第322話 ディアスに相応しいのは



――――早朝、広場で犬人族のブラッシングをしながら オリアナ・ダレル



 乞われて教育係となるためイルク村へとやってきて、不思議な幕家で一晩を過ごして……翌日、早朝。


 広場に椅子を置いてそこに座り、幼い犬人族を膝の上に乗せてブラッシングをしてやって……そうしながらオリアナは朝の鍛錬をしているディアス達のことを眺めていた。


 教育するにあたって重要なことは、その人物のひととなりを知ることだとオリアナは考えていた。


 どんな人物でどの程度のことが出来て、どういう教育をすべきなのか……その辺りを見極めた上で相応しい教育を施す必要があるとの信条を持っているからだ。


 そういった目線でディアスをのことを見てみると、まず基本は出来ている。


 孤児出身だと聞いていたが、孤児になるまでは神殿で暮らしていたそうで、そこで両親から平民としての最低限の教育を受けていたことが理由だろう。


 昨夜見た限り、食事の作法も丁寧かつ綺麗なもので問題はなく、普段の所作においても見栄えするものを身に着けている。


 ……この辺りに関してはもしかしたら戦場での暮らしが理由なのかもしれない。


 それが分かるのは誰かに……犬人族達に指示を出す時で、そんな時にディアスは毎回ではないようだが全身に力を込めてピンと背筋を伸ばして直立し、温かな目でもって相手のことをしっかり見た上で、キビキビとしたブレや乱れのない所作で指示を出していた。


 王国軍では指揮官や指揮官候補にそういった所作が出来るようにと特別な訓練を課すそうだが、どうやらディアスはそれを戦場の中で目にするうちに自然と学んでいたようで……未だ戦場のくせが抜けないのか、生活の中でのなんでもない指示でも時折、無意識にそんな所作を出してしまっているようだ。

 

 日常の中でそんなことをしていれば疲れてしまうものだし、相応の負担が体にかかるものなのだが……ディアスにとってそれらは負担ではないようだ。


 それもそのはずディアスの体はよく鍛えられていて……今目の前で行われている鍛錬がその体を作り出しているのだろう。


 早朝、女性達が起き出して家事を行い始めて……ほぼ同時にディアスの鍛錬は開始となる。


 数え切れない程の回数戦斧を振るい、なんらかの荷物……犬人族達なんかを抱えた状態で村全体を駆け回り、地面に伏せたりそこから飛び起きたり、しゃがんだりを繰り返し……汗だくになってもそれらを繰り返し続ける。


 女性達が家事を始めて済ませるまでの間、ディアスはそれをずっと続けるつもりのようで……ある程度一人での鍛錬を続けたなら今度は、誰かを相手にしての模擬戦が始まる。


 今日の相手はずっと鍛錬に付き合っていたパトリック達神官の4人のようで、杖を構えた4人を相手に鍛錬用のものなのか、ディアスの戦斧によく似た鉄の塊……刃を潰して分厚い布を巻き付けたものを振り回していく。


 パトリック達は4人で囲んだ上で本気でディアスに挑むが、ディアスは囲まれていることに慣れているとばかりに、4人から様々な攻撃が放たれる中、それらをあっさりと回避してみせて、回避したと思ったらその動きの流れで1人に襲いかかって崩し、そこから包囲を脱し、残り3人を順番に叩き伏せるという素人目に見てもとんでもない動きを見せていて……それでもとパトリック達は奮戦するがまるで相手にならない。


 パトリック達の息はひどく乱れて目は血走り、額には青筋が浮かび、模擬戦とは思えない程に本気となってしまっているようだが、それでもディアスには余裕の笑みが浮かんでいて、


「中々やるじゃないか!」


 なんて余裕のある言葉を口にしていたりする。


 パトリック達はディアスやその家族の護衛を担当することが決まっている、そんな4人の腕が立つというのはディアスにとっては喜ばしいことのようで……本当に嬉しそうにしている。


 一方パトリック達は先程までの鍛錬の段階でヘトヘトだったというのに、思っていた以上に激しい模擬戦をすることになり、限界に近い疲労の中で混乱してしまっているようにも見える。


 相手はディアス、メーアバダル公爵という大貴族。


 そんな相手に本気で武器を振るっている時点でおかしいのだが、どうやったら倒せるのかと、どんな作戦で行くべきなのかと声を上げての話し合いをしていて……正常な思考であればまずやらないであろうことをしてしまっていた。


(聞くところによるとディアス様は、この鍛錬の後も休みなく、陽が沈むまで働くそうで……パトリックさん達もかなり鍛えているはずなのですが、こうまで体力に差があるとは体の作りが違うのでしょうか……。

 基本的な教育がなされていて善良で素直、体は出来上がっていて体力は無尽蔵で……。

 ……そんなディアス様に相応しい教育は……さて、どれなのでしょうねぇ)


 オリアナが教えることの出来る作法は一般的な貴族のためのものや、軍の指揮官のためのものとなっているが……果たしてそれらはディアスに相応しいのだろうか?


 多少荒々しいところがあってもディアスは平民出身の救国の英雄だ、その方が「らしい」と受け入れられるはずだし、問題視する方がどうかしているということになるだろう。


 下品に過ぎれば問題になるが、最低限の教育を受けているディアスにその心配はなく……変に型に嵌めるよりは自然体の方が受け入れられることだろう。

 

(……他に私が出来る教育は王者のそれですが……さて、どうしたものでしょうねぇ)


 実際にそれを教えた経験はないが、知識としてオリアナはそれを知っていた。


 王家の者達に施される人の上に立つための教育、それに相応しい所作を身につけるための厳しい教育課程。


 それを公爵級の貴族が学ぶことは何もおかしなことではない、特にこういった辺境領をまとめあげるためには必要なスキルであると言えるだろう。


 オリアナの知る範囲ではサーシュス公爵がその辺りの作法を習得しているはずで……貴族としても指揮官としても王者としても、全てが完璧だったと伝え聞いている。


 恐らくディアスにそこまでの器用な真似は出来ないだろう、出来てもどれか一つのはずで……改めてオリアナは、疲労のあまり地面に倒れ伏す汗まみれ土まみれのパトリック達を、嫌な顔ひとつせず抱き起こすディアスのことをじっと見やる。


(貴族としての作法はアルナー様、セナイ様、アイハン様に教えれば良いでしょう。

 彼女達はディアス様やベンディア様から自然な形で作法を学んでいて……ディアス様程でないにせよ体を鍛えていて姿勢がとても良い、ひたむきさもありますからすぐに習得出来るはずです。

 美しく洗練した作法で彼女達が補佐するディアス様は同じ作法よりも……やはり王者としての作法が相応しいように思えます)


 そう考えてから深く息を吐き出し……それからふいに視線を感じて足元を見やると、幼い犬人族達がオリアナの足元に集まってオリアナのことを見上げてきている。


 その理由は膝の上の犬人族で……幸せそうな顔で幸せそうな寝息を立てていて、自分もそうなりたいと、そんなことを思って集まってくれているようだ。


 それを受けてオリアナは寝ている子を迎えにきてくれた親へと起こさないようにそっと預けてから、集まってきている子達を一人一人丁寧にブラッシングしていく。


(……これが終わったら朝食、それから授業開始といきましょうか。

 トラブルが迫ってきている訳ですし……手早く見栄えするところから済ませていくとしましょう。

 人前に立って所作で視線を集めて、まとう雰囲気と見栄えで相手を圧倒する……そんな人物になってくれると良いのですが……)


 そんな事を考えながらオリアナは朝食の準備が整うその時まで、美しく洗練された完璧な所作で、幼い犬人族達へのブラッシングをし続けるのだった。




――――あとがき


お読みいただきありがとうございました。


次回は授業やら何やらの予定です


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る