第11話「愚者の末路」

 袁閃月えんせんげつ劉陽華りゅうようかの協力により、呉開山ごかいざんをあと一歩で殺して復讐を果たせたはずの明明めいめいだったが、水落鬼としての本性を現した怪物の姿から、生前に近い姿に戻ってしまった。


「……殺さなくてよいんですか?」


 明明の手を握っていた陽華が尋ねた。彼女は明明から怨念や殺意が既に雲散霧消している事を感じ取っている。


「はい、もういいんです」


「そうですか。明明さんが良いならそれで構いませんが、こいつは多分反省してませんよ」


 閃月は、手にした妖縛縄ようばくじょうの先で縛られている開山を金甲打岩鞭きんこうだがんべんで指しながら言った。


 開山は、先ほどまで怪物に殺されると言う恐怖から、泣き喚き、謝罪の言葉を喚き散らしていた。失禁しながら頭を地面に打ち付けるその様は、哀れさを通り越して滑稽なほどだ。そして、滑稽だから笑って許せるかと言えばそうではなく、そこまで無様な姿を晒して謝るくらいなら、何故明明を死に追いやったのかという怒りを閃月に湧き起こしていた。


 明明が殺さないならば、自ら始末してやりたいくらいだ。


 そして、先程までの反省は上辺だったと思わせるものがある。


 明明が人の姿に戻った時、妖気が収まったせいか開山から見えなくなったようだ。開山が落ち着きを取り戻した事からその事が分かる。本来生者である開山は、死者である明明を見る事は出来ないのだ。


 明明の事が見えなくなった開山は、地面に横たわりながら高笑いし、「助かった」、「俺は悪くねえ」、「勝手に死んでやがれ」などと暴言を吐き散らかしている。ついさっきまで謝罪を繰り返していたのが嘘の様だ。


「この人が、全然反省していない事なんか、分かってます。でも、殺したって何にも変わらない事も理解しています」


「そうかしら? 何も変わらないって言うけど、少しは気が晴れるんじゃないかしら?」


 せっかく明明が復讐を諦めようとしているのに、怨念を呼び起こすような陽華の発言に、そばで聞いていた疫凶えききょうが顔をしかめる。


「確かにそうかもしれません。でも、私の気持ちはもう晴れました。だって、こんな私のために、お二人が冥界に逆らってまで力を貸してくれようとしたんですから」


「そうですか」


 明明の顔は、その言葉が嘘でない事を証明する様に、死人には似つかわしくない程晴れ晴れとしていた。出会ってから彼女の顔は、乱れた髪で顔が良く見えなかったのだが、今ではその美しい顔立ちを露にしている。


 彼女の心情の変化が影響しているのだろう。


「一応解決したようなので、明明さんを冥界までお連れする事にしましょう。一時はどうなる事かと思いましたが、これならそれ程罪を重ねてはいないと思います」


 閃月達の任務は、明明を冥府の審判に連れていく事だ。明明が鎮まった今のうちにそれを果たしてしまおうと、疫凶が促した。


「じゃあ、冥界に戻るとしましょう。疫凶さんにはご迷惑をおかけしました」


「本当ですよ。全く。せっかくお二人を冥府の役職に推薦していたのに、いきなり任務を放棄されては困りますよ」


「すみません。これからは気をつけます」


「では、三人で先に冥界に戻っていて下さい。こちらに来た天帝廟から戻れるはずです」


「疫凶さんは、どうするんですか?」


「少し後始末がありましてね。こちらの世界の神への報告とか色々と」


 疫凶の言葉を受けた閃月達三人は、冥界にある閃月達の屋敷に向かって行った。


 そして、その場には疫凶と、開山だけが残される。


 閃月がいなくなって呪縛から解かれた開山は、身動きが取れる様になってその場から立ち上がり、辺りを見回した。周りに誰もいない事を確認している。怪物がどこかに消えてしまったとはいえ、やはり警戒心は残っているのだ。


「へっ、やっぱり何もねえじゃねえか」


 先ほどまでの事は、全て幻だったのではないかと思った開山の視界に、急に人影が飛び込んできた。


「ひゃっ?」


「どうしましたか? 私の顔に何かついてますか?」


「い、いや。何でもねえよ」


 慌てふためく開山だったが、目の前に現れた人影をよく見ると、役人風の線の細い男であることに気が付き、落ち着きを取り戻した。生きている人間なら、腕っぷしに自信のある開山にとって脅威ではない。何もない空間から姿を現したように見えたが、それは何かの見間違いだろうと自分に言い聞かせた。


「所で兄ちゃん。どっかに飲みに行かねえか? 俺は今機嫌がいいんだ。なに、心配はいらねえ。俺の奢りだよ」


 この言葉は半分本当である。死地から生還したため、開山は非常に機嫌が良い。誰かと一緒に酒を酌み交わしたい気分だった。なお、残りの半分にあたる嘘の部分は、酒を飲み終わった後に何処かで身ぐるみを剥いてしまおうと思っているのだ。


 この男、やはり改心などしていない。


「せっかくですが、御遠慮しましょう」


「ほう? 何でだい?」


 ならばこの場ですぐに身ぐるみを剥いてやろうかと、懐に忍ばせた匕首に手を伸ばそうとした。


「だって、女性連れの方をお邪魔するなんて悪いですからね」


「……?!」


「あなたの後ろにいるじゃないですか。ずっとあなたを見つめてますよ。ところで、何でその方はずぶ濡れなんですか? ?」


「――――!」


 開山は顔色を変え、声にならない声を上げて夜の闇の中に走り去っていった。


「やれやれ。腹に据えかねていたのは私も同じですから、ちょとした悪ふざけをしましたが、効果は予想以上でしたね。完全に嘘なのに。あれじゃあ一生闇に怯えて暮らすことになりそうですね」


 走り去る開山を見送りながら、疫凶はつぶやいた。


 冥界の役人である疫凶は、本来生者が見る事は出来ないのだが、疫凶ほどの能力を持っていれば、特定の人物に姿を現すなど容易い事なのだ。


「さて、これで事件も一件落着と言う事ですね。正義感が先走り過ぎて及第点とはいかなかった気もしますが、若いお二人にはこれから期待しましょう」


 言葉とは裏腹に満足げな疫凶は、閃月達を追って冥界へと向かって行くのだった。

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