第5話、友達(弟子)

「ふむ」

『クゥ』


 賢者は眼前に座る熊を前にして、一体どうしたものかと悩んでいる。

 そんな賢者に何を思ったのか、山神は突然立ち上がった。

 一応その動きに警戒しながら見守るも、向かう先が荷車だと解りホッと息を吐く。


「・・・とりあえず儂を食べる気はない、という事かの?」


 山神の行動を見る限り、一応自分の身に危険は無さそうに感じる。

 だがそれでも相手は人を超えた存在だ。あれは熊の形をした精霊だろう。

 しかも自己意志を持って顕現している大精霊。人の理屈がどこまで通じるか。


 等と賢者が真剣に警戒をしていると、熊は荷車を体で押して戻って来た。


「・・・何をしとるんじゃ?」

『クゥ?』


 取り敢えずこの後どうしたものかなー、等と考えていた賢者の前に供物が詰まれる。

 なぜか賢者に貢ぐように、足りなかったかなと更に追加して積んでいく山神。


「いや、それ山神様への供物じゃよ?」

『クゥ・・・グォウ?』

「いや、えっと、美味そう、じゃな・・・」


 山神は果物の一つを前足に乗せて差し出し『食べないの?』とでも言っている様だ。

 そこで賢者の小さな腹から音が鳴り、そういえばもう良い時間だなと空を見て気が付く。


(クマを目の前に食事を我慢するとか、何なんじゃこの状況)


 賢者は段々考えるのが面倒臭くなっていた。いや、割と前から面倒臭くなっている。

 そこに空腹まで加わってしまえば、ポンコツ賢者に怖い物など何も無い。


「ええい! 食うわい! 食えば良いんじゃろ! 儂も腹減ったからなぁ! お前も食え熊公! 儂だけが食ったら、お供え物を勝手に食ったと怒られるじゃろう!!」

『クゥ♪』


 やけくそになった賢者は眼前に詰まれた供物に手を出し、好物の果物を口に入れる。

 山神はその行動が嬉しかったのか、賢者の前に座って同じ様に食べ出した。

 食べながらご機嫌に鳴き、優しい目で賢者の事を見つめながら。


 そうして暫く二人で食事を続け、けれど流石に女児の腹の限界は早い。


「うっぷ・・・もう無理・・・」

『クゥ?』


 供物の半分どころか4分の一も食べきれず、腹を膨らまして倒れる賢者。

 山神は『もう食べられないの?』と言わんばかりである。

 そんな山神を半眼で眺めていた賢者は、ふと先程までとの違いに気が付いた。


「お主、やはり魔力を消せるのだな・・・という事は、アレは儂に気が付かせる為だったのか」


 今の山神からは、最近感じていた膨大な魔力を感じない。

 勿論その内側の力は感じ取れるが、探らなければ気が付けないのだ。

 あれだけ解り易かった魔力を消したという事は、もう必要無いという事だろう。


 となれば狙いは賢者の予想通り、この女児の身こそが目的と言う事になる。

 そもそも冷静に考えると、あの魔力を自分だけしか感じ取れなかった事もおかしくはある。

 たとえ山神が居ると知っていたとしても、周囲が異変を一切考えないのは不自然だと。


 狙いを絞った予告。そう考えるとしっくり来て、けれど目的が良く解らない。


「儂を食べる気はないのじゃな?」

『クゥ』

「・・・というか今更ではあるが、会話通じるんじゃな、山神様よ」


 賢者の言葉にコクコクと頷いて返す山神に、警戒心が薄れて行くのを感じる。

 むしろ記憶のどこかに引っかかる様な、何かを忘れている様な感覚だ。

 一体何じゃろうかと悩む賢者の耳に、自分の名を呼ぶ声が届くのを感じた。


「む、儂の捜索の様じゃが・・・随分広範囲にやっておるな。それでは魔獣も刺激してしまうであろうに。ちゃんと戦闘できる人間は付けておるのか? 心配じゃな・・・すまぬな山神様よ、儂に何か用が有るのかもしれんが、また後日来る故今は―――――」


 立ち上がって山を下りようとした賢者の袖を、山神が咥えて引っ張っていた。

 行かないで欲しいという想いのそれは、だが賢者も帰らぬ訳にはいかない。

 このままでは大変な騒動になると、誰であっても容易に想像出来る。


「いやまあ、山神様には些細な事かもしれんが、儂はこの通り女児でな。はよう帰らんと両親にも祖父母にも心配をかけてしまう。必ず後日訪ねに来る故、今日の所は帰らせてくれんか」

『クゥ・・・』


 咥えられてない方の手で山神の頭を撫で、その瞬間賢者の頭にチリっと痛みが走る。


「ぐっ・・・!?」


 想わず頭を抱えて蹲り、耐える為に歯を食いしばり、そして頭にとある光景がちらつく。

 晩年を過ごした山や、その山に在った岬や・・・・・・魔法を覚えた熊の事を。


「なっ・・・あっ・・・!?」


 バチンと何かが弾けた様な感覚と共に、頭の中に一つの記憶が強く在った。

 人寂しくて構い倒していた、冬眠の邪魔も時々した熊の事を。

 あの時の熊も、火の玉でのお手玉を、喜ぶ賢者の前でやってのけていた。


「お主・・・まさか、あの時のクマなのか?」

『グォン!』


 賢者に熊の区別は殆どつかない。正直今も本当にあの時の熊なのか自信が無い。

 けれど何故か目の前の山神が、あの時気まぐれに魔法を教えた熊だと確信出来る。

 そこで賢者は初めて腑に落ちた。それで自分を呼んだのだと。友を呼んでいたのだと。


「そうか・・・そうか、お主、頑張ったんじゃなぁ・・・」


 この熊は魔獣でも何でもない、本当に何の変哲も無いただの熊だったはずだ。

 怪しげな記憶ではあるが、ただの熊が精霊に、山神になるなどそう有る事じゃない。

 何かしらの幸運は有ったのだろう。けれど間違いなく、クマ自身の努力の果てなのだ。


 その事が無性に嬉しくて、賢者は山神の頭を優しく撫で続ける。


「儂が生まれた時に儂の魔力に気が付いて、遊びに来るのをずっと待っておったのか?」

『クゥ』

「人里には降りちゃいかんぞと、その約束も・・・ずっと守っておったんじゃな」

『クゥ』


 段々魔力を広げて来たのは、自分はここに居るぞと教える為。

 それでも人里に降りなかったのは、生前した熊を想っての約束の為。

 まさかあの時の熊がそんなに自分を想ってくれているとは、賢者には思い至らなかった。


「そうか、ここは・・・あの場所か」


 賢者が死んだ場所。何の事は無い、賢者は随分近くに転生したのだ。

 つまり時代だけが進み、だからこそ山神は賢者の存在にすぐ気が付いた。

 そして三年間待っていた。いや、待っていた時間で言えばもっと長い時間だろう。


「クマよ。お主が儂を想ってくれた事は嬉しく思う。じゃが儂は昔とは違う。今はもうこの通り別の人間じゃ。幼い子供でもある。だからせめて家族の元へ無事を知らせんといかん」

『クゥ・・・』

「そんな悲しそうに鳴くでない。二度と来ないと言っている訳ではないんじゃ。ちゃんと遊びに来る。山神様に気にいられたという理由なら、父上も反対はせんじゃろうしな」


 本来はこの祭壇には管理者以外、普段は足を踏み入れてはいけない決まりが有る。

 だが山神に見初められたとなれば、その決まりも破れる事だろう。

 賢者はそう判断して明るく伝え、納得した様に口を放した熊を撫でる。


「寂しければお主も一緒に下山も良いかもしれんがな。昔と違いお主はただの熊ではなく、山神とまで呼ばれる精霊の様じゃし。なんて、山神が降臨したら騒ぎに、なって・・しま、う」

『グォウ!』


 迂闊な事を言った。嬉しそうに鳴く山神を見て、賢者は心底思った。

 冗談で言ったつもりだったのだ。まさか山神が了承するなど欠片も思っていなかった。


 ただの精霊ならばまだ良い。だがこの熊はこの山に根を張る山神となっている。

 それを引き剥がせばどんな問題が起きるか。最悪この周囲の土地が死んでしまうのでは。

 山を下りる程度までなら良いかもしれないが、別の土地などに行ってしまえば大事だ。


 流石にそんな事態を引き起こせば、あの優しい家族とて賢者を許すか不安が残る。


「わーまてまて! 引っ張るな! 落ち着くんじゃ! そう、お主山神なんじゃから、下手に人里に降りてはまずいじゃろう! ほら、一旦お互い帰るべき所に帰ろうじゃないか! これからの事はまた来た時に話し合うとして、頼むから今の所は大人しく待っててくれんか!?」

『クゥ? クゥ・・・グオォォォォオオオ!!』

「え、ちょ、何を――――――」


 焦って説得しようとする賢者の言葉に、山神は一瞬耳を傾けた。

 その事にホッとする暇もなく、大きな鳴き声を上げて魔力を解放し始める。

 余りにも膨大な魔力の奔流に、賢者はただ成り行きを見守るしか出来なくなっていた。


「へ?」


 そして次の瞬間、とぷんと、地面に落ちた。


「うおおおい! なんじゃなんじゃ!? やるならやるで予告してくれんとビビるわ! これ前後左右上下全部感覚あやふやになるんじゃって! あ、解った、これ地脈利用しとるな!!」


 慌てた賢者が叫ぶも、その答えに山神の声は無い。

 ただ何となくではあるけれど、送ってくれているのだという事は解った。


「・・・すまんな、ちゃんと遊びに行くから。今度はパイとか持って行ってやろう。供物は収穫の感謝という形のせいか、採れたものそのままばかりだったからの」


 次の約束を勝手に押し付けようと、賢者はクスクスと笑って告げた。

 そしてまた祭壇の前に出た時の様に、突然地面から空に投げ出される感覚を味わう。


「フハハッ、二度目は通用せんぞ!」


 だがしかし一度目の移動を経験した賢者は、魔法を使って体勢を立て直してみせる。

 頭から落ちるのを強風で防ぎ、足からきっちりと着地して見せたのだ。

 フッと笑って立ち上がると、周囲には見覚えの在る家族の顔ぶれが。


 賢者は少し恥ずかしくなりながら、コホンと咳払いをして礼を取った。


「ナーラ・スブイ・ギリグ、ただいま帰りました」


 まるで何事も問題無かった、とでもいう様子で帰りの挨拶を告げる賢者。

 だが返事が返って来ない。何時もの両親なら抱き付いているはずだ。

 そう思い恐る恐る顔を上げると、皆の目が自分の頭に向いている。


「ナーラ、そ、その頭は、一体、どうしたんだい・・・?」

「頭?」


 父の言葉に首を傾げながら、両手で自分の頭を触ってみる。

 するとそこに何かある。何かっていうか耳が有る。熊の耳が。

 しかも触った感覚も有れば、そこから音も聞こえている。


「・・・は? 何じゃのこれ・・・え、まさか、熊の耳?」

『グォン♪』


 焦る賢者の頭の中に、聞き慣れた熊の鳴き声が響いた。

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