第331話 荒野を進む
一度のくしゃみでは砂埃が出ていってくれなかったのか、何度かのくしゃみをしながら足を進めていくと……視線の先に見るからに人工物だろうという物が現れる。
それはかなり手の込んだ造りとなっている石造りの水路で……いつのまにやら洞人族が作り上げたものであるらしい。
「……よくもまぁ、こんな所まで水路を作ったもんだなぁ」
その側に近付きながら私がそう声を上げると、しゃがんで手を伸ばし水路の出来具合を確かめていたスーリオが言葉を返してくる。
「酒場で洞人族達とはよく話をしますが……飲むことの出来る酒が増えてきたから仕事の効率も上がっているんだとか、そんなことを話していましたよ。
外から買うワインに赤スグリワイン、それと森の蜂蜜酒も評判が良いようです。
なんでも不純物がないおかげですっきりした風味になるとかで……ああ、それとセナイ様とアイハン様が蜂蜜酒向きの花を植えたりもしているとか」
「……セナイ達はそんなこともしていたのか。
他にも色々やっているようだし……そのうち森の中にユルトを建てて泊まり込んでしまいそうだなぁ」
「そう言えば蜜が薬になる木があるとかで、その木を植えるとかも話していましたね。
その蜜があると蜜を舐める側はもちろん、蜜を集める蜂達も病気から縁遠くなるんだそうですよ」
「そんな蜜まであるんだなぁ……甘くて滋養もあって酒にも薬にもなるときたか。
……その蜜が採れるようになったらセナイ達には何かご褒美をあげないとだなぁ」
なんて会話をしているとチョロチョロと水音がしてきて……イルク村の方で何かしたのか、北の方から水が流れてくる。
最初は少量の水だったのだが、少しずつ水量を増していき……相応の勢いとなって私達の側を通り過ぎて流れていって、どこまで行くのだろうかと視線で追いかけてみると、水路の先に何かがあるようで……そちらへと近付いてみると石造りのため池が見えてくる。
以前私が作ったものとは違い、石でしっかりと囲い固めてあるそのため池には早速水が貯まり始めていて……流れる水の様子を見て我慢できなくなったのか、ラクダ達が水路へと口を伸ばして水を飲み始める。
それを受けてコルムが「止めるべきですか?」と問いかけてきて……私が好きにさせてやれと手を振るとコルムは頷いて、ラクダ達の手綱を緩めて好きにさせる。
それからしばらくの間、なんとなしに水路やため池の水の様子を眺めていると……草を編んで作ったらしい小さな船が水路の中を流れてくる。
その船の上には小さな粒のようなものが乗せられていて……一体何だろうかと顔を近付けて見てみると、それが植物の種であることが分かる。
「……なるほど、セナイ達が編んだものを流しているんだな?
イルク村から流して……揺れたりひっくり返ったりで種をばらまかせて、水と一緒に草花を広げようという訳か」
なんてことを言いながら草の船を一つだけ手に取った私は、石造りのため池よりはこちらの方が良いだろうと、ため池の周囲の土の上に種をばらまき、手ですくった水を軽くかけてやる。
それを見てかパトリックやスーリオ達、コルムも私の真似をし始め……特にコルムは上手い具合に土を掘り返して柔らかくしてから、種を撒いてみせる。
この種が上手く芽を出してくれたらラクダ達の食料となるはずで、水と食料がここにあればラクダ達は更に南へと足を進められるはずで……それを繰り返していればいつか、南にある……らしい、海にたどり着くことも出来るはずだ。
「更に南へと進んで、海にたどり着くことが出来たなら魚が好きなだけ食べられるんだろうな。
川や池とは比べ物にならない程の量の魚が獲れると聞くし……味の方も段違いに良いらしい。
……海の魚は塩漬けしか食べたことないからなぁ、新鮮な海の魚というのも食べてみたいものだな」
と、作業を一段落させた私が、南の方を見やりながらそんなことを言うと、スーリオ達が一斉に耳をピンと立てて、その目をギラリと輝かせて……そしてスーリオがずいと身を乗り出しながら言葉を返してくる。
「海魚ですか! 確かに美味しいと聞きますね!
いやぁ……我々獅子人族は肉も好きなのですが、それよりも魚が大好きでして……海魚はディアス様と同じく塩漬けしか食べたことがないので……新鮮な海魚を食べることが出来たらと願ってしまいますな。
そう言えばマーハティ領に運ばれてくるのは塩タラばかりなのですが、あれは一体どうしてなのでしょうか?」
「ああ、タラは他の魚よりも腐りにくいらしくてな、塩漬けにしてしっかり管理すると半年とか一年以上とか、長期間の保存が効くらしいんだ。
そういう訳で海が遠い地域に届くのはだいたい塩タラになるな……戦争中もよく塩タラが運ばれてきていたが、美味しい塩タラを食べられるのはお偉いさんだけで、私達は味も保存性も劣るとされる塩ニシンのことが多かったかな」
「ほほう……なるほど。
では例の氷の貯蔵庫を使っての保存や運搬が可能なメーアバダル領で海魚が獲れるようになれば……マーハティ領でも様々な海魚が食べられるようになるということですな。
ふぅむ……そういうことならリオードとクレヴェと共に、荒野の開拓と探索のお手伝いをさせて頂きたいと思います」
「いや、スーリオ達は客人な訳だし、そんなことをしてもらう必要は―――」
「いえ! 同胞に海魚をいち早く届けられるとなれば、こちらから頭を下げてお願いしたいくらいでして……。
出来ることは少ないですが、乾きに強い戦士が三人いれば、なんらかの役には立てるはずですよ!」
と、私の言葉を遮る形でそんな言葉を口にしたスーリオが鼻息を荒くしていると、リオードとクレヴェまでが同じように鼻息を荒くしながらこちらへと身を乗り出してきて……それに押し切られる形で私が頷くと、三人はぐっと拳を握って早く海魚が食べてみたいと、そんな会話をし始める。
仮に海まで到達出来たとして、そこに食べられる海魚がいるのか? とか、漁が出来る海なのか? とか、色々な問題があると思うのだがなぁ。
海の近くに住んでいる人がいたり集落があればそこで話を聞いたり、漁を依頼したりも出来るのだろうが、無人の荒野となるとそれも難しいのだろうし……。
……今は盛り上がっているようだから、もう少ししたらそこら辺の話もしてやって……それでも手伝ってくれるというのなら手伝ってもらおうかなと、そんなことを考えながらしばらくの間、盛り上がり続けるスーリオ達のことを何も言わずに眺めるのだった。
――――何処かの大入り江で ゴブリン達
なんらかの生物の皮で作った腰巻きだけを身にまとい、長い尻尾にはイヤリングのように穴を開けた上で、いくつかの漁具や釣り針を変形させて作ったリングが付けられていて……首には自らの鋭い牙を束ねて作った首飾りがかけられている。
そんなゴブリン達は大入り江に到着するなり、警戒心を顕にしながら大きな目をギョロリと動かして周囲を見回し……それから周囲を探索するために足をゆっくりと進め始める。
月のない闇夜の中、お互いの姿をはっきり見えないはずだが、夜目が効くのかゴブリン達はお互いの位置をしっかりと把握しているようで、見事な円陣を作り上げながら大入り江から北へと進んでいく。
「くう……やはり死の大地は乾ききっているな……」
「砂と岩だらけ、生物の気配も水の流れもない……ここに生物がいるとは思えないが……」
「むう……こんなところにトカゲがいるなぞ見間違いだったのでは?」
なんてことを口々に上げながら足を進めて……ある程度まで進めたところで、一番体格の大きいゴブリンが手を挙げて、制止の合図を出す。
それから周囲を見回し……何も見当たらない闇夜の光景をそれなりの時間をかけて見回し、それから手を挙げたゴブリンは大きなため息を吐き出す。
「やはり見間違いだったか……」
トカゲのような生物そのものが見つからないにしても、これだけ探ったのだから何らかの痕跡は見つけられるはず……足跡や尻尾を引きずった跡や、巣や餌になる何かが見つかるはずだが、ここにはそういった痕跡さえ見当たらない。
ここにトカゲなどいなかった、全ては見間違いだったと、そんな結論を出してそのゴブリンが踵を返そうとすると……少し離れた場所にある岩山の上に、うすぼんやりと鱗を光らせるトカゲが姿を見せる。
「なんと!? 本当にいたぞ!!」
それを見て誰かが声を上げる。
ゴブリンの何人かは両手の鋭い爪を構えて、何人かは大口を開けて大きな牙を構えて、そうやって戦闘態勢に入る……が、トカゲは穏やかな表情を浮かべるだけで何もせずただただ静かにゴブリン達のことを見やってくる。
それからトカゲはまるで何かを促しているかのように何処かを……北の方を見やり、それを追ってゴブリン達が視線を北へと向けるとその瞬間、トカゲが放っていた薄く弱い光が膨らみ弾けて……トカゲの姿がかき消える。
まるでそこに何も居なかったかのように、音もなく姿を消して、ゴブリンの一人が慌てて岩山を駆け上がって、それまでトカゲがいた場所を調べる……が、そこには何の痕跡も、足跡すらも残されていない。
あのトカゲは一体何者だったのか? ゴブリン達に何を伝えようとしているのか……? ゴブリン達の誰もがそんな疑問を抱くが、その答えを得るのはどうにかしてあの不思議なトカゲに接触するしか手は無いだろう。
そうやって好奇心をこれ以上なく刺激されることになったゴブリン達は、少しの話し合いの後に死の大地の探索を本格的に行っていくことを決断するのだった。
――――あとがき
お読みいただきありがとうございました。
次回はイルク村に戻ってのあれこれとなります。
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