第323話 ダレル夫人の授業



 イルク村に来て、丁寧かつ洗練された仕草で挨拶回りをし、あっという間に犬人族と仲良くなり、礼儀作法の重要さを教えてくれたダレル夫人だったが……これから私に礼儀作法を教えるとなった段階で、どういう訳か両手で顔を覆った状態で天を仰ぎ始めてしまった。


 無言でただただ天を仰いで、私が声をかけても何も返さず……。


 一体全体どうしてしまったのだろうかと首を傾げていると、護衛ということで私の側にいるパトリックが声をかけてくる。


「様子がおかしかったのは鍛錬後の水浴びを終えてからでしたな?」


「ん? そうだったか?」


 パトリックにそう返してから私は、首を傾げながら鍛錬後のことを思い返す。


 鍛錬後汗だくになってしまったので服ごと川に飛び込んで、服も体も顔も頭も綺麗に洗って、それから川べりで火を起こして服なんかを乾かして……それから朝食。


 朝食を終えたならアルナーやセナイ達の護衛をするというピエール達と別れてパトリックと共にダレル夫人の授業が行われる場となった広場に向かって……。


 流石に水浴びの際にはその場を離れていたダレル夫人だったが、服を乾かす段階では確かに私達の側にいて……そうか、あの時から様子がおかしかったのか。


「……ただ服を乾かしていただけだと思うが、何か特別なことでもあったかな?」


 私がそう言うとパトリックは首を傾げながらしばらく考え込み「ああ!」との声を上げてから言葉を返してくる。


「恐らくあれですな、火付け杖!

 あの便利さには我らも驚かずにはいられませでしたから、ダレル夫人もきっと驚きすぎてしまったのでしょう」


「……ああ、そういえばあの時アレを使ったか。

 とは言えアレも、ただ火を吹くだけの杖で特別なものではないはずなんだがな……」


「ふぅむ……?

 ディアス様はあのように不思議な力を持つ品をどこで手に入れられたのですかな?」


「ん? んん? ……あー……確かどこかで拾ったんだったか?

 拾って、火を吹き出すことに気付いて、こりゃぁ火付けに良いと使い始めて……どういう訳か私とベン伯父さんにしか使えないもんだから、朝には私かベン伯父さんが持ち歩いて、村中の竈に火を入れて回ることにしているな」

 

「ははぁ……なるほど。

 しかしあんな便利なものをたまさか拾うことが出来るとは……ディアス様は神々に祝福されていらっしゃるようで」


「いや、探せば意外と見つけられるものなんじゃないか?

 毒の短剣は荒野で拾ったし、この手元に戻ってくる手斧も池だか湖だかで拾ったものらしいしなぁ……もしかしたらあの念じれば修復される戦斧も誰かがどこかで拾ったものなのかもな」


 と、私とパトリックがそんな会話をしていると、ダレル夫人の顔を覆う両手の隙間から「はぁぁぁぁー」と凄まじいため息が吐き出される。


 それを受けて私達が何事だろうかと更に大きく首を傾げていると、何か覚悟を決めたらしいダレル夫人が、ようやくこちらに言葉を返してくれる。


「……ディアス様には王者としての教育が必要不可欠だということがよく分かりました。

 アルナー様達への教育も一部見直す必要がありそうですが、今は何よりもディアス様の教育を徹底する必要がありそうですね。

 ……ちなみにですがディアス様、ディアス様の家系は……その、かつて貴族だったことがあったりはしませんか?」


 それを受けて私は首を傾げたままポカンとし……一応あれこれと記憶を探ってから言葉を返す。


「いやぁ……無いんじゃないか?

 両親も伯父さんも代々神殿勤めだと言っていたし……父も母も貴族とは縁遠い存在だったと思うしなぁ……。

 伯父さんに聞けばハッキリするのだろうが……もしそうなら私が貴族になった段階でそういう話をしてそうだし、その頃の家名を使うとか言い出してそうだし……後で確認はしておくが、まぁー……無いと思ってもらって良いと思うぞ」

 

「そう……ですか。

 ちなみにですが、ヒューバートはその杖を見て何か言っていましたか?」


「ん? いや? 特には言ってなかったと思うが……?」


「なるほど……では彼にも折を見て文官としての最低限の知識を改めて習得するよう説教をしておきます」


「んんん? それは必要なことなのか?」


「はい、それが彼のためにもなります」


「そういうことなら……ダレル夫人の負担にならない範囲でお願いするよ」


 私がそう言うとダレル夫人は深く頷いて、それからようやく礼儀作法の授業が開始となる。


 会場は広場で見学は自由、学びたいものは自由に学ぶべしとのダレル夫人の判断によるものでパトリックはもちろん、犬人族達やメーア達も見学するようだし、それとスーリオ達も時間を見つけて見学にくることになっている。


 まずは立ち方、背筋を伸ばして胸を張って手の指、足の指にまで力を張り詰めて揺れることなく立つ。


 次に歩き方、視線は常にまっすぐ前を向き、これまた揺れることなく堂々と……足の出し方、踏みしめ方、地面の蹴り方まで意識して行う。


 そして座り方、頷き方、首を左右に振る際に注意する点、表情の作り方、目線の振り方。


 礼儀作法というかなんというか、物凄く根本的な在り方というか生活の仕方というか、そのレベルの指導を受けることになったが、ダレル夫人の教え方が上手いというか……叱る際にもどこが悪いのかどうしたら良いのか、どうしてそれが必要なのかをしっかり教えてくれるため、全く苦になることなく授業を受ける事ができる。


 この感覚はなんというか、志願兵になったばかりの頃の訓練時代を思い出すというか……その時の訓練に比べればとても楽だし、やり甲斐もあるというもので……あっという間に時間が過ぎていく。


「王者に求められる能力は数多く、簡単には語りきれないものですが、非日常の特別な存在であるということは欠かすことが出来ないでしょう。

 一目見てなんだあれはと驚き、自分ではああはなれないと恐れ、それでいてああなってみたいと憧れを抱く。

 ただそこに居るだけで王者とは周囲に影響を与えるもので……ディアス様に今から覚えていただくのはそういった存在になるためのスキルなのです。

 厳粛で荘重、森厳であれば尚良し、ただそこにいるだけで、ただ立っているだけで皆の心を動かせる人物となってください」


 そうして昼食前、そう言って授業を締めたダレル夫人は、ずっと立ちっぱなしな上、身振り手振りで体を動かし疲れているだろうに一切それを感じさせずに折り目正しくブレのない一礼をしてから静かに自分のユルトへと去っていく。


 それを何も言わずに見送った私達は、すぐに今覚えたことをもう一度やってみようと、ダレル夫人の言葉の通りに動こうとするが、どういう訳か上手くいかない。


 ダレル夫人がそこにいた時は上手くいっていたのに……。


 それからしばらくの間、どうして上手く出来ないのかと苦戦することになった私達は……思わずダレル夫人のユルトの方を見やり、いつにない尊敬の念を抱くことになるのだった。


 

――――あとがき


お読みいただきありがとうございました。


次回は……そろそろやつらのあれこれです。

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