第285話 メーアバダル岩塩 西から東への旅



――――マーハティ領 西部の街メラーンガルの市場で



「なんとメーアバダル公が新たな領地を手に入れたのよ!

 その領地は岩塩が山のように積み重なる塩の大地で、たったの一日でこれだけの岩塩が採掘されたというのだから驚きね!

 メーアバダル公は市場での値崩れを懸念しているため、一度に大量の採掘をすることは避けているみたいだけど……それでも定期的に、一定量を売ることで、領地の開発資金を獲得しようとしているとのことよ!!」


 マーハティ領の市場に到着し、荷車の上の木箱を下ろし……いくつかの荷箱を積み重ねることで売り場を作り、そうしてからそんな声を張り上げる。


 そんな風に市場に来たばかりのエリーが突然始めた……宣伝なのか商売なのか、よく分からない行動を受けて市場にいた何人かの商人達がざわめき始める。


 ざわめき戸惑う商人達の多くが領外からやってきた行商人達となるが、マーハティ領の商人達も驚きの表情を浮かべていて……それを見たエリーは心中でほくそ笑む。


 エリーはこれまで何度か岩塩をマーハティ領へと持ってきていて、それらをギルドに卸していた。


 その量は少量で、こんな風に宣伝もしておらず、あくまで身内向けの取引といった様子だったのだが……それでも目敏い商人達はその動きに気付いていて、メーアバダル領では少量の、ほんのわずかな岩塩が取れるのだなと……身内に売る程度しかない量が取れるのだなと、そんな評価を下していた。


 ところが今の言葉を信じるならば、その評価は全くの間違いで、産地にはかなりの量の岩塩があるそうで……そんな馬鹿なと、そんな嘘を言うなと否定しようにも、産地が彼らも知らない『新領地』だというのだから手に負えない。


 ディアスが新たな領地を得たことに関しては、エルダンやその周囲の者達は既に連絡を受けており知っていることだったが、末端の商人にまでは広まっておらず……彼らはそれに関する情報を全くと言って良い程に得られていない。


 その上、エリーは公爵の御用商人であると名乗っていて、御用商人が公爵の名を使ってまで嘘を広めることはないだろうという点もまた、エリーの言葉が真実であると、そんな後押しをしている。


 実際にはその言葉の中には、これだけの量が『一日で採掘された』という嘘が混ざっていたのだが、それを見破る術は無く……そうして口をつぐむしか無い商人達は自分の店や倉庫、それらがある他領へと向かって大慌てで駆け出し……駆け出すことなく市場に残った商人は岩塩の質を確かめるためにと売り場に近付き、それらの商人の下へとセキ、サク、アオイの三人が駆け寄って、陶器の皿に乗せた岩塩の欠片を、


「味見をどうぞ」

「運送中に出た破片なのでこちらは無料です」

「質が良いし、混ぜものもないので美味しいですよ」


 なんてことを言いながら差し出す。


 それらを受けて商人達は素直に味見をし、その質の良さに驚き……いくつかを質を確かめるための見本として購入し、これからどう動くべきかと頭を悩ませながらゆっくりと市場を後にする。


 それから市場に来ていたマーハティ領民達が、手に入りにくかった塩がこんなにあるのかと驚きながら購入し始めて……それなりの大きさの木箱いっぱいに用意した岩塩はあっという間に売り切れてしまう。


 それらを売る間もエリーは、この岩塩の産地がメーアバダル公の新領地であること、これからも定期的に売りに来ることなどを宣伝し続け……そうしてメーアバダル産の岩塩はメーアバダル岩塩、あるいはメーア岩塩として知られることとなり……その情報は王国西端から東へと向かって一気に広がっていくことになる。


 商人達が大慌てで駆けて、少しでも早く、多少の値下げをしても良いから溜め込んだ塩を吐き出せと、なんとか売り切れと大騒ぎし……何頭もの早馬を使いでもしたのか、その速度は驚くほどに凄まじく……。


 そうなることを予測していたエリーは当然のように、市場に向かう前にギルドのマーハティ領支部へと顔を出しており、これからそれらの情報を広めるからとの連絡をしており……それからギルドの早馬が走って、ギルドの仲間達に情報が広まるための時間……数日間待ってから、市場での騒ぎを起こしていて……ギルドはそのおかげでこの騒動の中でも損をすることは一切無く、むしろいくらかの利益を得ることに成功していた。


 その数日間の中でエリーは、エルダンにも同様の連絡をしていて、そのおかげかエルダンと御用商人が今回の件で損するようなことは無かった。


 また王国東部にある王都の商人達の一部も、同じように損をせずに、上手く溜め込んだ塩を売り抜けることで、いくらかの利益を得ていた。


 そんな王都の商人達の情報源は王城で……ディアスが送った報告の手紙と地図、それらがようやくと言うべきか、商人達よりも早くというべきか、無事に王都の王城に届いて、それらから新領地と岩塩……それと瀝青なんかが手に入ることが明らかになり、王城との繋がりが深いために、その情報をいち早く獲得出来た商人達だけが損せず得をしたという訳だ。


 そうやって一部の商人達が喜びに湧く中……ディアスからの手紙を受け取った王もまた喜びに満ちあふれていて……初夏の式典のために王都に集まった、王子王女達を前にしても、それは変わることはなかった。



――――王都、王城、謁見の間



 何枚もの王国旗がはためき、壁、柱、窓枠、天井、などなど、その部屋中に金銀を使った精緻な細工がされていて、立派で豪華絢爛という言葉がよく似合う玉座の前には、王子王女のための小さな椅子が用意されていて……。


 第一王子リチャードは最も玉座に近い位置―――玉座を前に見て右側に置かれた椅子に腰掛け、第一王女イザベルは玉座から少し離れた位置―――玉座を前に見て左側に置かれた椅子に腰掛け、第二王女ヘレナは、玉座から最も離れた位置―――イザベルと同じく左側に置かれた椅子に腰掛けていて……そんな子供達に向かって、整えられた立派な白髭を揺らす王は、嬉しさからなのか先程から何度も何度も同じような話を繰り返し続ける。


「かの南海に接する港町は余の直轄地、そこが困っていると見て即座にこの心配り、忠臣とはまさにこのことかと、痛感するばかりだ……なぁ?

 あの草原を見事に拓き、それだけでなく新たな領地を得て……それだけでも十分だろうに、この忠義……救国の英雄という言葉すら霞むではないか……そう思わんか?」


 王族である以上、お互いに普通の親子ではいられないと理解している、今までの様々な事柄のせいでお互いの間には相応の溝が出来てしまっている……継承権のことで兄妹間の溝も大きくなっている。


 そんな中で王は、子供達の言葉や反応を期待しているのか、そんな風に声をかけ続け……リチャードもイザベルもヘレナも「そうですか」「なるほど」「良かったですね」と、適当かつ穏当な言葉だけを返していく。


 ……それは後方に控えている臣下達から見れば思わずため息を吐き出したくなるような光景だったのだが、王はそんな中でも子供達の微妙な変化を、しっかりと読み取っていた。


 リチャードは喜び半分、呆れ半分といった様子だ。

 恐らくリチャード自身も、市場の流れを見て塩に手を出していたのだろう……その機をまさかの方向から潰されて呆れる反面、国内に起きていたちょっとした混乱が解決したこと、顔見知りが活躍したこと、将来自分が継ぐであろう領土が広がったことを、素直に喜んでいる様子だ。


 イザベルは冷静に鉄面皮を作り上げようとしているが、笑いが堪えられないという様子で肩を震わせていて、ここが謁見の間でなければすぐにでも笑い出し、その胸中にある言葉を凄まじい声量でもって吐き出していたことだろう。

 父親である王から見てイザベルが何を思っているかは分からなかったが……それでも彼女の中に尋常ではない感情があることが読み取れる。


 ヘレナは少しそわそわとした様子ではあるが、他二人よりも冷静さを装うことに成功していて……だがその瞳は露骨なまでにきらきらと輝いてしまっている。

 憧れか感動か……王にとって一番気難しく見えて、何を考えているのか理解が出来なくて、少し変な所があると思っていた彼女の、そんな素直な反応は少し意外にも思えるものだった。


 そうした三人の反応をゆっくり眺めた王は、満足そうに微笑み何度も何度も頷き……そうしてもう一度先程の話と似た内容の話を繰り返してから……突然口元を引き締め、声色を堅くし、三人を叱っているのかと思うような様子で言葉を口にする。


「……ところで、そんな忠臣に最近、あれこれと余計な真似をしようとしている者達がいるとの噂を耳にした。

 手の者を送るのも使者を送るのも、それだけで悪事と言うつもりは無いが……かの忠臣の足を引っ張る者がもし仮に居たとしたら、いかに慈悲深い余であっても許すことは出来ないだろう。

 特に王位を得るために焦ってそんなことをするなどというのは、王位が一体どんなものであるのかということを見失っているに等しい愚行である。

 リチャード、イザベル、ヘレナ……この余の言葉、ゆめゆめ忘れぬように」


 そんな突然の言葉を受けて表情と体を緊張させたリチャード達は、頭の中であれこれと思考を巡らせながらほぼ同時に『はい』とだけ言葉を返す。


 それを受けて微笑み、大きく頷いた王は……手を軽く上げ、控えていた者に小さなトレイに乗った石のような何か……岩塩を持ってこさせ、それをリチャード達に見せつける。


「これは余が懇意にしている商人から買い上げた岩塩で……先程話してやったメーアバダル領のものだ。

 今宵の晩餐で使うことになっているからな……お前達もこの国を救わんと吹き続ける西の風の味を堪能していくと良い」


 見せつけそう言ってから王は……上げていた手を大きく払い、リチャード達に退室を促す。

 

 それを受けてリチャード達は静かに立ち上がり……儀礼的な一礼の後、もはや取り繕うことも出来ないのか、それぞれ複雑そうな表情をしながら、謁見の間を後にするのだった。



――――あとがき


お読みいただきありがとうございました。


次回はディアス視点に戻ります。

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