第348話 神殿と学び舎



 鍛錬を終えて、戦斧をユルトにしまって……休憩するというイービリスと別れたなら、サナトが向かっていった神殿へと向かう。


 メーアの石像が置かれた二本の柱がまず目に入るそこは、ある程度の形が出来上がっているのだが、完成にはまだほど遠いらしく、今でもベン伯父さんやフェンディア、パトリック達が中心となっての作業が進められている。


 外見はほぼ完成、祈りの場も出来上がっているらしいのだけど、他が全然だとかで……そんな神殿の側には竈場に似た屋根付きの一帯があり、そこにはいくつもの座卓が置かれている。

 

 それらの前には子供達……犬人族の子供達やセナイとアイハン、ペイジン・ドシラドにメーアの六つ子達が座っていて、その視線は一際大きな机の向こうに立つペイジン・ドへと向けられている。


 いつもなら商売が終わり次第に帰っていくペイジン達は、ゴブリン族が帰還するまではイルク村に滞在するそうで……その間、こうして子供達に算術などを教えてくれている。


 数の数え方、計算の仕方、ペイジンが愛用している計算機の使い方、商売の仕組みやコツ、獣人国の挨拶などの簡単な言語などなど……大人が教わっても有用そうな内容となっている。


 教育の場、学び舎とも呼ばれるそれの管理は神官の仕事でもあるそうで、伯父さん達の希望もあって、神殿の側に作られることになり……ここでは算術以外の様々なことが教えられている。


 ヒューバートが先生の時は、ヒューバートが書いた様々な物語を読む時間。


 物語を読んで読み書きの練習をし……それだけでなく正しく文章を理解出来るように特訓をするとかなんとか。


 ヒューバートが言うには王国法を正しく理解するには、まずそれを読めなければ始まらず、ただ読むだけでなくそこに込められた意味を、意図を……どうしてその法が作られ、どう運用されているか、されるべきなのかを読み取る必要があるんだとか。

 

 そしてそれが内政官としての第一歩だとかで、そのための能力を磨くには様々な思いや意図が込められた物語を読むことが大切なんだそうだ。


 エイマが先生の時は、自然学についてを教わる時間。


 まだまだ人が少なかった頃は全てを、算術や文字の読み書きも教えていたエイマだったが、今では太陽や風、大地がどういうものなのか、時間の流れや季節がどういうものなのかを教えている。


 世界を動かす大きな歯車があり、その歯車が大地や太陽を動かしていて……小さな歯車によって大地が回転するから昼と夜が生まれ、大きな歯車によって太陽との距離が変わるから四季が生まれる。


 そうした世界の基礎から新たなひらめきを得るのが自然学で……織り機などを動かしている歯車はこの教えから編み出されたものであり、それ以来自然学は教育の基礎、新たなひらめきを得るための大事な土台とされているんだそうだ。


 ダレル夫人が先生の時は、算術やマナーや貴族についてのあれこれ。


 今はペイジンがいるのでマナーや貴族についてを中心に教えていて、元々はこの時間は、貴族令嬢……であるらしいセナイとアイハン、それと貴族夫人になる予定のアルナーのためのものだった。


 が、他の皆もいずれは貴族と関わるかもしれず、騎士という準貴族のような身分になる者も出てくるだろうということで、今では誰でも参加して良いということになっている。


 これに関しては子供達だけでなく大人も、ジョー達やマヤ婆さん達も参加していたりする。


 ジョー達はいずれ騎士になりたいと考えていて、マヤ婆さん達は迎賓館での給仕などの仕事があるから、という訳だ。


 ダレル夫人は更にアルナーだけに、セナイとアイハンだけに向けての特別授業も行っていたのだが……最近ではその回数は減ってきている。


 その理由は……と、そんなことを考えていると、学び舎の奥に居たらしいダレル夫人が、こちらへとやってきて声をかけてくる。


「セナイ様もアイハン様も、本日も変わらず真面目に取り組んでおられますよ。

 すっかりと基礎はすでに出来上がっていて……年齢のことを思えば王都の社交界に出ても問題ないでしょう」


 どうやらダレル夫人は、私がセナイ達の様子を見に来たと思っているようで、更に言葉を続けてくる。


「お二方とも根が真面目で、エイマさんの授業のおかげか基礎的な学力も高く、身体能力にも優れていますので……吸収と成長が驚く程に早く、来年には大人顔負けとなっているかもしれません」


 と、これが特別授業が減ってきた理由だ。


 ダレル夫人曰く、普通の貴族令嬢はセナイ達ほど真面目に取り組んではくれないらしい。


 運動もしないことが多く、筋力と体力が少なく……そうなると姿勢や仕草のあれこれを覚えるのにも時間がかかるんだとか。


 セナイとアイハンは暇さえあればそこらを駆け回っているし、馬に乗っているし、弓で狩りをしているし……体の動かし方を分かっているというか、細かく教えなくても自然に綺麗な体の動かし方が出来るというか、そういった才能のようなものも持ち合わせているらしい。


 そのおかげで貴族令嬢らしい仕草の基礎を習得しつつあり……まだ完璧とは言えないものの、年齢を思えば十分過ぎる水準に達しているらしい。


 アルナーはそこまでの才能は無いものの、セナイ達と同じく普段から運動をしているというか、セナイ達に乗馬や狩りを教えた先生でもある訳で、生真面目な性格もあってか、かなりの水準になっているらしい。


 公爵夫人ともなるとセナイ達よりも習熟する必要がある……が、まだ正式な夫人ではないし、この様子ならば時間をかけていけば問題ないだろうとのことだ。


「そういう訳ですからディアス様、セナイ様達のことは心配いただく必要はありません。

 ありませんので……お暇なようでしたらこれから授業をいたしましょう。

 ディアス様は平民出身であり武人でもあり、多少の無骨さも許容されるでしょうが……公爵たるものいつまでもそれに甘んじていてはいけません。

 今に限らずお暇なお時間があるようでしたら、いつでも遠慮なくお声をかけてください」


 そう言われて私がどう返したものかなと悩んでいると、ペイジンの授業が終わったらしく、子供達が元気な声でペイジンに礼を言って、それから一斉に駆け出していく。


 駆け出し、そのままどこかへと遊びに行こうとして、それから私とダレル夫人に気付き、セナイとアイハンが何もないところをつまみ上げるような仕草をし、淀みない仕草で片足を下げて膝を曲げての礼をしてくる。


 それはどうやらスカートなんかをつまんでする挨拶のようで、普段スカートを着ないセナイ達は仕草だけを真似ているらしく……何度も練習したのだろう、見栄えのするものとなっている。


 それを見てダレル夫人はなんとも嬉しそうな、柔らかい微笑みを浮かべ……他の子供達も、女の子達はセナイ達の真似をし、男の子達は片手を胸に当て、もう片方を後ろに下げての一礼という仕草を見せてきて……改めてセナイ達の仕草の完成度を実感する。


 他の子供達も悪くはないのだが、丁寧で優雅で、一切の淀みが無いのはセナイ達だけで……確かにこのレベルなら十分だと言えるのだろう。


 そしてアルナーも同じ程度まで習得しているそうで……うん、私もしっかりとやっていく必要がありそうだ。


 そう考えて私が返事をしようとした時、神殿の裏から私に用事でもあるのか、神官のパトリックがズンズンと地面を踏み鳴らしながらこちらへとやってくる。


 そうして私の前に立ち、私の眼前へと顔を突き出してきて、それから強めの語気でもって声を上げてくる。


「ディアス様、先日神殿の裏に墓地を作ってはどうかとベン様に進言されたそうですが、それは一体全体どんなお考えからくるものでしょうか!

 元来聖なる神殿と墓地は離して建設するものとされておりますが……我らを墓守と考えているのでしょうか!」


 いや全くそんなつもりはなかったのだが……どうやら理由を説明しなかったせいで誤解をさせてしまったようだ。


 ならばしっかりと説明すべきだろうと私は、頭の中で考えを整理し……それから言葉を返していく。


「戦争中にジュウハが……今は隣領で働いている兵学者の男が、普段であれば絶対に祈るなんてことをしないはずなのに、仲間の墓の前で祈っていたんだよ。

 仲間の死を悼むとはまた違う態度で、真剣な表情で祈っていて……それを見て私が、一体何故祈っているのか、どんなことを祈っているのかと聞くとジュウハはこう言ったんだ―――」


『別に祈っていた訳じゃない、これからの戦略を決めるにあたって本当にこれで問題ないのか、この決断で正しいのか……俺の未熟さのせいで死んだ戦友達に恥じることのない決断なのか、自分の心に問いかけていただけだ。

 軍師が本当に居るかもわからん存在に祈り始めちまったらその軍は、もうおしまいだろうよ』


「―――そのことを最近ふとした拍子に思い出してなぁ。

 私はジュウハと違って、自分の決断をそこまで信用していないし祈りもするが……その考え自体は悪くないのではないかと思ったんだ。

 これから先、今まで以上に色々なことを決めて……決断する時が来るだろう、その時に神殿の神々と墓地に眠る仲間達に恥じない決断が出来ているのかと自らに問いかける、そんな場になってくれないかと思ってのことなんだ。

 そういう訳で集会所で行っている会議も、神殿の側で出来たらなぁと、そう考えているんだ」


 するとパトリックは私の言葉に思うところあったのか、背筋をピンと伸ばし、私の目をジッと見た上で、


「考え無しに質問を投げかけたこと申し訳ありません! 大変素晴らしいお考えかと思います!!」


 と、声を張り上げる。


 するとダレル夫人がコホンと咳払いをし、私達の視線を集めた上で……なんとも言えない笑みを浮かべながら言葉を返してくる。


「わたくし、以前から神殿の方々にも是非とも礼儀というものを学んで欲しいと考えていたのです。

 ちょうど良い機会ですからパトリック殿達にも授業に参加していただくとしましょう。

 たとえば、そう……他人の話に割り込んではいけませんとか、大事な決定をする場合はきちんとその理由まで説明しましょうとか、そういった基礎の基礎からの授業を。

 お二方とも、よろしいですね?」


 それを受けて私とパトリックは、何も言えなくなってただ頷く。


 するとダレル夫人は更に笑みを深くして……他の面々を呼び出すためにと神殿の方へと足を向けるのだった。



――――あとがき


お読みいただきありがとうございました。


次回はこの続き、今回やれなかったアルナーとのあれこれの予定です

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る