第369話 それぞれの決断
――――まえがき
・登場人物紹介
・シルド
人間族の男、第一王子リチャードに仕える老齢の騎士、かつての戦場で活躍した人物でもあり、戦場でのディアスのことも知っている。
・ジュウハ
人間族の男、隣領領主エルダンに仕える黒髪長髪の男、ディアスの戦友でディアスのことをよく知っているが、価値観があまりにも合わないためよく衝突していた。
――――
一休みしたならゴルディアの酒場を後にし……それから私とアルナーが自分達のユルトに戻ろうとしていると、野生のメーア夫婦のユルトから母メーアがちょこんと顔を出す。
それから周囲を見回し、私達を見つけて「メァ」と声をかけてきてから、こちらへとやってくる。
「どうかしたのか?」
しゃがんで膝を地面に突いた私がそう問いかけると母メーアは「メァメァッ」と声をかけ、何かを語りかけてくる。
するとそこにフランが駆けてきて、母メーアの言葉を一生懸命に伝えようと「メァメァ」と声を上げ……私と、同じくしゃがんだアルナーはそれを理解しようと懸命に頭を働かせる。
「えぇっと……つまり父メーアが無謀な真似をして、モンスターのいる北部に突撃したと?」
「……そうやって妻を助け出そうとしたようだが結果は的外れ、母メーアとしては呆れるばかりで、また同じようなことをしないかと不安という訳か」
少しの間があってから、しっかり理解出来ているのか確認のために私とアルナーがそう声を上げると、フランがそれを母メーアに伝え、母メーアはそれで合っているとコクリと頷く。
「それでこのまま草原に戻るのは不安だから、出産まで世話になりたいと、そういうことか?
もちろん構わないぞ……これから厳しい冬なんだし、出産までと言わず子供が大きくなるまでゆっくりして行くと良い」
「フランソワの出産やフラン達の世話で、村の皆も子育てには慣れているからな、遠慮なく泊まっていくと良い。
もちろん、いつでも野生に戻ってもらって構わないからな」
私とアルナーが更にそう言うと母メーアは嬉しそうに微笑みコクリと大きく頷き……それから自分達のユルトへと戻っていく。
そのすぐ後に、
『メァメァ!? メァー! メァメァメァ!!』
という父メーアの声と、
『メァッ!!!』
という母メーアの声とゴツンッという音が聞こえてくる。
「……冗談じゃない、人間の世話になんてなるものか……ってところかな」
「そして母メーアがそれを叱ったのだろうな」
今度の声はフランの通訳なしでも理解することが出来て私とアルナーはそんな声を上げ……そして私達の下へとやってきて撫でてくれとねだっていたフランは、やれやれとため息を吐き出し、その小さな顔を左右に振るのだった。
――――王都 王宮の地下倉庫で リチャード
王宮の南方、大階段を降りた先にある地下倉庫で単身リチャードが今年分の……早々ではあるが少しずつ集まり始めた上納品や金貨の確認をしていると、石造りの大階段を何者かが降りてくる音が響き……直後、倉庫のドアが開かれ、老齢の騎士シルドが姿を見せる。
「騎士団領はどうだ?」
壁掛け角灯の中でロウソクの炎が揺れる中、リチャードがそう声を上げると、シルドは困ったような表情となって声を返す。
「手を付け始めたばかりでご報告出来るようなことは何も……。
ただ領地に入った騎士達は、これ以上無い褒美をもらえたと喜び、日々真面目に励んでおります」
「そうか……それならば良かったが、ならば何故忙しい中、わざわざこんな所までやってきたんだ?」
「ご報告したいことが……。
西方領地のエルアー伯爵という貴族が、王都にやってくるなりメーアバダル公の名代のように振る舞っているようです。
……正式な名代という訳ではないようですが、今後そうなってもおかしくないような態度を見せているとかで、必要であればなんらかの対処をいたしますが……」
そんなシルドの報告を受けてようやく振り返ったリチャードは、驚き半分困惑半分という顔をしてからしばらく考え込み……それから至って落ち着いた声を返す。
「……まさか伯爵を名代にするとは驚いたが、冷静になって考えてみるとディアスが直接王都にやってくるよりは何倍も……いや、何十倍もマシだろう。
アレが王都に来て社交なんてものを始めたが最後、どれだけの惨劇が繰り広げられることか分かったものではない。
……数十人単位で貴族の首が飛んでもおかしくないくらいだ。
その伯爵がどんな人物かは知らないが、常識的な……平均的な貴族であるならばむしろ歓迎したいところだな」
「軽く調査をしてみたところ、伯爵はよく見かけるような古臭い手合いのようで、お言葉の通りの平均的な貴族と言えるでしょう。
王都に来てから特に問題を起こしたということもなく、かといって派手に動きすぎているということもなく……むしろ地味と言えるような動きしかしていないようです。
……それと、他の何者か……恐らくギルドの関係者と思われますが、そんな連中も彼の動きを調べているようでした」
「……なるほど、恐らく名代を本当に任せられる人物なのかを調べさせているのだろうな……。
それであればこちらから対処をする必要は無い……いや、適当な派閥の貴族を送り込んで、それとなく伯爵の行動を褒めさせるとしよう。
古い貴族であるのならそれだけで、表立って支援はしないがその動きを歓迎しているというこちらの意図が伝わるはずだ」
「はっ……ではそのように」
そう老齢の騎士が返し、その場から立ち去ろうとすると、リチャードが立派な……装飾の入った鉄作りの棚に納められていた木箱をポンと叩く。
その木箱の中には大量の金貨が入っているのだろう、中で金貨が揺れる重い音が響き……その中の金貨を騎士団領の運営に使えという指示だと受け取ったシルドは、胸に手を当て礼を示す。
それからシルドが箱を持ち上げるとリチャードは静かに頷き……再び確認作業へと没頭していくのだった。
――――マーハティ領 メラーンガルの領主屋敷の執務室で エルダン
「ようやく……ようやく後始末が終わったぞ……!」
数えきれない程の文武官が疲労困憊、死屍累々といった有様で倒れ眠る執務室の最奥で、書き上げた書類の束をドンッと机に叩きつけてからジュウハがそんな声を上げる。
数ヶ月前に起きた反乱騒ぎ、それを見抜けなかったこと防げなかったことを悔いたジュウハは二度とそんなことにならないように対策を講じようと、今日までの日々を休むことなく働き続けていたのだった。
反乱を起こさないよう領民を見張る訳ではなく、力で押さえつける訳でもなく、大量の資金を投じることで領民達の日々の生活を豊かにし、多くの施設を建設することで歌、踊り、絵画などの芸術を気軽に楽しめるようにすることで、反乱など思いつかないようにしてやろうというジュウハの策は、誰もが驚くようなとんでもない金額と手間がかかったが……最近になってようやく、それに見合うだけの効果が現れ始めていた。
最初は小さな変化だった。
じわりじわりと犯罪件数が減り……盗賊行為や盗賊そのものが減り、犯罪一歩手前の家庭内や酒場でのトラブルが減り……笑顔の領民達をよく見かけるようになり、めでたい話をよく耳にするようになり……そしてふと気が付けば経済までが上向き始めた。
策を講じ始めた当初は、こんな策に意味があるのかと反対する声が根強く、一ヶ月二ヶ月過ぎても全く効果が無いではないかと毎日のように怒りの声が上がったりもしていたが……それも昔のこと、今では誰もがジュウハの策の成果を認めていて……いつしか反乱を防げなかったという失態について責める声も聞こえなくなっていた。
「……結果は上々だけれども負担が大きすぎるの……今後はこういった策は控えて欲しいであるの」
座椅子にぐったりと体を預け天井を仰ぎ……かつての体調が悪かった頃のようなダルさを覚えながらエルダンがそんな声を上げると、ジュウハは「俺様だってもう勘弁だ」と、そう言ってから立ち上がり……久々に酒場に行って遊ぶのだろう、ふらふらとした足取りで部屋を出ていく。
それと入れ替わりになる形でカマロッツが入室し……エルダンはだらけた格好のまま、口を開く。
「皆の体調はどうであるの?」
エルダンの言う皆とは、最近あまり会えていない妻達のことであり……カマロッツは静かに微笑み、言葉を返す。
「皆様、お元気ですよ、妊娠している方々も特に問題はなく……特にパティ様はお元気で……以前セナイ様アイハン様から頂いた薬湯のおかげなのかもしれませんね」
妊娠している方々とそう言ったカマロッツにエルダンは静かな微笑みを返す。
妻の一人であるパティの妊娠発覚に刺激を受けてなのか、この数ヶ月の間に何人もの妻達が妊娠しており……今までエルダンの世話をしていた医者達の多くはそんな妻達の診察や世話などで忙しない毎日を過ごしていた。
忙しなく慌ただしく、だけどもそれが楽しいとばかりに妻達も医者達も皆が笑顔で……そのことを思い出し、出産が楽しみだとそんなことを胸中で呟いたエルダンは、持病のあった自分やパティの体調をこれ以上なく良くしてくれた『特別な薬湯』についても思考を巡らせ……顎を撫でながら頭を悩ませる。
悩みに悩んで……妻達のことだけでなくディアスやその周囲の人々のことにまで思いを馳せたエルダンは、それからゆっくりと声を上げる。
「……そう言えば神殿では安産のための祈祷をしてくれるとか?
神殿との付き合いは大事だし、領主として貴族としてそれをやらないというのは問題になると思うであるの」
「それは確かにその通りですが……今の神殿は奥様方を歓迎はしてくれないでしょう」
神殿の主流は新道派……亜人差別を推奨しているというとんでもない流れの中にあり、それはこのマーハティ領にもじわじわと届きつつあり、そのことを思ってかカマロッツは苦い顔をする。
するとエルダンはそんなことは分かっているとばかりに得意げな笑顔を作り、力を込めた声を上げる。
「とは言え妻とお子達の体調のことも思えば祈祷をしない訳にはいかないであるの。
そこで僕は一つ妙案を考えたであるの……うちの神殿ではなくお隣の神殿、最近神様がご降臨なされたという、メーアバダル神殿で祈祷をしてもらってはどうかと!
幸いにしてしばらくは手隙、お腹が大きくなってきたパティにはお留守番をしてもらうことになるけども、他の妻達であれば隣領までなら問題ないと思うであるの!!」
隣領に神……と思われる何かが現れた。
スーリオ達によってもたらされたそんな情報は、なんとも疑わしいものだと多くの者達が信じてはいなかったが……エルダンとカマロッツや一部の者達には、その情報が真実であるのだろうと信じることの出来る根拠がしっかりとあった。
神々によってもたらされる伝説の薬草サンジーバニー、その恩恵は確かなもので……そんなサンジーバニーを手に入れたディアスの下に、神が現れたとしてもなんら不思議なことではない。
そしてその恩恵を妻達が受けられたなら……安産になることは間違いなく、新しい神殿の祈祷でそうなったとなれば新道派への牽制にもなりそうで、更には友人との久々の交流まで出来るとなったら全くの良いこと尽くめで、エルダンはなんと良い案を思いついたのだと、これ以上ない得意顔となる。
「……なるほど、それは妙案ですね。
ただあの薬湯をせがみに行くだけというのは無礼になってしまうでしょうから、何かこちらからそれ以上の謝礼の品を用意すべきかと。
……今年も豊作だった砂糖に茶、香辛料と……家畜と、更に何か……。
ああ、そう言えばアルナー様は宝石をお好みだとか、最近川で見つかったアレと相応の量を買い付け、お贈りしてはいかがかと」
それを受けて同じくこれ以上無い感心顔になったカマロッツがそう返すと、エルダンは更に顎を撫でながら声を上げる。
「ふぅんむ……それだけでなく神殿建立のお祝いということで、神殿に飾れるような品も用意するであるの。
出来ることなら神像でもお贈りしたいところだけど……すぐに出来上がるものでもないから、大きさなどを記した設計図と目録を納めるとするであるの。
あとはスーリオ達から改めて話を聞いて、ディアス殿達が欲していそうな物を用意するであるの」
そんなエルダンの言葉を受けてカマロッツは「了解しました」と声を上げて、部屋を後にする。
その背中を見送ったエルダンは、筋肉がついて一回り太くなった腕を振り上げてから……久しぶりに思う存分体を動かすかと立ち上がり、いつも鍛錬に使用している中庭へと足を向けるのだった。
――――あとがき
お読みいただきありがとうございました。
次回はディアス視点に戻ってのあれやこれやになる予定です。
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