第307話 二人の貴族と酒場の主



――――マーハティ東隣のエルアー伯爵領の屋敷で 



 かつて所有していた土地のほとんどを売り払った結果、マーハティ領の東端に張り付いたような形で地図に描かれるのがエルアー伯爵領である。


 北にアールビー子爵領があり、南に荒野があり……年々広がる荒野に農地を圧迫されてしまい、職を失った農民達の生活のためにと土地を売払い……売り払いすぎたがために今ではすっかりと、伯爵らしからぬ暮らしぶりへと落ちぶれてしまっている。


 落ちぶれながらも僅かに残った農地を懸命に改良し、酪農との組み合わせでなんとか財政を維持し……そしてマーハティ領からのおこぼれ、大商圏への通り道だからと行き交う商人達からの収益でどうにか日々の暮らしを維持出来ていて……僅かな領民達からは相応に愛されているという。


 そんなエルアー伯爵の屋敷は、かつての栄光ゆえか領地に似合わない立派なものとなっている。


 大庭園があり、大庭園を両腕で抱くかのように広がる屋敷があり……そんな屋敷と大庭園を見上げる程の高さの柵が覆っていて、門の荘厳さは古びてはいるが中々のものだ。


 そんな屋敷の一室、古めかしい家具と絵画が並ぶ執務室で、年は40、大きな腹に薄くなった金色の頭髪、残り僅かな髪を頭の後ろで結わった男が大きなソファに腰掛けながら、灰色の目を懸命に動かし報告書を読みふけっている。


 かつての建国王がそうしていたという髪型、後頭部で結んだ髪は紳士の証とされていて……かなりの量となっている紙の束を読み進めた男……エルアー伯爵がその紳士の証をちょいちょいと弄りながら声を上げる。


「かのメラーンガルに足を運んでおいて、女にも酒にも流行りの服や装飾品にも手を出さず、ただ家畜だけを買い求めた?

 総額は推定で金貨200枚以上……? それだけの金があって家畜だけとはなぁ。

 いや、家畜がいれば畑は耕せるし、いざという時には肉になるしで理解は出来るのだが……なんとも成り上がり者らしからぬ話ではないか……。

 そも家畜の仕入れはなんてことは商人に任せてしまえば良いはず……」


 その声を受けて報告書をここまで持ってきて、壁に寄って控えていたエルアーの部下は、何も言わずにただ目を伏せる。

 

「……ふむ、理由までは分からんかったか。

 平民生まれで貴族がなんたるかを知らぬ男……農民の生まれで大量の家畜を所有することに憧れがあり、それこそがメーアバダル公にとっての贅沢だった……ということか?

 ふぅむ……もしそうであるなら名産品の他に家畜を贈るべき、か?

 しかしメラーンガルの質の良い家畜を買ったばかりとなると、下手な家畜を贈っても喜ばれないかもしれんなぁ……。

 ……我が領にしか存在しない家畜なんてものはいないしなぁ……ああ、いや、数年前に迷い込んだアレがいたか、あちらにも荒れ地があるならばアレでも喜ばれるかもしれないが……」


 そう言ってエルアーが乾きと暑さに強いある家畜のことを思い浮かべていると、部下が「あくまで噂ですが……」との前置きをした上で、かの公爵の関心が南にあるという荒野に向いているとの情報を口にする。


「……なに? それは本当か?

 マーハティ公に荒野開拓についての助言を求める手紙を送った? ふぅぅむ……であるならば可能性はあるか……。

 あれは農耕用には今ひとつ向かないからなぁ……牧草の負担も大きい、全て贈ってしまっても構わんかもしれんな……よし、早速手配しておけ」


 そんなエルアーの言葉を受けて控えていた部下が動き始める、メーアバダル公に贈る品として相応しくなるように、その毛などを整えるために。


 場合によっては鞍などで飾り立てることも必要で……かかる費用などを計算しながら早足で部屋を出ていき……それを見送ったエルアー伯爵は、報告書の束を目の前の机へと投げ出し、ソファに背中を預ける。


 そうして少しの間瞑目したなら立ち上がり……ようやく自分の屋敷に帰ってこられたのだと、ここ数日感じ続けているなんとも言えない満足感を堪能しながら、屋敷の中をゆっくりと歩いて回るのだった。



――――マーハティ東隣のアールビー子爵領の屋敷で



 同じ頃、先代と自らの怠慢で豊かだった領地の縮小を招いたアールビー子爵は、どうにか屋敷と言えるような小さな屋敷の一室で、粗末なソファに腰掛け……手にした薄い報告書の束を苛立ちのままに睨みつけていた。


 年は30、目の色と良く似た真っ赤な髪はさらりとして長く、頭の後ろでしっかりと縛られていて、端正な顔立ちで30とは思えない程に若々しく……だというのにその顔は、苛立ちのあまりにひどく歪んでいる。


 成り上がり者の無礼者、そんなメーアバダル公であれば少し調べれば弱みが見つかるはずだったのだが、どういう訳か見つからない。


 違法な取引も、平民に対する狼藉も、女も酒も賭け事も一切無し。

 そもそも自領に引きこもりがちで、西部随一の都市であるメラーンガルにも一度しか足を運んでいない。


 そんな訳があるものか、自分でさえ2・3ヶ月に一度は遊びに行き、羽目を外さねば耐えられないというのに……。


 なんてことを考えてかなりの金を投じて人を集め調べさせたが、それでも全くといって良い程に情報が集まらない。


 疑惑程度のものでも不確かなものでも情報さえあれば後は揺さぶり脅し、自慢の交渉術でもってなんとか出来るのだが、情報が全く無しとなると流石に難しいものがある。


 もっともっと金をかけて調べさせるか、それとも情報が無いままハッタリをかけるべきか……。


 平民が特権階級たる貴族になったのだ、何もしないはずがない。

 今まで出来なかったことが出来るようになった、本来であれば犯罪行為も許される立場になった、平民では絶対に手に出来ないほどの財貨を手に入れた。


 であるならば当然相応のことをしでかしているはずで……叩けば山程の埃が出てくるはずだ。


 そんなことを考えて決意をしたアールビーは立ち上がり……手にしていた報告書を暖炉へと投げ入れる。


 夏でも暖炉の火は絶やさない、窓を開けて小さな火を熾せば、虫よけになるしどういう訳か部屋に風が入り込んでくるし、湿気を払うことが出来るからだ。


 そんな小さな火でも報告書を焼き払うには十分で……焼けた紙が煤となり煙突に吸い込まれて上へ上へと舞い上がっていく。


 それと同時に涼やかな風が部屋の中へと入り込んできて……その風に背を押されたような気分となったアールビーは、メーアバダル領のある西へと視線を向けて……自信に満ち溢れた笑みを一人浮かべるのだった。



――――イルク村の酒場で ゴルディア



 昼食の時間が終わって少し経った頃、ゴルディアがすっかりと静かになった店内を見回しながらテーブルや椅子などの拭き掃除をしていると、勢いよく扉が開け放たれセナイとアイハンが元気いっぱいに駆け込んでくる。


 駆け込んできたならまっすぐにカウンターへと向かって高い椅子によじ登り、ゴルディアの拭き掃除が終わるまで店の中をキョロキョロと眺めて過ごし……掃除を終えたゴルディアがカウンターに戻り、桶の水で手を洗い終わるのを確認してから注文の声を上げる。


「ミルクください!」

「みるくください!」


「あ、ボクもミルクをお願いします」


 セナイとアイハンと、アイハンの頭の上に乗っていたエイマの注文を受けて、笑みを浮かべて「あいよ」との声を上げたゴルディアは、奥の調理場へと引っ込み……調理場から行けるようになっている地下室へと向かう。


 様々な食材と酒が保管されている地下室の奥の奥、いくらかの氷と雪で冷やされた貯蔵庫にはセナイ達のための小さなツボが置かれていて……それを手にしたならカウンターへと戻り、セナイ達用のコップと、エイマ用の小さなコップへとツボの中身を注いでいく。


 その中身は白ギーのミルクだった。

 今朝絞ったばかりのものを一度煮立て、それからツボに入れて貯蔵庫に置くことで冷やしたもので、最近のセナイ達はそのミルクに少しの茶葉やハチミツを入れて飲むことを何よりの楽しみとしていたのだ。


 今日はどうやらハチミツを入れるようで、小さなツボを取り出し数滴のハチミツを垂らし……垂らしたなら混ざるのを待つこと無くコクコクと喉を鳴らしながら一気に飲む。


 コップの中身を綺麗に飲み干したならプハーと息を吐き出し、口の周りを白くしながらなんとも満足げな笑みを浮かべ……それからコップを置いて口を拭いて、またキョロキョロと周囲を見回しながら、口の中に残るミルクとハチミツの味をじっくりと堪能する。


 飲んだり食べたりした後すぐに駆け出すのは良くない、そのことをよく分かっているセナイ達はゆっくりと体を休ませ……そんなセナイ達が暇しないようにとゴルディアは、見た目に似合わず穏やかに響く声をかける。


「今日も荒野に行くのかい?」


「うん! 荒野で種蒔き!」

「かわのようすも、みてくる!」


「整備が始まった小川、もっともっと水量が増えてくれると良いんですけどねぇ」


 いつものようにセナイとアイハン、それからエイマという順に声が帰ってきて……ゴルディアは笑みを浮かべたままうんうんと頷き、三人の語る話に耳を傾ける。


 小川の話から水遊びの話になり、水遊びの話から最近かなりの勢いで増えつつあるガチョウの話になり……水量が増えたことでガチョウの遊び場も増えたなんて話になって、それから早く美味しいガチョウを食べたいなんて話になり。


 このくらいの年の子供ならば歩く姿が可愛いとか、食べるのは可哀想とかそういう話になるはずなのだが、普段から弓矢でもって狩猟をしているセナイとアイハンにとってガチョウ達は、どうあっても食料でしかないようだ。


 そうやって雑談を楽しんだならセナイ達は、ゴルディアに礼を言って椅子から飛び降り……そしてまた元気いっぱいに駆け出し、酒場から駆け出ていく。


 それを見送ったならゴルディアはコップを片付け、掃除の続きをし……それらが終わったならギルド関連の帳簿などを取り出し、適当な席について内容の確認や記入などをしていく。


 次にこの酒場が騒がしくなるのは、村の者達の仕事が終わる夕方頃、それまではギルドの仕事に励むのがいつもの流れで……イルク村のあちこちから響いてくる人の声や、犬人族達の吠え声、動物達の鳴き声などを耳にしながらゴルディアは、淀むことなく順調にペンを滑らせていくのだった。





――――あとがき


お読みいただきありがとうございました。


次回はセナイ達と荒野とか、ディアスさんのあれこれになる予定です。

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