とはいえそれで青年が満足だというのであれば、もうそれで良いかと納得している。


(・・・尻尾も有る事を知ったら、あ奴どうなるんじゃろうか)


 頭の中で青年が賢者の尻を触る光景を想像し、流石に絵面がやば過ぎると思った。

 ただ耳にあれだけの執着がある事を考えると、あながち下らない妄想と思えないのが怖い。

 とはいえ尻尾を触るには下着の下に手を入れる必要がある。流石に無いだろう。


(・・・無いよな?)


 一抹の不安を残しつつ侍女に着替えさせられ、部屋を出ると賢者の両親がお茶を飲んでいた。


「おはようナーラ。ふふ、まだ眠そうだね」

「昨日のナーラちゃんは大変だったもの。もう少し寝ていても良いのよ?」

「父上、母上、おはようございます。ぐっすり寝たので儂は元気じゃよ」


 むんと力こぶを作る様に見せる賢者だが、その見た目は可愛らしいの一言だ。

 両親はクスクスと笑って賢者の頭を撫で、使用人達も優しい笑みを向けている。

 その後賢者が両親の近くの席に着くと、使用人達が朝食の用意を始めた。


「毒見は済ませております。どうぞご安心を」


 母の侍女がそう告げると、使用人の一人が小さく腰を折る。

 彼女が確認したという事だろう。


(毒殺か・・・そうか、今後はそういう事も気にしなければならんのか・・・いや、儂へ忠告する為に、あえて宣言したのかもしれんな。今後は下手な物は口にしない様にと)


 賢者が生まれる前から高位貴族の家だ。毒殺への警戒は元々していただろう。

 そもそも国内の高位貴族がどういう立場かを考えれば、毒殺こそが一番警戒すべきものだ。

 精霊術師と真正面から戦うよりも、毒物で殺してしまった方が遥かに容易い。


(今の儂では毒物の浄化も難しいか・・・)


 前世の賢者であれば毒を無理やり浄化しながら腹を満たす等という事も出来た。

 だが今生の賢者がそれをやろうとすれば、おそらく消化の前に毒で死ぬだろう。

 一応の回避方法として、途中で精霊化すれば毒などものともしなくなるが。


 その上で熊に手を貸して貰えれば、周囲の者達も助けられるだろう。

 ただしいざという時に冷静に対処出来るかどうか、という点で少し不安があるが。


(昨日も思ったが、ちょっとばかり訓練をする時間が欲しいの)


 もしゃもしゃと食事を終えた賢者は、その願いを両親に告げてみた。


「そうか・・・うん、解った。ナーラが必要だと思うのならそれが良いだろう」

「くれぐれも無茶はしないようにね、ナーラちゃん」


 すると両親は少し複雑な表情を見せたものの、賢者の願いを否定する事は無い。

 むしろ否定する事は出来ないのだろう。精霊術師の鍛錬は義務とも言えるのだから。


(やはりまだ納得しきれていないという所かの)


 元々はただ可愛い娘として育てたかった両親だ。頭で理解していても心が納得しない。

 それでも精霊術師の義務を果たさんとする娘の為に、貴族としての義務を果たす必要がある。

 両親はその義務に従って騎士に指示を出し、鍛錬場の確保に動いてくれた。


 賢者は礼を言って騎士が戻るのを待ち、暫くして戻って来た騎士と共に部屋を出る。

 城の兵士達が鍛錬に使う場所は複数あり、その内の一つを貸し切ったらしい。

 賢者としても都合が良いと思い、礼を告げて鍛錬場まで向かった。


「ふむ・・・まあ適度な広さじゃな」


 贅沢を言えばもうちょっと広いと良かった。等と考えながら賢者は鍛錬場を見回す。

 おそらく普段は剣か槍の鍛錬に使われているのだろう。木剣や木槍が置いてある。

 とはいえ魔法をぶっ放して訓練するには、少々手狭と言わざるを得ない広さだ。


(狭い状況での戦闘もありえるし、贅沢も言ってられん)


 そもそもが今生の初戦闘は城内だった。ならば次が無いとは言えないだろう。

 部屋がほぼ吹き飛んでいた事を考えると、そこを屋内と言って良いのかは解らないが。


「すまんが皆は外で待っとってくれるかの。色々と試したい事があるんじゃが、近くにおると危険かもしれんのでな。ついでに誰か入って来ん様に見張っといてくれ」


 賢者は騎士達にそう頼み、不服そうなザリィも鍛錬場から出した。

 いや、アレは不服と言うよりも心配の方が強いのだろう。

 この能天気娘から目を離すと何をやるか解らないという心配が。


 とはいえ自分が居ては鍛錬が出来ないと言われれば、不服であろうと従うしかなかった。


「さて熊よ、やるかの」

『グォオオン!』


 賢者に声をかけられた熊は元気良く鳴き、それと同時に賢者の体が変化する。

 手が、足が、胴体が、人間のそれとは違う毛皮の体へと変わっていく。

 そうして小熊の精霊体が顕現し、同時に様々な術式への理解が頭に浮かぶ。


(・・・やはり精霊化状態じゃと、忘れて思い出せんかった術式が思い出せるの。だが精霊化を解くと一気に記憶から抜け落ちるのは何故じゃ。いや、これが熊の性質という事か?)


 精霊にはそれぞれが持つ性質の様な物があり、熊の性質はこの知識なのだろう。

 熊の力を十全に使う為に、その知識を持って魔法を使用する。

 本来なら精霊化をしない状態でも、この知識が賢者の物になっていたのかもしれない。


 だが通常時の賢者は熊の魔力を扱えず、おそらく契約にも何かしらの破綻がある。

 精霊化が出来るのに他が出来ないのは納得がいかないが、致し方ないと思うしかない。

 そう結論を下した賢者は、出来ない事よりも今できる事を確かめ始める。


「熊よ、とりあえず一通り軽く魔法を使ってくれんか。手元でためる感じで」

『グォン!』


 熊は賢者の指示通り魔法を使い、手元に様々な魔法を顕現させる。

 火球、水球、土玉、風玉、雷までも。光や闇も玉にできる。

 その魔力操作は鮮やかの一言で、先日賢者を襲った少女とは比べ物にならない。


 何年も何年も鍛錬を積んだ魔法使いの技量がそこに存在していた。


「よし、じゃあちょっと交代じゃ。儂が魔法を使ってみる」

『グゥ?』


 賢者の言葉に熊は魔法を消すも、心配そうに鳴き声を上げる。

 けれど賢者はその声に応えず集中し、魔力を練り上げ――――られなかった。


「・・・まあ解ってはおったが、やはりこの状態の儂が単独で魔法を使うのは無理か」

『グォン・・・』


 通常の状態で熊の魔力を使う事が出来ない以上、精霊化した所でそこは変わらない。

 むしろ今は体が熊と化している事により、自分の魔力すら引き出す事が出来なくなっている。

 とはいえ精霊化が気軽に出来る膨大な魔力がある時点で少々狡くは有るのだが。


「まあ下手な相手ならこの状態で殴るだけで終わるんじゃがの」

『グォン!』


 ぶんぶんと短い前足を振るう小熊だが、その威力は見た目通りではなかったりする。

 膨大な魔力が圧縮された精霊体で人体を殴れば、加減をしないと爆散する可能性も。

 とはいえ近接戦闘の訓練などした事が無い賢者が相手を捉えられたらの話だが。


(現状すべき事は、今の熊の戦術と儂の戦術に差異が無いかの確認・・・かの)


 熊と共に出来る事出来ない事を淡々と確認し、着実に戦う準備を済ませていく。

 少なくともあの老人が挑んできた時にきっちり戦える様に。

 暫く地味な確認作業を続けていると、外が少し騒がしい事に気が付いた。


「何かあったのかの」

『グォン』

「精霊術師じゃと!? それを早く言わんか!」


 賢者には解らなかったが、熊は精霊術師が近づいて来るのを感じていたらしい。

 扉の向こうにその人物がいると解り、賢者は慌てて外に出る。

 またあの小娘の様な人物であれば侍女たちが危ないと。


「ザリィ、無事か!?」

「お、お嬢様!? は、はい、私は無事ですが・・・」


 どうやら侍女は無事な様だと確認し、他の者達も全員いる事に賢者はホッと息を吐く。

 ただ見慣れない者達が数人おり、貴族らしき格好の女性が目を見開いて賢者を見ていた。

 賢者はその様子に一瞬警戒をするも――――――。


「かーわいー! 何この子可愛すぎるでしょ! 持って帰っていい!?」

「ダメです。ご自重くださいメリネ様」

「げふっ!? み、みぞおちを殴らなくても・・・!」

「口で言っても止まらないでしょう」


 その女性は賢者に飛びつこうとして、侍女らしき人物に殴って止められた。

 あ、こいつ残念な奴じゃと、自分を棚に上げて思う賢者であった。

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