第4話
道路を挟んだ向かいの畑に到着したヘリから降りて来たのは、まるで原発作業員のような防護服を着た二人組だった。奴らは雑木林の入り口から入るとすぐにオッサンの瞳孔を調べ、ぐったりしているその身体を引きずるようにして真っ黒いヘリの中へと連れて行ってしまった。
何故防護服の連中が来るのか、何故ヘリへ連れて行こうとしているのか状況が理解出来ず、何度も奴らに声を掛けてみた。だが俺はハナから「いない者」として見なされていたようで、俺がいくら声を掛けても奴らは一切反応を見せなかった。
ヘリが飛んで行くと、雑木林の中に作られた空間で俺は完全に一人きりになった。夕方迎えに来た吉村はオッサンの座っていた椅子を片付けると、俺に向かってやたら愛想良く微笑んだ。
「山岸くんさぁ……隣で吐かれて大変だったねぇ」
「いや、山下っす」
「そうだっけ……あのおじさんさぁ、元々身体壊してたらしいよ……まぁ、寒空の下に一日中座りっぱなしじゃあ……無理もないわな」
「あの……」
「何?」
「あのヘリ、なんだったんすか?」
そう訊ねると、吉村は笑いながら首を傾げた。
「いや、ちょっと……何言ってるか分からないんだけど……」
「いやいや、あんた手配師でしょ?」
「確かさぁ、そんなギャグ、あったよねぇ……ちょっと何言ってるか分からない……みたいなさ」
「は?」
「面白いの? あのギャグって……面白い?」
「いや……別に」
「まぁ、俺にも分かる事と分からない事もあるんだわ……山添くんはホテルに帰ってクサでも吸ってさ……また明日からしっかりと座っていてくれりゃあ……それで良いんだから……ね?」
「あの、山下っす」
「本当……名前覚えらんねぇんだよなぁ……まぁいいや、帰ろうか」
「……はい」
はぐらかされた。煮えきらない気持ちのままバンの助手席に乗り込んでホテルへ向かう。その日の帰り道、吉村は口を一度も開かなかった。
ラジオから延々と垂れ流されるジジイのDJの声を聞いているうちに気分がムカムカして、山間を走る車の揺れに酔いそうになる。
ふと視線を落とすと、ダッシュボードからはみ出した用紙に「着座検体A及びB」という文字が見えて、俺は何も言おうとしない吉村への不信感が増して行った。
ホテルへ着くとすぐ、受付にいた狐ヅラのコンシェルジュが話し掛けて来た。
「山下様」
「あ? 何だよ」
「当ホテルでの日々、快適にお過ごし頂けておりますでしょうか?」
「快適だ? こんな所……不気味で仕方ねーよ」
「万が一不足している品などございましたら、なんなりとお申し付け下さい」
「じゃあ……エロ本とコンソメ味のポテトチップス。ポテチはでかいやつな」
「承知しました」
皮肉を込めた無理を言ったつもりだった。ポテチはまだ通用するとしても、何処の世界のコンシェルジュがエロ本を用意するというのだろう。何をクソ真面目に承知してんだよ、と心の中で笑いながら部屋へ続く廊下を渡る。
一日を終えて身体がやたら疲れた気がして、ベッドに飛び込む自分をイメージしながら部屋へ入る。
飛び込もうと思ってベッドの上に目を向けると、エロ本とファミリーサイズのコンソメ味のポテトチップスが置かれていた。
狐ヅラに伝えてから、ものの数分の間の出来事だった。
その日の夜にこのホテルの場所が気になってもう一度地図アプリを開いてみたが、やはり表示されるのは何もない真っ白な画面だけだった。
諦めてアプリを閉じた途端、スマホのバイブが振動した。スワイプして通知を確認すると、送り主不明のEメールが十件も立て続けに入っていた。
内容は意味のわからない英語と数字の羅列で、最後の行までスクロールして行くと「検索は許可されていません。コード450998-13」と日本語で記載されていて、それは受信した全てのメールに記載されていた。送り主が気になって@マーク以降のアドレスを調べると、厚生労働省からのものだった。
ここで一体、何が行われているのだろう。法外なほど高い日給。突然体調を崩し、口から出血し始めたオッサン。その後吉村と共に現れた役人風の男達。そして真っ黒なヘリ。「着座検体」という単語。あれはきっと、俺とオッサンの事だ。そして、何かを知ってはいるものの、何も伝えようとしない吉村。俺以外の宿泊者の姿が一切見当たらず、やたら静かで気味の悪い名前のホテル。
考えればきりがないほど不気味に思えて来て、あと残りわずかだと自分に言い聞かせながら部屋の風呂へ入る事にした。
服を脱いで鏡を見ると、痛みは何もないはずなのに右の太股の外側全体に真っ青な痣が出来ていた。
一体、何が起こったというのだろう。
風呂を上がっても全く気分は晴れず、考えれば考えてしまうほど俺はこの仕事に恐怖を覚えた。
翌朝、バンに乗り込んですぐに吉村に痣のことを報告した。
「吉村さん……足に超デカイ痣が出来たんすよ」
「へぇ……寝てる間にさぁ、どっかぶつけたんじゃない?」
「あの……何か知ってるならマジで教えて下さいよ。何なんすか? この仕事」
とことん問い詰めてやろうと思って顔を少し近付けてそう言うと、吉村は急ブレーキを踏んだ。踏んではならない地雷を踏んだかと思ったが、やるならこっちもやってやろうじゃねーか、という気分になっていた。
やや身構えて反応を伺うと、吉村は顔を両手で覆ったまま肩を揺らしていた。クン、クン、と鼻を啜るような音がして、突然泣き出したのかと思ったらどうやら笑っているらしかった。
顔から手を離した吉村がハンドルを軽く拳で叩き、笑いながら俺を見た。
「あはは、いやぁ……山岸くんは……ずいぶん面白い事いうんだねぇ」
「山下です」
「何でもいいよ、もう……あのさぁ……俺が何か知ってるって?」
「ええ……吉村さん、何か隠してるんじゃないっすか? マジ教えてくださいよ。こっちは命懸かってるかもしれないんで」
真剣にそう言うと、吉村はハンドルを両手で叩きながら大声で笑い始めた。
「あーっはっはっ! アホくさぁ! 君、君さぁ、ドラマの見過ぎなんじゃないの? 俺が何か知ってるって? それにさぁ、何処の世界にたった日給十万ぽっちで命懸ける馬鹿がいるんだよぉ……あー、面白ぇ……今年一番笑ったわ……」
「何がおかしいんすか……全然笑えないっすよ」
「山之辺くんさぁ……君って案外、器用な人間なんだな」
「……何がですか?」
「だってさぁ……起きてんのに寝言いっちゃうんだもん。あー……最高だわ、面白ぇ……」
そう言って吉村は再び黙り込んだ。途中、辺り一帯で唯一営業している小さなコンビニへ入ると、「ショウベンして来るわ」と俺に言い残して店内に入って行った。
そうしてショウベンにしてはずいぶん長い時間、吉村は戻って来なかった。
バンに揺られ続け、またいつもの雑木林が近付いて来る。
到着するとすぐにバンを下ろされ、今日も再び気だるい時間に耐える仕事が始まった。
続く
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