第320話 ダレル夫人ご到着
――――森を貫く街道を進む馬車の中で オリアナ・ダレル
想像以上の規模の、数日に渡っての歓待を受けたオリアナはその最後にマーハティ公から小さな手紙を渡されていた。
それには今日までの数日で、マーハティ公が件の騒ぎを起こしている貴族達の目的についての調査をしていた旨が書かれており、その目的がメーアバダル公であるとも書かれていて……このことをメーアバダル公に知らせた上で、対策を手伝って上げて欲しいと、そんなことが書かれていた。
もともとメーアバダル公に仕える覚悟でやってきた身だ、そう頼まれて否もないのだが……自分の専門はあくまで社交やマナーであり、政争に関しては多少の知識がある程度のみとなっていて、果たしてどれだけ力になれるのやら不安が残ってしまう。
けれども事が起きるまでに、そのことを知らせるだけでも意味があるはずで……自分に出来ることをしようとの決意を胸にし、マーハティ公が用意してくれた随分と豪華な作りの箱馬車の乗り心地を堪能していると、隣の席に座るフェンディアが窓の外を見て、目を細めながら声を上げる。
「あらぁ、とても可愛らしい方々ですねぇ」
可愛らしい? 森の中を小動物でも駆けて行ったのだろうか?
そんなことを考えながらオリアナが自分の側の窓の外へと視線をやると、そこには馬車に並走している犬の姿があり……骨細工の首飾りをして服を着て、確かな意志と知性をもってこちらを見やっている犬の姿を見て、あれは本当に犬なのだろうか? なんてことを思ってしまう。
犬でないとしたらあれは獣人? 獣人がなんだって馬車に並走を? いや、そもそもマーハティ公が用意してくれた御者は何をしているのだろうか?
あれが獣人であるなら何用なのかと声をかけるとか、馬車を止めて対応するとか……誰かの飼い犬だとしてもその主を確かめるとか、色々とすることがあるだろうに、まるで何事も無かったかのように馬車を走らせ続けている。
……もしかして御者は彼らのことを知っているのだろうか? 何故並走しているのか、その理由まで知っているのだろうか?
仮にそうであるならば、御者もいちいち驚いたり反応したりはしないのだろうが……御者が駆ける犬達のことを知っているとして、ではあの犬達は一体全体何者なのだろうか?
獣人……なのだろうか? マーハティ領で見た人々とは随分違った姿をしているが……獣人の中にはあんな風に可愛らしい者達もいるものなのだろうか?
王国東部で長い間暮らしていたオリアナは、獣人に関しての知識は本や噂などで得たものしか持っていなかった。
それらの知識によると獣人とは野蛮で凶暴で、その見た目も悍ましいものであるとされていたのだが、実際に目にした獣人達は確かに変わった見た目をしてはいるが、野蛮でもなく凶暴でもなく、確かな知性を感じられる姿をしていた。
隣人であっても問題なく、友人であっても楽しそうで、恋人は……好みの問題で難しいかもしれないが、それでも真剣な愛を語ってくれたなら考えたかもしれない。
そう考えると王国東部での獣人への意識は明らかに悪意を持って歪められたもので……もし外を駆ける犬達もが獣人だとするなら、その歪みを作り出した者達のことをオリアナは許さないだろう。
愛犬家であり、趣味の範疇だが動物の生態についての研究をし、一冊の本にまとめたことまであるオリアナからすると、人前では言葉にできないような侮蔑の言葉に値する程であった。
(もしあの子達が獣人なら……言葉を交わしたりも出来るのでしょうか)
そんなことを考えてオリアナが窓の身を寄せていると……開閉式になっているらしい窓の向こうから男性達の声が聞こえてくる。
その声の主は……後方に続く馬車に乗っているフェンディアの旅の道連れの男達であった。
フェンディアが市場で商売をすることになった原因で、この道中ずっと静かにただ二人の後をついてきた者達で……マーハティ公の歓待も辞退し、あてがわれた部屋でただただ鍛錬のみを繰り返してきた筋骨隆々の……フェンディアとは縁もゆかりもなさそうな見た目をした男達。
彼らは俗にいう所の神官兵であったらしい。
神殿を守り、神殿を頼る信徒達を守り、その体を徹底的に鍛え上げることで信仰心を示し、その肉体美を神の力の具現であるからと誇りとし、騎士をも凌ぐ剣技や武技を身につけている……公的にはただの神官。
そんな神官兵の中で彼らは特に真面目で敬虔な者達であったようだ。
日々を鍛錬に費やし、神殿や信徒を守ることを何よりの喜びとし……そして新道派の考えに猛反発する程に頑固で。
……新道派の重鎮達は、各地の神官兵達を都合の良い戦力、あるいは暴力として運用していた。
神殿を守るのではなく自らの欲と利権を守らせ……相応の報酬と立場を与えることで巧みに支配して、新道派の立場を強めるための道具に仕立て上げて。
そんな状況を彼らは、神官兵の在り方ではないと受け入れられなかったらしい、彼らなりに抗い、声を上げることで新道派を正そうとしていたらしい。
だが王族と組んだ上で狡猾に立ち回る新道派の勢いを止めることは出来ず、声を上げれば上げる程、神殿内の立場を奪われることになり……そうして彼らが自らの無力さに苦悩していた折、かつて旧道派であったフェンディアが旅立つことを知った。
妙に楽しげに、嬉しげに……嫌々神殿を出ていくのではなく、明確な強い意志を持った上で支度をするフェンディアを見て……神官兵達はフェンディアの後についていくことにしたのだった。
最初はこっそりと気配を殺して……そうしながらフェンディアの様子を探った、その目的を探った。
旅路で彼女が何度も読み返していた手紙をこっそり覗き見て、その署名の確認までして……そこにかのベンディアの名を見つけた神官兵達は、歓喜の雄叫びを上げながらフェンディアの下へと駆け寄り、自らの立場と目的を明かした上で、その旅に同行させてくれと、そう願い出たそうだ。
フェンディアからすると彼らは……とんでもない巨体だ、全然気配を隠しきれていなかったし、手紙の覗き見も堂々とし過ぎたものだったが、フェンディアは彼らが反新道派であったことを知っていたので、好きにさせていただけだった。
心優しく真面目ではある、敬虔ではある、少しばかり考えが足りないだけで……愛らしいところもある。
オリアナからするとフェンディアのその評は少しばかり首を傾げたくなるものだったのだが……真面目で敬虔であるという点はオリアナも同意だったので、彼らのことを特には問題視していなかった。
「むぅぅ、あの動きを見るにやはりあれは犬ではないのではないか?」
「ではなんだ、あれが噂に聞くライオンか?」
「いやいや、あれこそはクズリに違いない、さすがは辺境地だ」
「ふぅぅむ、ベンディア師はクズリの肉を喜んでくださるだろうか?」
かなりの大声で交わされているそれは、なんとも頭を抱えたくなる会話だったが、それでもオリアナは彼らのことはフェンディアに任せておけば良いと問題視せず、相手にせず……出来るだけ視界に入れないようにもしていた。
自分達を食べると、そんな会話を耳にして愛らしかった犬のような何か達が鼻筋に皺を寄せて唸っているのを見て、色々と注意しておけばよかったかと少しだけ後悔することになったが……彼らのような存在は自分の手には余ると、余計な手出しをすべきではないと、そう考えて、オリアナは自分を納得させる。
(……彼らのことよりも、明らかに言葉を理解しているあの子達の方が気になるし……)
なんてことを考えてオリアナが犬に似た存在へと熱視線をやっていると、馬車が段々と速度を緩めていって……並走していた犬のような何かが何処かへと走り去っていって、それからざわめく人の声や何らかの作業の音などが聞こえてきて……馬車の窓を開けて少しだけ顔を出してみると、木造の……思っていたよりも立派な関所がオリアナの視界に入り込む。
一年と少しでこれ程の物が作れてしまうのか、軍事施設としてもそれなりの出来になっている辺り流石は救国の英雄だとオリアナが驚いていると、馬車が停止し、御者の手によってドアが開かれ……オリアナ達が馬車から降りていると、関所の主と思われる鎧姿の男性が関所の中から姿を見せて、オリアナ達の下へと近付いてくる。
その男性は粗野な鎧姿からは想像もできない程、丁寧な挨拶をしてきて、貴族のことを……礼儀のことをある程度知っているのか、しっかりと対応してくれて、オリアナ達の旅の目的を聞くや関所の中へと案内してくれようとする。
こういった人物を関所の主に出来るのであれば、メーアバダル公は想像と違って、洗練された人物なのかもしれない……と、オリアナがそう考えた折、男性が出てきたドアからではなく、重々しい音と共に開かれた関所の門から一人の男性が姿を見せて、先程並走していた犬のような何者か達を伴いながらオリアナ達の下へとやってくる。
一言で表するなら無骨で無遠慮……失礼とまでは言わないが、少なくとも礼儀に関する知識は持っていなさそうだ。
(……いかにも平民といった風体ですが、服の上からでも分かるあの体付き……もしかして……?)
そう考えてオリアナが念のために丁寧な……貴族に対する礼を取ると目の前の人物は、いかにも覚えたての、誰かに教わりはしたが使い慣れていないといった様子で礼を返してくる。
それを受けてオリアナは公爵様がわざわざ出迎えにくるのかとか、格下の貴族に同等の挨拶を返してくるのかとか、そんなことを考えて目眩を覚えるが……それでこそやり甲斐があるとやる気を漲らせ、犬のような何かと羨ましくなるくらいに慕われているらしい目の前の男性……メーアバダル公ディアスへ忠誠を示す跪いての一礼を、これ以上なく丁寧かつ正確に披露して見せるのだった。
――――あとがき
お読みいただきありがとうございました。
次回はディアス視点でのオリアナとのあれこれになります。
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