愚かな不香の花

有理

愚かな不香の花

「愚かな不香の花」(おろかなふきょうのはな)


前田 あや(まえだ あや)

釘崎 アリス(くぎさき ありす)

山田 岭子(やまだ れいこ)


※登場人物は2人です。

※同性愛描写があります。苦手な方はご注意下さい



岭子「あや、わたし。」

あやN「落ちても落ちても足がつかない」

岭子「謝ったりしないよ。一生。」

あやN「だからもういっそ。」


岭子N「首に括り合う」


あやN「愚かな不香の花」


………………………………………………


岭子「ねー。みてあや。これ。」

あや「あ、夕季まりあじゃん。」

岭子「そ。この間共演したんだけど、早速DM送ってきてさ。馴れ馴れしくない?」

あや「そう?とってもマメで丁寧だと思うけど?」

岭子「あー。違う違う。この世界は踏み台にしてなんぼなんだから、踏まれないように群れようとしてんの。」

あや「そうなの?よくわかんないけど。」

岭子「顔だけの女。枕ばっかだって噂されてるしさ。」

あや「そう、なんだ。」

岭子「あ、これ内緒ね?」


あやN「目の前でソファーに座って生脚を組み替える彼女は私の幼馴染だ。」


岭子「あーあ。やってらんない。」


あやN「JPSを咥えては火をねだる。」


岭子「あや?火、」


あやN「雑誌の表紙もテレビCMも見ない日はないアイドル、釘崎アリスは私の幼馴染だ。」


岭子「窓開けるね?」

あや「うん。」

岭子「…なに?」

あや「いや、毎回思うけどその顔に似合わないね。煙草。」

岭子「はは。そりゃあ、今をときめく釘崎アリスに煙草はご法度だよ。」

あや「せっかくホワイトニングしてるのに勿体ない。」

岭子「何言ってんの?煙草吸ってるの隠すためにやってんの。帳尻合わせてんのよ。これで」

あや「本当、画面の向こうとのギャップ。」

岭子「騙されてんだよ。みーんな。いい気味。」

あや「またそんなこと言う。」

岭子「…ねえ。今日泊まってくでしょ?」

あや「今日は帰るよ。」

岭子「彼氏来るの?」

あや「うん」

岭子「…いいじゃん。泊まってきなよ。」

あや「でも」

岭子「ね。」


あやN「ぬるい手が私の太腿を這う。整いすぎた顔は獲物を狙う蛇のようだった。」


岭子「お願い。」

あや「わかった、連絡するから待ってて。」

岭子「待てない」

あや「ん、」


あやN「口に入り込んでくる苦い舌。今この部屋に釘崎アリスなんてどこにもいなかった。」


岭子「ねえ。私のことが可哀想だから、一緒にいてくれるんでしょ。」

あや「違うよ。」

岭子「同情?」

あや「そんなんじゃな」

岭子「それがいい。」


岭子「同情がいい。」


あやN「岭子とこんな関係になったのは数年前からだ。男性と付き合えないからキスをためしてみたい、そんな岭子の一言から始まった。」


あやN「ずっと付き合っている彼氏がいるのに。可哀想な岭子を理由にして私はずっと、半端者でいる。」


岭子「ね。この間母親から連絡が来たよ。」


岭子「電話の向こうで私のCM流れててさ、」


岭子「岭子さんもこんなお顔に生まれてたらよかったのにね、って言うの。はは、馬鹿みたい。」


あやN「蕩けた顔に三日月が笑う。」


岭子「こんだけいじってたら気付かないか。もう10年以上会ってないんだし。」


岭子「そりゃあ、私を産んだ母さんよりあの人の方が多少は綺麗だけどさ、」


岭子「そんなに後妻は偉いのかな。」


あやN「泣きそうな顔で、いつも笑う」


岭子「つまんない女。」


あやN「何もかも変えてしまった彼女は、ずっと変わらない劣等感を未だに抱えたままでいる。私はそれをただ見ているだけだった。」


……………………………………………


岭子「あや、いらっしゃい。」

あや「外、記者いたよ?」

岭子「いつものことでしょ」

あや「いや、結構な人数だったよ?」

岭子「はは。」


岭子「多分これのせい」


あやN「そう言って出された華奢な手首には真新しい傷があった。」


岭子「LIVEの時チラッと映ったみたいでさ。この騒ぎ。精神的に参っているんじゃないかーとか。」

あや「また切ったの?」

岭子「うん。」

あや「…呼んでくれればよかったのに。」

岭子「記念日。」

あや「え?」

岭子「記念日だったじゃん。先週の水曜。」

あや「…ああ、うん。」

岭子「流石に呼べないよ。」

あや「…もう切らないって約束したじゃん。」

岭子「約束ってね、破るためにあるんだよ。」

あや「それじゃあ誓った意味がないでしょ」

岭子「だって、何に誓えって言うの?」

あや「でも」

岭子「神様?仏様?日頃から信じてもないのにそんな時だけ縋るなんて失礼でしょ?」

あや「…岭子。」

岭子「…お風呂あがりに鏡を見たの。いつも通り、スキンケアしようと思って。」

あや「うん」

岭子「笑うんだ、私の顔。そんで、醜い顔だってそう言うんだ。私の口で。鏡の中の私が。」

あや「…」

岭子「しょうもない。」

あや「そんなことないよ。」

岭子「切るとさ、あやのこと思い出すんだ。ああ、怒られるだろうなあって。そしたらほっとするの。」

あや「…今度は呼んでよ。切る前に。」

岭子「さあね。」


あや「一緒に住もうか?」


岭子N「顔さえ変えなければ私の人生は地獄のままだっただろう。ダウンタイムを終えた新しい顔はまるで羽化した蝶のようだった。大きな目、通った鼻筋、シュッとした輪郭。大きすぎず小さすぎない口は常に口角が上がっている。ああ、私の顔は今日からこれなんだ。もうブサイクなんて言われない。何て幸せなんだろう。なのに、こんなに私の顔を褒めてくれるのに、こんなに私を求めてくれるのに、反比例して虚しくなる。どうせ私じゃない顔だ。どうせ求められてるのは私なんかじゃない。」


あや「岭子?」


岭子N「どうせ。私じゃない。」


あや「灰落ちちゃうよ?」

岭子「ああ。うん。」

あや「ごはんは?食べた?」

岭子「まだ。」

あや「なんか作ろうか?」

岭子「いいよ。今減量中だから。」

あや「まだ痩せるの?」

岭子「次の衣装、ライン目立つからさ。一応」

あや「…大変だね。」

岭子「金の代償だよ。」

あや「…ねえ、一緒に住」

岭子「あや。」


岭子「心に思ってもないこと言わないで。」


あやN「そう言う岭子はいつも寂しそうだった。」


………………………………………………………


岭子「あや、これ。」

あや「え、あ、これ、プレミア付いてて買えなかったピンキーリング…」

岭子「この前そのブランドのモデルやったからさ。聞いたら、くれた。」

あや「え、ええー。これ高いんだよ!よかったね!」

岭子「何言ってるの、あやにあげる。」

あや「いや、これ岭子にくれたんでしょ?」

岭子「私にじゃなくて釘崎アリスのご機嫌取りにくれたんだよ。その人に会う時言うからその時は貸して?」

あや「でもこんな高価な」

岭子「ほら、手。かして?」


あやN「岭子の手はいつも冷たい。白くて細い指が私の手を包む。」


あや「岭子、手綺麗だね。」

岭子「え?」

あや「手。」

岭子「…そう、かな。」

あや「うん。指も長いし、爪も綺麗な形。」

岭子「…」

あや「私なんかより岭子の手に似合う」

岭子「そんなことない!」

あや「岭子?」

岭子「私なんかなんて言わないで!私あやのために貰ったんだよ!あやが喜ぶかなって。だから、言わないでよあやは私なんかって!」

あや「…あり、がとう」

岭子「…っ、ごめん。」


あやN「急に大きな声を荒立てた岭子は小刻みに震える手で煙草を取り出した。そのカタカタなる指がとてつもなく愛おしくて私は考えるより先に抱きしめていた。」


岭子「な、に?」

あや「なんでもない。」

岭子「…はは、そういう気分になった?」

あや「ううん。指輪、ありがとう。」

岭子「別に。」

あや「岭子、一緒にいようよ。」

岭子「ダメだよ。」

あや「一緒にいたくないの?」

岭子「私なんかと一緒にいたって仕方がないんだから。」

あや「私のこと求めるくせに?」

岭子「仕方なく付き合ってくれてるのがいいの。」

あや「…」

岭子「同情でいいの。彼氏さんには悪いけど。」


あやN「彼女のこれを言い訳にして、いつまでも善人でいるのが嫌だった。」


あやN「ひたすらに落ちていく彼女の手をとるのがずっと怖くて私はずっと言えずにいた。」


あやN「山田岭子が、好きだと。」


………………………………………………


ドアを叩く音


岭子「開けて!あや!」


あやN「けたたましく響くノック音。そっと鍵を開けるとアイドルとは思えないほどの形相で釘崎アリスが飛び込んできた。」


岭子「あや!なんで別れたの?!」

あや「岭子といたくて。」

岭子「ダメだって!言ったじゃん!」

あや「無理ならいいよ。別に付き合わなくても。」

岭子「なんでよ。」


岭子「同情がいいって、言ったじゃん…」


あや「じゃあ、なんでいつも泣いてんの。」


あや「ねえ。岭子。」


あや「私は岭子の顔、好きだったよ。」


岭子「っ、」


あや「ちょっと気の強そうなツリ目とか、丸い鼻とか。今の顔は本当に綺麗だと思うけどさ。」

あや「でも何にも変わってないじゃん。嘘つきで強がりで寂しがりやで。ずっと放っておけなかった。」

あや「最初はね。岭子が言うように可哀想だから一緒にいたよ。毎朝上靴をゴミ箱に捨てられて机や教科書は落書き塗れで。それでも毎日学校に来る岭子を放っておけなかった。」


岭子N「私の学生時代は、地獄だった。どんなことでも耐えてみせた。こんな奴らの為に死んでなんかやらないと。生きてみせた。トイレに顔を突っ込まれても、始業のチャイムまでには席についてやった。髪にガムをつけられても、乱雑にハサミで切り取ってやった。私は、あの地獄の中でも生きてみせた。」


あや「中学1年の時放課後、校舎裏の焼却炉の前で。」

あや「あの日言ったこと忘れたの?」

あや「岭子。」


岭子N「山田岭子。私をそう呼んでくれる人はもうほとんどいない。学生の頃は同級生からドブネズミと呼ばれ続けた。今はほとんど私のことを釘崎アリスとして呼ぶ。なのに、あやはずっと変わらず私を岭子と呼んでくれた。」


あや「やっぱり私は岭子の帰る場所になりたい。」


岭子N「ぽつぽつと、膝に落ちる生温い雨は人間の弱さを際立たせる。地獄を生き抜いてきたっていうのに、私はずっと弱いままだ。」


あや「一緒にいよう」


岭子「…同性愛なんて、大変に決まってるんだよ。」

あや「うん。」

岭子「アイドルと付き合うだけでも大変なのに、」

あや「そうだろうね。」

岭子「あやは普通でいなよ。」

あや「普通?」

岭子「私なんかと一緒にいてもこの先真っ暗だよ」

あや「いいよ。岭子となら。」

岭子「やめときなって」

あや「私が決めたの。」

岭子「なんでよ、」

あや「不幸になりたいの。付き合ってよ。」

岭子「私、あやがそんな目に遭ってるの耐えられないよ」

あや「なんで?」

岭子「だってさ。」

あや「私のこと好きだからでしょう?」

岭子「それは、」

あや「私だって苦しかった。あの頃何度も割って入って助けたかった。」

岭子「…」

あや「それすら許してくれなかったじゃん。」

岭子「あやには、幸せでいてほしいから。」

あや「岭子。」

岭子「普通の、普通の幸せの中で生きていてほしい。」

あや「ありがた迷惑。」

岭子「後悔するよ。」

あや「いいよ。」

岭子「…知らないよ。」

あや「うん。」

岭子「あや、わたし」

あや「うん。」

岭子「謝ったりしないよ。一生。」

あや「それがいい。謝らないで。」

岭子「…ばか。」

あや「知ってる」

岭子「…約束は破るためにあるのに。」

あや「ずっと一緒にいるって約束はしないよ。岭子すぐ破りそうだし。」

岭子「うん。」

あや「同情で一緒にいて。」

岭子「…無理」

あや「ふふ。」

岭子「…だって、あやが、好きだもん」

あや「両思いだ。」

岭子「馬鹿野郎。」

あや「うん。」

岭子「…ありがとう。」


あやN「はらはらと落ちる粉雪は、ベランダの鉄格子に落ちて溶けた。」

岭子N「足がつくまで、私は落ちていく。」

あやN「彼女の手をひいて、」

岭子N「真っ暗な1月の闇夜は、苦しくて心地よかった。」

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