第3話、供物(本人)

 賢者が女児らしからぬ覚悟をしながら、侍女に手を引かれてテクテクと歩く。

 手を繋いでいないとすぐに消えるからと、逃がせない時は必ずこうなるのだ。

 賢者もちょこちょこ消えている自覚はある為、大人しくされるがままになっている。


「お嬢様、おはようございます」

「ナーラ様おはようございまーす」

「なあらさま、おあよー」

「うむ、皆の者おはよう。今日も元気じゃな」


 道中で領民から声をかけられ、胸を張って手を振る賢者。

 その女児らしからぬ仕草に、皆クスクスと微笑ましい笑みを向けている。

 賢者の祖父好きは既に有名であり、誰も彼女の言動に驚いたりはしない。


 本人的には家族の事は好きだが、特別祖父の事が好きな訳では無い。

 ただ祖父は『自分を一番好き!』と思っているので、賢者の事を可愛がっているのだが。

 賢者も積極的に誤解を解く気はないので、甘々な祖父と孫という関係のままである。


「おはようじゃありませんよ全く。ここだから良いものの、他の領地なら今頃攫われて身代金の要求でも来ればいい方です。お嬢様は見目がよろしいので売られてしまうかもしれませんよ」

「それは恐ろしいのぉ」

「あ、信じてませんね。全くもう。平和な事は良いですが、暢気すぎて困ります」


 侍女はプリプリと怒っているが、それは真実この地が平和でしかないと賢者も解っていた。

 人がその辺で死に、人身の売り買いが横行し、人権など無い世界を覚えている。

 だからこそ賢者にはこの長閑さが心地良く、思わず外に出てしまうのだが。


「儂は好きじゃがな、この長閑な場所が。お主は嫌いか?」

「ここは好きですけれど、お嬢様が突然消えるのは嫌いです」

「すまんて・・・」


 これ以上は藪蛇かと口を噤み、のんびりと赤子の頃から育った屋敷へと戻る。

 とはいえ子供の足で少し出かけた程度なので、左程歩かず辿り着くのだが。

 賢者も一応、家が見える距離で訓練していたのである。


 屋敷の門をくぐると家の前に数人の大人達が見え、家族が集まっている様だ。

 賢者の両親と、父方の祖父母、そして父方の叔父の姿も確認していた。


「叔父上、いらしていたのか」

「やあナーラちゃん・・・相変わらずその喋り方なんだね」

「儂はこれが一番喋り易いのでな」

「そっかぁ・・・」


 賢者は割と早い段階から言葉を発する様になり、その段階で既にこの喋りであった。

 当時祖父だけは嬉しそうにしていたが、両親と祖母はかなりご不満である。

 折角可愛い娘が出来たというのに、祖父に似ては堪らないと。


 叔父はその愚痴を何度か聞かされているので、ははっと乾いた笑いを漏らしている。


「今日も儂のナーラちゃんは可愛いじゃろう。かっかっか」


 故に能天気に背後で笑う賢者の祖父に対し、両親と祖母は射殺さんばかりの目を向けていた。

 基本的に仲の良い家族なのだが、娘の事に関してだけは喧嘩の絶えない一家だ。

 だが賢者としてはそれも『仲が良いからこそ』と思って楽しんでいる。


 なので皆の様子にクスクスと笑いながら、賢者は帰還の礼をとる。

 ただしこればかりは祖父とは違い、きちんと女性のとる礼をしていた。


「ただいま帰りました」


 両親へのサービスとして、所作だけでも女児らしくと頑張っている。

 体が未発達故に上手く出来ない事も多いが、知識はそれなりに有るのだ。

 転生術に失敗したとはいえ、残った経験から多少の礼儀作法をこなすのは難しくない。


 両親と祖母は恭しく礼をする賢者を見て機嫌を直し、うちの子は天才だと褒めたたえる。

 親馬鹿にしか見えない光景だが、女児の所作としては優秀なので致し方ないかもしれない。

 因みに賢者も内心『儂天才女児じゃな!』などと能天気な事を考えているのだが。


「今日もナーラちゃんは可愛いわね」

「ああ、うちの娘は本当に賢い子だ」

「ありがとうございます、母上、父上」


 ニッコリと笑って答える賢者を見て、侍女は「猫被ってるなぁ」と冷たい目だ。

 勿論両親とて、賢者が猫を被っている事に気が付かない愚鈍ではない。

 むしろ頻繁に侍女の目を盗んで外に出ている事実は把握されている。


「じゃあナーラちゃん、準備に向かいましょうね」

「・・・はい、母上」


 がっちりと掴まれた手の力に、絶対に逃がしはしないぞという強い意志を感じた。

 この行動の時点で賢者への信頼は察せられる。賢いが子供は子供だと。

 そして母に引きずられるように屋敷の中へ向かい、とある一室に詰め込まれる。


 暫くすると軽い化粧とアクセサリーで着飾った、綺麗なご令嬢が出来上がった。

 とはいえそこは女児なので、本当に可愛らしい子供でしかないが。


「動き辛い・・・儂こういうじゃらじゃらした物は苦手なんじゃがなぁ・・・」

「我慢して下さい。それに少しは慣れてください」

「・・・仕方ないのう」


 賢者は小さく不満を口にするも、侍女にぴしゃりと封じられた。

 言われた通り諦めて大きな息を吐き、仕方ないかと自分の姿を改めて確認する。

 鏡の前に映る自分の姿は、誰がどう見ても可愛らしい女児に見えた事だろう。


「うむ、儂可愛いな!」


 この賢者、最早完全に女児を楽しんでいる。色々諦めたともいうが。

 一応ここに至るまでに多少の葛藤は在ったのだが、多少だったので割愛する。

 もう本人は色々と諦め、可愛い自分を認める事を決めているのであった。


「はいはい、お嬢様は何時も通り可愛らしいですから、早く行きましょうねー」

「むぅ、少しぐらい褒めてくれても良いのではないか?」

「お嬢様が逃げなかったら有りましたよ、それぐらいの時間」

「よし、行こうか!」


 これ以上口答えをしては後が怖いと判断し、努めて明るく部屋を出る。

 勿論侍女に手を掴まれ、母に前を、母の侍女に後ろを取られて。

 儂こんなに信用無かったのかと、今更ちょっとショックな賢者である。


(よかろう、ならば・・・!)


 今回で信用の挽回をと、儀式を完璧にやってやろうと賢者は決めた。

 何時もはやらない『お嬢様』を最初から最後までやり切ってやろうと。

 そう決めた瞬間賢者の行動は早かった。侍女がその変化にすぐ気が付いた程に。


「おおぉ、見事だね」

「おー! 可愛いぞナーラちゃん!」

「ありがとうございます、父上、爺上」


 掴まれていない片手で淑女の礼を優雅に決め、見る者全員を一瞬固まらせた。

 その反応に内心「どやぁ!」とガッツポーズをする賢者である。

 だが賢者は止まらない。ここで止めては意味が無い。突っ走るのだ!


「では領主の娘として、お務めを果たして参ります。山神様への供物として、この身を捧げて領地に更なる繁栄を。ナーラ・スブイ・ギリグ、御山へと行ってまいります」

「う、うん、気を付けて行って来るんだよ・・・」


 一番最初に正気に戻った父の言葉を聞き、再度静かに腰を折ってから歩を進める。

 事前に用意されていた供物用の荷車と、その周囲に立つ領地の騎士達。

 彼等に近付くとゆるりと手を伸ばされたので、その手を取って優雅に荷車へ乗り込む賢者。


「では、参りましょう」

「「「「「はっ!」」」」」


 号令を出す役目は本来賢者ではないが、だがしかし賢者こそが号令に相応しかった。

 そうして荷車を牽く大きな獣に鞭が入り、ゆっくりと荷車が進み始める。

 護衛の騎士達も例年通り周囲を囲み、そうしてきっと無事に帰って来るだろう。


「うむ、祭壇はそんなに奥じゃないと聞くし、管理の者も出入りしている。大丈夫。ちゃっちゃと行って、ちゃっちゃと帰れば良いだけじゃ。大丈夫じゃぞ儂・・・!」


 いや、脂汗をかいて割と焦っている様だが、それでも賢者は進む事を決めたのだ。

 逃げていても仕方がないと。どうせ渦巻く魔力は祭壇の更に奥なのだからと。






「おかしいのぉ・・・こっちに寄って来てる気がするのぉ・・・気のせいと思いたいのぉ」


 ただし道中で、青い顔をしながら進む事になっていたが。

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