第324話 ダレル夫人の授業 その2
昼食とその後の少しの休憩時間を挟んで、ダレル夫人の授業は再開となった。
午前中家事や畑の世話などで忙しくしていたアルナーとセナイとアイハンが合流してのそれは、主にアルナー達の仕草とかテーブルマナーについてが行われることになり……アルナー達は器用にダレル夫人からの指示をこなしていく。
「アルナー様は全体の所作からもう少しだけ力を抜くようにしてください。
セナイ様はもう少し落ち着かれるとよろしいかと、アイハン様は覚えがよく所作も完璧ですが、もう少しだけハキハキと喋れるようになると一人前のレディに近付けるでしょう」
貴族らしい所作……静かに美しく歩くアルナーに、仮設のテーブルで空の皿を前にナイフとフォークを動かすセナイ達。
アルナー達がそうやって頑張る中、私も午前中に習ったことの復習をしていて……そんな私達の様子を見た夫人は、広場を完璧な所作で歩きながら貴族についてを語り始める。
「貴族としての所作、常識、マナーを身につけるのには、貴族としての矜持を普段から披露することで、統治などをしやすくするという理由がありますが、もう一つ……建国王様が定めた貴族法が関わる理由が存在しています。
貴族制を考え出した建国王様は大変聡明な方でいらっしゃったようで、将来的に貴族という存在が腐敗するであろうことを予見されていたようなのです。
たとえば王族が様々な理由で……自らの威信を高めるためや、味方を増やすため、あるいは異性の気を引くために爵位を気軽に与えるようになってしまうかもしれない。
そうして増えすぎた貴族が平民の生活を圧迫するようになるかもしれない……貴族としての義務を忘れてしまうかもしれない。
そうした事態を避けるため建国王様は貴族法……貴族についての法律を制定されました」
そこから始まるダレル夫人の話によると、貴族法という法律はかなり厳しい内容となっているらしい。
たとえば貴族は領地を持たなければならず、領地を持つということは貴族になるということであり……どんな理由であれ領地を失ったなら貴族ではなくなる、とか。
乱心し、正しい統治が行えなくなったなら爵位を強制的に返上しなければならないとか、後見人を立てて実権を手放さなければならない、とか。
貴族としての義務……治安維持や侵略者から領民を守るというのは当然のことであり……そのための予算や人員は貴族が自ら用意しなければならない、とか。
そういったことがかなり細かいところまで定められているらしく、貴族法に関して記すだけで分厚い本が出来上がってしまうんだそうだ。
「先の戦争で貴族としての義務を果たせなかった者は、貴族法を理由に相応の罰を受けることになりましたし、逆に領地を売り払い借金をしてでも義務を果たした者には相応の恩賞がありました。
貴族であるということは、そうでない者達が思うより楽なことではないのです。
貴族だからと貴族法に縛られ振り回され……そしてどんなに厳格な法でも抜け道があり、それを自らの欲のために利用しようとする者達がいます。
そんな者達にとって貴族としての常識、作法を知らないというのは格好の餌食となるのです」
更にそう言ってダレル夫人は、仮の話との前置きをしてから、あり得るかもしれない物語を語っていく。
腕っぷしで成り上がり貴族になった者がいて、貴族としての教育を受けていないその者が、ある日貴族らしからぬ言動をし、礼儀作法に反し、貴族失格とも言える何かをしでかしたとする。
すると悪意と欲にまみれた者達はこんなことを言い出すらしい。
その成り上がり者の言動は貴族らしさに反している、貴族法の定めるところの乱心の定義を満たしている。
ゆえに自分が後見人となり、成り上がり者の領地の安定を図る必要がある……とか、そんなことを。
そうやって諸々の手続きを終えたなら後見人としての権力を使い、成り上がり者から実権を奪って領地を私物化、領民達はもちろんのこと、その成り上がり者自身さえも奴隷のように扱ってしまい、成り上がり者は何もかもを奪われることになる―――。
「―――実際にそこまでの事態となることは稀なことです。
貴族の……ましてや公爵の後見人ともなれば王宮裁判を経る必要がありますし、王宮医師や神官長などによる本当に乱心しているかを確認するための面談が行われますから。
だけども彼らはそれを承知した上で騒ぎを起こし、騒ぎを穏便に収めたければ……と、脅してくるのです。
根回しをすることで他の貴族を味方につけて、場合によっては王族まで味方につけて、狡猾に卑怯に立ち回って追い詰めて……相手が貴族法に詳しくないと知れば更に欲望をむき出しにし、あることないことまくし立て……そうしてある程度の財貨を奪っていって、また数年後に別の手法でもって似たようなことを画策してくることでしょう。
この場合悪いのはもちろん、そういった悪意と欲にまみれた輩ですが、貴族社会と世の中というのは隙を見せた成り上がり者も悪いと、そんなことを言い出してしまうものなのです。
……ですから、礼儀作法を学ぶこと、貴族としての常識を学ぶこと、こういったこともまた領民達を守るために必要なことなのだとご理解ください。
このサンセリフェ王国においては砦を築き、武具を用意し、兵達を鍛え抜くのと同じ程度に必要なことなのです」
貴族法については以前エルダンが行ってくれた授業でも……確か、教えてくれていたはずだが、まさかそんなことになるものだったとは……。
なんてことを考えているとアルナーが半目での視線を送ってきて……視線と表情でもって「私は知っていたぞ」的なことを伝えてくる。
ある時からアルナーは私やベン伯父さんから王国式の食事の仕方というか、食器などの使い方を習っていたが……どうやらエルダンの授業でそこら辺のことを教わったことが理由だったようで……なんとも言えず私が頭を掻いていると、そんなやり取りを見たダレル夫人が声をかけてくる。
「ちなみにですが、ディアス様、アルナー様、そういった輩がメーアバダル領にやってきたとして、今のお二方ならどういった対応をされますか?」
「ん? 悪意を持ってここのものを奪いに来た連中ということか……?
……とりあえず全員ぶん殴って説教した上で追い返す、かな」
「矢を射掛けないで済ますなんてディアスは優しいな」
私とアルナーがそう返すとダレル夫人は眉をぴくりと反応させて、一瞬だけ表情を引き攣らせてから言葉を返してくる。
「大切なのはそういった事態を招かないことなのですが……もうそうなったとしても、悪意はあれど相手は同じ王国を守る貴族ですので、出来ましたらもう少しだけ英明で瀟洒な対応をしていただければと……。
……これからこの地にやってくるだろう、二人の貴族達も恐らくはそういった目的でやってくるのだと思われますが、その時になってもそういった事態にならないよう……攻撃しないで済むよう、急ぎ詰め込む形にはなりますが懸命に学んでいただければと……」
そう言ってダレル夫人は、先程一瞬だけ見せた引き攣らせた表情からは想像も出来ない柔らかな表情を見せてきて、同時に何とも言えない圧迫感を放ってくる。
その圧迫感は上手く説明できないが私でも思わずたじろぐ程のもので……それを受けて私達が思わずといった感じで頷くとダレル夫人は満足そうに……本当に満足そうに笑みを浮かべる。
それから夫人は一段と力を入れての授業を行うようになり……数日後、夫人が言った通りに件の貴族達が東側の、森の関所へとやってきて……そこでちょっとした騒動が起きることになるのだった。
――――あとがき
お読みいただきありがとうございました。
次回、彼らの登場です。
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