第4話、山神(クマ)

「あの、姫様、顔色が優れませんが・・・少し早めに休憩を致しましょうか」

「いや良い。進んでくれ。儂の事は気にせずとも良い」


 山の奥に渦巻く魔力を感じ、青い顔をしていた賢者を気遣う護衛。

 賢者は荷台に座っているだけだが、それでも山道を行く荷台の上だ。

 儀式の為に多少舗装はされているとはいえ、中々に揺れる車は幼児には辛いだろうと。


 だが賢者は反射的に返事をして、足を止めさせる事を嫌がった。

 それは傍から見れば、貴族の役目を果たす健気な娘に見えた。


(待て待て待て! さっきから魔力がドンドン近づいて来とらん!? 山に入るまでもっと距離あったじゃろうに! なぜじゃ!? 儂か!? 儂が悪いのか!? いやそれよりもどうする、あれと正面からやりあうのは無理じゃぞ! 勝てる気が全く起きん!)


 頭の中は完全に混乱の極みで、どう切り抜けるかを必死に考えているだけなのだが。

 けれど護衛にそんな事が解るはずもなく、気遣う様子を見せながら歩を進め続ける。

 ただ賢者は護衛の騎士達とも愛想よく話すので、彼らは仕事以上の気遣いを向けていた。


「・・・限界が来たら、気にせず言って下さいね?」

「ああ、感謝する」


 勿論賢者も気遣いを理解しているので、きちんと礼を言ってから思考に戻る。

 とはいえやはり考えは全く纏まらず『儂やっぱ死ぬんかのー』などと考えているのだが。

 だが賢者の危機感も致し方ない事で、奥に向かえば向かう程圧力が上がっている。


「・・・なんか、今日の山の中、雰囲気が違わないか?」

「違うって、何が?」

「いやなんて言うか・・・息苦しい様な・・・何か出て来そうな」

「おい、怖い事言うなよ」


 護衛達もその気配を感じ取り始めているのか、じっとりと汗をかいている。

 だがその変化を言語化する事が出来ず、実際に危機を感じる様な事が起きた訳でもない。

 何かが違う気がする。そんな感覚を抱えたまま、供物一行は山道を進んで行く。


 まるでこのまま本当に供物にされ、街に戻れなくなる様な気さえしながら。


「・・・静かじゃな」

「ええ、このまま何事も無ければ良いのですが」


 賢者は思わず呟いた言葉だった。今の状況を見て思った素直な言葉。

 だが護衛はその言葉へ特に疑問を持たず、けれど賢者はその事実に眼を鋭くする。


(・・・何処かに誘導されておるのか?)


 護衛達は気が付いていないが、賢者だけは気が付いている。

 先程までただの圧力だった。だが今は明確に魔法を放たれていると。

 長年魔法使いとして生きていた感覚が、幻影魔法の類を食らっていると確信していた。


「止まれ!」

「はっ! 全体止まれ!」


 賢者が止まるように指示を出すと、護衛隊長が指示を出して全体が止まる。


「姫様、やはり限界でしたか。少し休憩をいた―――――」

「静かに」


 流石に限界に来たのだと思った護衛は、けれどその口を賢者の手で塞がれる。

 護衛は初めて見る賢者の剣幕に、女児相手だというのに迫力に呑まれた。

 そんな彼がゴクリと生唾を飲み込む間に、賢者は手元で魔力を練り上げる。


 今の賢者に高度な魔法は使えない。なので普通の解除方法は不可能。

 ならば高圧縮した高濃度の魔力をぶつけ、強引に術式をぶち壊そうという算段だ。


「ふっ!」


 限界まで圧縮した魔力を投げつけ、周囲の魔法を邪魔するように爆発させる。

 すると狙いが上手く行き、魔法が霧散する感覚を覚えてニヤリと笑う。

 途端に周囲から音が生まれた。虫の音、風に揺られる木々、獣の気配。


 本来山に有る筈のものを、今初めて感じ取る事が出来た。

 それを感じ取れていなかった違和感が強く生まれるのと共に。


(やはりか。ただ魔法にかかって左程時間がたっておらんおかげか、まだ道を外れてはおらんようじゃの。流石に彼らも異変に気が付いたじゃろうし、このまま帰れるのではないか?)

「―――――な、これは、一体」

「・・・おい」

「ああ」


 その事実に護衛達も気が付き、何か異常事態だと判断した様だ。

 お互いに顔を合わせ意思疎通を図ると、護衛隊長は賢者に目を向けた。


「姫様、山を降りましょう」

「儂もそれが良いと思う。母上には叱られるやもしれんがな」

「その時は我々も叱られましょう」

「助かる」

「それと、先程の説明もお願い致します」

「うっ・・・しなきゃ駄目か?」

「はい」


 賢者は魔法を使える事を、まだ両親に教えるつもりは無かった。

 何せ魔法は危ない技でもある。制御を間違えれば身を亡ぼす危険な力。

 勿論賢者にしてみれば『んなもん全部そうじゃろ』という認識ではあるのだが。


 とはいえやはり、子供が使うとなると危険と思うのが当然。

 故に暫くは隠していようと思ったのだが、早速隠せなくなってしまった。


(家族を心配させたくなかったのだが・・・致し方なしか)


 こちらは確実に叱られてしまうだろうと、諦めの溜息を吐きながら頷き返した。

 護衛はそれを確認してから素早く隊列を直し、元来た道を帰るべく下山する。


(このまま順調に行けば、何事も無く帰る事が出来――――)


 ホッと息を吐いた瞬間であった。何かに捕まった感覚と共に、どこかに引き寄せられていく。

 いや、何処かではない、地面に落ちている。まるで水たまりに落ちる様に。


「姫様!」

「くっ!」


 荷台ごと地面に沈む賢者へ護衛が手を伸ばすも、その手はむなしく土を抉った。

 水に沈む様に落ちて行ったのに、供物以外は必要が無いとでもいう様に。


「なっ、こ、こんな―――――だ、旦那様の判断を仰ぐ! 早く屋敷に戻るぞ!」

「姫様を見捨てるのか!?」

「助けたくても人手がいるだろう! 報告が先だ! それに今のは明らかに何かしらの魔法だ! 我々だけじゃどうにもならん領域のな!」

「くっ・・・解った」


 護衛隊長は慌てながらも最良を選び、歯を食いしばりながらその場を後にする。

 目の前の小さな命を救えなかった。その悔しさで手に血を滲ませながら。








「うーん・・・抜けられんの。つーかこれ普通の魔法じゃないな?」


 尚、当の賢者は若干気楽な様子であったりする。何せ現状命の危機を感じていない。

 土の中に引きずり込まれたのだが、どう見ても地中とは思えないのである。


 一応先程幻影魔法を破った時と同じ事をやってはみた。

 けれど流石に対策をされたのか、今度は抜け出す事が出来そうにない。

 不思議な空間に何処までも落ちて行く。そんな感覚で何処かに引き寄せられている。


「こりゃ死んだかの。はっは」


 頭によぎるは『供物』という単語だ。領主の子が供物に捧げられる儀式。

 いつからか形骸化した儀式だったのだろう。だが元々は意味があったのではないか。

 そして捧げられるべき子供が山に入れば、山神はけして逃がす事は無いのではと。


 捕まったのは自分だけ。おそらく一緒に居た護衛は無事なのだろう。

 自分は人生二週目の様なものだ。ならば若い者達が助かった事は喜ばしい。

 なんて思っていると、ぺっと吐き出されるように地面から上に投げ出された。


「へ?」


 先程まで下に落ちる感覚だった賢者は、突然の変化に目を見開く。


「あいだぁ!?」


 ドスンと言う落下音と共に、情けない声が山に響いた。

 まさか突然投げ出されると思っておらず、軽く受け身を取るしか出来なかった様だ。

 その上荷車を牽く動物も消えているので、少し斜めになった荷車からずり落ちた。


「ふげっ・・・うう、何で儂がこんな目に・・・!」


 賢者は「よよよ」と泣きながら立ち上がり、周囲を軽く見まわす。

 すると視界に入って来たのは、おそらく本来の目的地であろう祭壇。

 絵で見せて貰ったものそのままが、賢者の眼前に鎮座していたのだ。


「祭壇前まで引きずられた、という事か・・・山神様よ」


 そしてその祭壇を守る様に、大きな大きな熊がそこに立っていた。


 ずっと感じていた、膨大な魔力を持った熊が、賢者をじっと見つめている。

 もっと山奥に居ただろうに、態々儂の為にこんなに手前までやって来たのかい。

 あの大きさじゃ、自分なんて一口だな。そんな事を考えながら賢者は魔力を練り上げる。


「こりゃ本当に山神じゃの。魔力が循環しとるわ」


 山神から溢れる魔力が山に流れ、そしてまた山神に魔力が流れ込む。

 この土地全体が山神の領域だと、そう判断せざるを得ない光景だ。

 供物として望まれた賢者は全てを理解し――――。


「・・・本当ならこの身を捧げるのが筋なのだろう。だが悪いな山神様よ。儂は今生を汚く足掻いて生きると決めたのだ。お主が儂を求めるというのであれば、戦って儂を食らうと良い!」


 全力で抵抗する事を決めた。

 山神に勝てるとは思っていない。それでも素直に負ける気も無い。

 どんな手段でも使って生き延びて、今生は懸命に生きると決めたのだから。


「齢三歳で一世一代の大勝負とは、中々に燃えるのぉ!」


 これも転生術を失敗したせいだろうか。前世では感じなかった血の沸き立つ感覚。

 その想いに身を任せて魔力を全力開放し、両手に魔法を構えて戦闘態勢に入る賢者。

 だが賢者の威圧を受けた山神は、ビクッとした動きの後にオロオロと慌てだした。


「・・・はえ?」


 それどころか大きかった体が普通の熊ぐらいになり、火の玉でお手玉を始めた。

 全く理解不能な事態に、賢者の頭は付いて行っていない。完全にポカンとしている。


 けれどそんな賢者の反応を見た山神は、今度は雪玉を作って玉のりを始めた。

 これなら満足してくれるだろうと言わんばかりの満足げな表情で。

 そこで賢者は魔法を消し、腕を組んで目の前のクマを眺める。


『グオォン!』

「・・・うん、意味が解らん!」


 満足げに鳴く山神を見つめながら、思考を放棄した賢者であった。

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