第10話「似た者夫婦」

 水落鬼と化した明明めいめいから逃亡しようとする呉開山ごかいざんを阻止したのは、袁閃月えんせんげつであった。閃月が先程疫凶えききょうから貰い受けた妖縛縄ようばくじょうは、生者にも鬼にも影響を及ぼす事が出来る。例え、閃月自身は既に死人であるため、生者の開山に直接触れる事が出来なくともだ。


「な、何をやっているんですか、閃月さん。止めるのは明明さんの方でしょう。呉開山を止めてしまっては、殺されてしまいますよ!」


 疫凶は困惑気味に叫んだ。彼の言う通りである。疫凶は、明明が開山を殺したり、水落鬼としての能力で豪雨を呼び起こして都に被害を与える事を止めるために閃月と劉陽華りゅうようかに助けを依頼したのだ。それなのに、明明が開山を殺すのを手助けするような事をしては、話が逆である。


「疫凶さん、元々こいつを助けるつもりなんて、有りはしませんでしたよ? 言ったじゃないですか。こいつが詐欺師で、そのせいで明明さんが死んだのが分かった時に首を獲ろうとしたけど出来なかったって。あの時は触れませんでしたからね。でも、今はこうして攻撃する事が出来ます」


「まさか……本気だったんですか?」


 疫凶は唖然とした。常人なら、いくら悪人とはいえ化け物に襲われていたならば、助けに入るのが当然だ。それにも関わらず、閃月は明明が開山を殺すのを手助けしようと言うのだ。


「陽華さん。あなたはどうなんですか? 明明さんが罪を重ねても良いのですか?」


「私としては、明明さんにあまり罪は重ねて欲しくありません」


「なら……!」


「なので、呉開山を殺すのに手間取って、都に住む大勢の罪なき人に被害を与えると言う大罪を阻止したいので、疾く速やかに呉開山を始末する事に賛成です。この様な女の敵は、生かしてはおけません」


「ああっ、もう! なんで知り合ったばかりなのに似た者夫婦なんだ、この人達は!」


 疫凶は頭を抱えた。冥界の役人としては、これ以上明明が暴れるのは阻止しなくてはならない。だが、その手駒となるべき閃月と陽華がまるで反対の行動をとっているのだ。


「一応確認しておきますが、このまま豪雨が続き、都に住む何万人と言う民に被害が出た場合、明明さんはどれだけの罰が課されるんですか?」


「過去の判例から言って、数億年は地獄で責め苦を味わうでしょう。何せ罪なき民が犠牲となるのですから」


「では、呉開山を殺した場合は?」


「……過去の判例から言って、軽めの地獄に十年くらいですかね。何せ呉開山は悪人で、明明さんが死んだ原因ですから復讐という事情で軽減されるでしょう」


 疫凶の言った冥府での審判結果の見積もりに、「ならば呉開山の一人や二人死んでも構わないのでは?」という空気が流れる。元から始末するつもりだった二人はともかく、反対意見であった疫凶も、つい流されそうになってしまった。


「このまま明明さんを制圧するのに時間がかかって被害が拡大してしまうよりは、呉開山を心置きなく殺してもらって心を鎮めて貰った方が効率が……いやいや」


 疫凶が自問自答している間にも、陽華は倒れている明明を助け起こしに近づいた。今の明明は大の大人の数倍の巨体であり、小柄な少女である陽華の細腕ではとても助け起こせるものではない。しかし、錯乱状態にあったために上手く身を起こす事が出来なかった明明の、精神的な助けになった。陽華が倒れたまま暴れる明明に近づき、膝をついてその手を握った瞬間、明明が大人しくなった。


「さっ、落ち着いて。しっかりと立ちましょう。呉開山は閃月が捕まえています。ゆっくりと落ち着いて殺しましょう?」


 小柄な少女が臆することなく巨大な怪物に手を差し伸べているのは、恐ろしくはあるが何処か感動的な光景である。例え相手が人外になり果てようと、恐怖する事も無く、侮蔑するでもなく誠実に接するその精神がそう感じさせるのかもしれない。


 後半の言葉が無ければもっとよかったのだが。


「来るな! 来るんじゃねえ! ああああああっ、来るなぁっ!」


 手を取った陽華に先導されて明明が開山に近づいて行くと、開山は恐怖の余り涎や泡を口から吹き出しながら泣き叫んだ。数々の女性を虜にして来た美貌が台無しである。


 開山は閃月の操る妖縛縄に絡め取られているため、逃げ出す事は出来ない。また、常人である開山には妖縛縄を見る事が出来ず、脱出を試みる事すら不可能だ。彼は何故自分が動けないのか理解していないだろう。


「ごめんなさい許してくださいもうしませんもうしませんなんでもしますだから命だけは」


 開山は近寄って来る明明に、何度も詫び言や命乞いの様な言葉を繰り返した。これを聞いた閃月は、何でもするならば大人しく死ねくらいにしか思わず、全く同情心は湧いてこなかった。ただ、この様な男のために明明が若い命を散らし、水落鬼と成り果ててしまった事に対して怒りを感じる。


「さあ明明さん。思いを果たしてください。これ、使いますか?」


 閃月は手にした金甲打岩鞭きんこうだがんべんを差し出しながら言った。金甲打岩鞭は使い手によっては岩山を砕くほどの威力を発揮すると言う。今の明明は妖気が息苦しいほど満ち溢れており、その力をもってすれば開山は完全に塵と化すだろう。


 これは、何も嗜虐的な意図からの申し出ではない。開山を殺害する得物を貸すことにより、共犯者になろうという意思の表れなのだ。


 明明は、金甲打岩鞭を差し出す閃月と、自分の手を引く陽華と、そして失禁しながらだらしなく泣き喚く開山を何度も見た。


 しばらく黙り込んでいたかと思うと、明明の体が光に包まれた。その光はほんの一瞬だけ閃月と陽華の視界を奪った。そして再び視界が回復した二人の前には、巨大な怪物となっていた明明の姿は消え、出会った時と同じ、儚げな細身の女性に戻っていた。

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