第16話
「──た、大変!」
十四歳のセシリアは辺りを見回して焦り出す。
ここはフォート国の自室。
回帰に使った神樹の葉はすっかり青く染まり、時間を元に戻していた。
父や伯父に内緒で聖域に忍び込み、葉を引っこ抜いてきた神樹の葉。……本当は、初恋成就を願った回帰だったのに……
彼の過去があんな風に変わったのなら、この国で騎士として働いていたフィリップは、もういない筈だ。
セシリアの初恋は失恋どころか跡形も無くなってしまった。
思わず初めて彼を見染めた薔薇園に目を向ける。
(彼は何とも思っていなくとも……)
セシリアの記憶にある彼は優しかった。
誰にも平等で、下の者でも決して蔑ろにしない。
厳しい面もあるけれど、相手を思いやっての事だとは、見ていれば分かった。
だから恋をしたのだ。
公爵家の三女のセシリアは、泣けば金に物を言わせて甘やかされるを繰り返し、誰かに慮って貰った覚えが無い子供だった。
だから喚き声はどんどん大きくなる。
その度に増えていく無機質な物。
虚しさを埋める為に欲しがる思いが止まらなくて……そんなセシリアの心に響いた初めての人。
この人の心の中心に自分が置かれたら……そうしたら自分の価値を見出せるような、自分に自信を持てるような……そんな気がして、彼の心を欲した。
誰かを欲しいと、初めて思った。
けれどあなたと結婚したいと言っても寂しげに、けれど丁寧に断られ。彼を思い、セシリアの心も痛みに満ちた。
そんなに悲しい過去ならば。自分が塗り替えしてあげたいと思い立ち、王家の秘宝に手を出すくらいに……
(……でも、あんな笑顔を見せられたらね)
過去の女性に負ける気なんて無かったけれど、結果彼にとって彼女がどれ程大事な存在か見せつけられただけだった。
「あーあ」
笑い飛ばせそうな気がしたけれど、残念ながら心は付き合ってくれなかった。
詰まる胸にきゅっと唇を噛み締めて。
零れそうな涙を振り払おうと頭を振れば、視界の端にいる誰かが目に留まり、セシリアはビクリと固まった。
……回帰前、誰もいない事を確認して、更に人払いをしてから決行したのだ。
一体誰がと口を開こうとしたセシリアを遮るように、平坦な声が耳に届いた。
「やあ、お帰り」
「──っ、あなた……? あ! ミルフォード!」
十五歳だった面影を残しつつ、前に座す美丈夫は間違いなく回帰前に一度だけ会った隣国の王太子だ。
どうしてここにと継ぐ言葉を遮るようにミルフォードは掌をセシリアに向け、多分黙るようにと促した。
セシリアはその仕草に従順に、喉まで迫り上がった言葉を飲み込んでしまう。
「六年振り、かな?」
「……えっと、……そうね?」
そう答えればミルフォードは嬉しそうに笑みを作った。
国同士の国交はあれど、回帰前、セシリアはミルフォードと個人的に関わりを持っていなかった。
今でさえ、過去の一幕に袖振り合っただけの、縁とゆかりが多少ある間柄……くらいの認識しか持っていない。
ただセシリアが回帰後と知っていて、彼の認識は自分よりもう少し近しそうではあるが……
「何かご用?」
人の部屋ですっかり寛いでいたらしいミルフォードは、紅茶のカップをソーサーに戻し、にっこりと笑う。
……不気味だ。
更に長い足を優雅に組み替える様は、なんとも嫌みたらしい。
ほんのひと時ではあるが、ミルフォードとの対話はあまり思い出したくない。
柔軟な思考で頭が回るところは助かったが、残念ながら慈愛に満ちた精神も精神論も持ち合わせてはいないようだった。
正直あんな大事な用でもなければ彼との関わりは拒否していただろう。
そう考えれば、回帰前の自分は運良く災いを回避した、幸せな境遇だった訳だけれど。
そんな考えと共に胡乱な眼差しを向けるセシリアを気にした風もなく、ミルフォードは懐に手を入れた。
「うん、これを届けに」
そう言って一通の封書をテーブルに置く。意識を現実に引き戻され、セシリアは眉を顰めた。
「何よ」
内心恐々と手を伸ばすも、何か彼に弱みを見せるのは悔しくて、出来る限り平常心でそれを手に取った。
途端、かこんと音を立てて顎を落とした。
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